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北星学園での講演(第20回) ☆ あさもりのりひこ No.452

何度でも言いますけれど、教育事業の受益者は個人ではなくて、集団全体です。次世代の市民的成熟を支援しなければ、集団がもたない。教育する主体は「大人たち」全員であり、教育を受ける主体は「子どもたち」全員です。大人たちはあらゆる機会をとらえて子どもたちの成熟を促すことを義務づけられている。

 

 

2017年8月31日の内田樹さんのテクスト「北星学園での講演」を紹介する。

どおぞ。

 

 

公教育に税金を投じるべきではないと本気で思っている人たちがいる。これは昔からいたのです。アメリカの「リバタリアン」というのがそうですね。彼らは公教育への税金支出に反対します。人間は一人で立つべきであって、誰にも依存すべきではない。勉強して、資格や免状が欲しいなら、まず働いて学資を稼いで、それから学校に行けばいいと考える。だから、公教育への税金の投入に反対する。

同じようなことを思っている人はもう日本にも結構います。教育への公的支出のGDP比率が先進国最低だということは先ほど申し上げましたけれど、それはこういう考え方をする人が日本の指導層の中にどんどん増えているということです。彼らは教育の受益者は個人であるから、教育活動に公的な支援は要らないと考えている。口に出して言うと角が立ちますから大声では言いませんけれど、内心ではそう思っている。消費者たちが求める「個人の自己利益を増大させる可能性の高い教育プログラム」(これを「実学」と称しているわけですが)を提示できた教育機関だけが生き残って、「市場のニーズに合わない」教育プログラムしか提示できなかった学校は「倒産」すればいいと思っている。これは大声で公言してはばからない。

でも、そんなことをして共同体は維持できるのか。僕はそれを懸念しているのです。何度でも言いますけれど、教育事業の受益者は個人ではなくて、集団全体です。次世代の市民的成熟を支援しなければ、集団がもたない。教育する主体は「大人たち」全員であり、教育を受ける主体は「子どもたち」全員です。大人たちはあらゆる機会をとらえて子どもたちの成熟を促すことを義務づけられている。

日本の場合、大学の75%が私学です。つまり、国ではなく、個人としての建学者がいて、固有の建学の理念があって、それを教育実践を通じて実現しようとした。「教えたい」という人たちがいて、「学びたい」という若者たちが集まってきた。私学の場合には、その建学の原風景というものを比較的容易に想像することができます。時代が経っても、建学者の「顔」が見える。それが私学の一番良い点だと思います。

僕は30年ほど大学の教員をして、退職してから神戸市内に凱風館という1階が道場で2回が自宅という建物を建てました。自宅ですから、私費を投じるのは当たり前ですけれど、身銭を切って学びの場を作ったのです。別に市場のニーズがあったからではありません。もちろん、それ以前から門人はいましたから、彼らは道場ができて喜んではくれましたけれど。とにかく自分が教えたいことがあるから、身銭を切って道場を建てた。稽古したい人たちが1365日、好きなだけ稽古ができる場をまず建てて、それを公共のものとして提供した。そこで門人たちが日々修業している。それは僕が僕の師匠から継承した武道の思想と技芸を伝えていく使命感を感じたからです。自分が先人から学んだことを、次世代に伝えなければならないと思っているから、学舎を建てた。僕の周りでも私塾を始めた人たちがたくさんいます。平川克美、名越康文、茂木健一郎、釈徹宗、鷲田清一・・・何人もがやはり身銭を切って私塾を始めています。みんな明治時代に日本に私学ができた時の原風景をもう一度思い出して欲しいと思っているのかも知れません。

 

僕の道場は今門人が350人います。でも、これがもう上限だろうと思います。この程度のサイズでしたら、マーケットもニーズも関係ない。僕が自腹を切れば、学びの場を建設し、管理運営することができる。門人が一時的にゼロになっても僕がやせ我慢をすれば道場を閉めずに済む。それくらいの低いランニングコストでないと、ほんとうにやりたいことは持続するのが難しいだろうと僕は思います。これは今の市場原理による学校教育のあり方に対する僕からのアンチテーゼです。こういうことだってできるということをかたちで示したい。