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裁判員と量刑 ☆ あさもりのりひこ No.109

 2015年2月3日,最高裁判所第二小法廷が刑事事件について2つの決定を出した。

 2つとも地方裁判所での第一審判決が「死刑」,高等裁判所での控訴審判決が「無期懲役」の事案。

 最高裁判所の判断は,両方とも「無期懲役」。

 

 問題は,第一審が裁判員裁判であったこと。

 つまり,地方裁判所では,裁判員6名,裁判官3名が「死刑」と判断した。

 高等裁判所では,裁判官3名が「無期懲役」と判断し,最高裁判所第2小法廷の裁判官3名が「無期懲役」と判断した(小法廷は5名だが,このときは3名)。

 裁判員の判断を裁判官がくつがえしたのでは,裁判員裁判制度を導入した意味がないのではないか?という意見がある。

 

 この点,日本経済新聞の社説は,裁判員の守秘義務を緩和し,裁判員の経験を社会全体で共有して,量刑の安定をはかるべきという論調。

 毎日新聞の社説は,裁判員と裁判官の判断の違いに着目して,死刑制度の存廃問題の議論を深めるべきだという。

 

 しかし,裁判員と裁判官の判断の違いは,守秘義務が厳格すぎることが問題だろうか。

 また,裁判員と裁判官の判断の違いは,死刑制度の存廃の問題になるのだろうか。

 そうではなくて,裁判員が刑を決めること自体が問題なのではないだろうか。

 

 2001年6月12日に出された司法制度改革意見書は,司法への市民参加について,次のように述べている。

「一般の国民が,裁判の過程に参加し,裁判内容に国民の健全な社会常識がより反映されるようになることによって,国民の司法に対する理解・支持が深まり,司法はより強固な国民的基盤を得ることができるようになる。」

 

 刑事裁判が判決にいたるには「事実の認定」と「刑罰の量定」のふたつの異なった過程をたどる。

 「事実の認定」とは,たとえば,被告人が,被害者を殺したのか,殺していないのか,を判断することである。

 殺していないと判断するときは『無罪』となる(殺したかどうかわからないときも無罪)。

殺していると判断するときは,被告人にどんな刑罰を科すかを決めなければいけない。

死刑にするのか,無期懲役にするのか,有期懲役なら何年にするのか,これが「刑罰の量定」である。

 

『裁判内容に国民の健全な社会常識がより反映される』べきなのは「刑罰の量定」の場面ではなく,「事実の認定」の場面である。

たとえば,ほとんどの裁判官は自動車を運転しない。

裁判員で自動車を運転する人は相当数存在する。

自動車事故の事件で事実を認定するのに『国民の健全な社会常識』を反映するのは意味があるといえる。

 

一方で,検察官の主張する「事実」が「認定」され,刑罰を決める段階では,どこで裁判を受けるとしてもその軽重は公平でなければならない。

同じ種類の罪を犯したのに,どこで裁判を受けるかによって,刑罰が重くなったり,軽くなったりするのはおかしいからである。

 

どんな罪を犯したら,どのくらいの刑罰を加えるのがふさわしいのか,は裁判を何度も経験した裁判官が公平に決めればいい。

おそらく一生に一度しか裁判員を経験しない人に,死刑か無期懲役か,無期懲役か有期懲役か,懲役30年か懲役20年か,を決めろというのは,負担が重すぎる。

 

これから裁判員制度を改正して,裁判員は「事実の認定」だけを判断し,裁判官が「刑の量定」を決める制度に変える必要がある。

事実は裁判員が認定する。

裁判員が有罪と認定したら,あとは裁判官が,死刑にするのか,無期懲役にするのか,懲役何年にするのか,決めればいい。

 

今回の最高裁判所の決定は正しい。

 この決定は,裁判員裁判制度そのものを否定するものではないし,裁判員裁判の存在価値を損なうものでもない,と私は思う。