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2024年

3月

18日

内田樹さんの「『本の本』あとがき」 ☆ あさもりのりひこ No.1492

僕たちは本に出合った後に、「その本を久しく待望していた私」というものを造形する

 

 

2024年2月8日の内田樹さんの論考「『本の本』あとがき」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

『本の本』は朴東燮先生がセレクトした書物と出版と図書館についての僕の書き物のコンピレーション本である。韓国オリジナルの本である。既刊の『街場の読書論』や『街場のメディア論』やブログ記事からのセレクション。「あとがき」だけは新規に書き下ろした。

 

 みなさん、こんにちは。内田樹です。

『本の本』は僕があちこちに書いた書物と図書館についてのエッセイを朴東燮先生が選び出して、訳してくださった「コンピレーション」です。

 素材になったものには書き下ろしもありますし、講演録もありますし、ブログに書いた身辺雑記もあります。出自はいろいろです。でも、全部「本の話」です。

 まず、これだけの素材を集めて、一冊の本にまとめてくださった朴先生のご尽力に感謝申し上げます。ほんとうにいつもお世話になっております。

 この本は出版危機と電子書籍をめぐる話から始まって、図書館の話、学校教育の話で終わります。そして、ご一読して頂ければわかったと思いますが、僕の本についての考え方は、かなり変わっています。

 僕は「本を買う人」と「本を読む人」を分別して、用事があるのは「本を読む人」であると断言しておりますが、こういう立場を公言する人は、たぶん日本の職業的な物書きの中にはほとんどいないと思います。韓国ではどうなんでしょう。たぶん事情はそれほど変わらないと思います。

 僕は中学生の時にSFの同人誌をガリ版刷りして出版した時から一貫して、道行く人の袖を引いて「お願い、読んで」と懇請するという姿勢を通してきました。大学生の時は、政治的なアジビラやパンフレットをやはりガリ版刷りで作ってキャンパスで配布していました。学者になった後も、最初の頃の著作はどれも自費出版です。

 僕の場合、「市場のニーズ」がものを書く動機になったことはありません。だって、僕の書くものについての「ニーズ」なんてないんですから。誰も「書いてくれ」とは言ってくれない。でも、こちらにはどうしても言いたいことがある。だから、自分で書いて、刷って、配る。それが僕の基本姿勢です。

 ですから、僕はこれまでずっと市場原理とは原理的には無縁でした。

 市場原理に従うならば、「こういうものを読みたい」と思っている読者の需要がまずあって、それに見合うような商品が供給されるという図式になります。

 でも、僕はそんなのは「嘘」だと思います。

 いや、嘘というのは言い過ぎでした。たしかに、出版にはそういう需給関係という側面もあるかも知れない。

 でも、本が書かれる前に、その内容を先取りして、「こういうものが読みたい」と思う読者の側の潜在的需要なんてほんとうにあるんでしょうか。

 僕は「ない」と思う。

 そうではなくて、まず本が書かれて、それを読んだ読者が「こういうものが読みたかったんだよ!」と歓声を上げるというのがほんとうの順序なのではないでしょうか。

 そして、もちろん「こういうものが読みたかった」という読者のリアクションは読んだ後に読者自身が作った「物語」です。自分がひさしく求めていた「読みたいもの」の条件をぴたりと満たす書物についに出会った...という「物語」ほど僕たちを高揚させるものはありませんからね。僕たちは本に出合った後に、「その本を久しく待望していた私」というものを造形するのです。事後における記憶の改造をしているんです。

 もちろん、あわてて言い添えますけれど、それはぜんぜん悪いことじゃないんですよ。人間はそうやって記憶を書き換えながら生きてゆく生き物なんですから、それでいいんです。

「こんな本が読みたかった」というのは、読んだ後にしか出てこない言葉なんです。だから、市場原理主義者であるところの出版人たちがまるで「木」や「石」のような自然物であるかのように「読者のニーズ」という言葉を口にすることに、つよい違和感を覚えていたのです。

 それは書物が書かれるより前に自存するものではなく、書物が書かれた後に創り出されるものなんですから。

 

 僕は自分の執筆活動のことを「伝道」だと思っています。誰も頼んでないのに、その辺の路上で「道行くみなさん、私の話を聴いてください」と呼ばわるあの「伝道師」です。誰にも頼まれていないし、誰にも求められていないのに、身銭を切って、「申し上げたいこと」を申し上げる人です。

 僕は自分のことを「伝道師」だと思っています。

 僕はあるときはレヴィナスの伝道師であり、あるときはカミュの伝道師であり、また村上春樹の伝道師であったり、橋本治の伝道師であったり、大瀧詠一の伝道師であったり、小津安二郎の伝道師であったり、伝道することはさまざまですが、どれも誰かに頼まれて「お金を払うから、書いてください」と言われたものではありません。読む人がいようがいまいが、この人たちの偉大さについて、私にはぜひ申し上げたいことがある。だから書く。

 僕の場合、たまたま結果的に書いたものが商品としても流通して、お金を稼ぐことができるようになりました。でも、僕は生計を立てるために本を書いたのではありません。本を書いて、それだけで暮らしていけたらどれほど楽しいだろうと夢想したことはありますけれど、それはただの「そうなったらいいな」という夢に過ぎません。生計が立とうが立つまいが、そんなことは関係ない。誰も買ってくれないなら、自分で身銭を切ってお配りする。

 だって「伝道」なんですから。

 使徒たちが、キリストに向かって「あの、僕たちも生活というものがあるんで、先生の教えを伝道するに際して、先生からも少しバイト代を出してもらえませんか」と言ったり、会堂で聴衆に「はい、これから伝道を始めますが、僕たちにも生活というものがあるので、教えを説くに際してですね、お聴きになる方には事前に課金させて頂きたいと思います」と言ったりする風景を想像できますか。

 伝道には市場もないし需要もないし対価もない。そういうものなんです。僕はそういうつもりで半世紀以上「物書き」をしております。

 これはそういう「変な人」の書いた本についての本です。

 もし、この本を読んだ人が「こういうものが読みたかったんだ!」と言ってくださったとしたら、僕にとって、それほどうれしい言葉はありません。

 

 

2024年

3月

15日

内田樹さんの論考(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1491

たいせつなのは、「好きにやりたい人に好きにさせる環境作り」です。

 

 

2024年2月7日の内田樹さんの論考(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 僕は人間が生きてゆくためには相互支援共同体というものがどうしても必要だと考えています。そのような共同体に帰属していないと、個人では人は生きて行けません。

 その共同体の制度設計の基本ルールは「最も弱い人が自尊感情を持ってメンバーでいられること」です。

 ですから、そういう共同体では「フリーライダー」というものは概念上存在しません。

 フリーライダーというのは「共同体のリソースを分配されるだけ分配されるけれど、自分からは何も差し出さない人」のことです。

「フリーライダーはいない方がいい」というふうに、多くの人が思っています。

 思っているどころか、「フリーライダーを根絶する」ことが政治的正しさだと信じて、「生活保護受給者」をいじめたり、undocumented な在留外国人を「国に返せ」と言ったりする人の方があるいは多数派かも知れません。

 でも、僕はこれは端的に間違っていると思います。共同体は、「標準的な個体」ではなく、「最も弱い個体」を基本に制度設計されるべきだと思っているからです。最も弱い個体でも気持ちよく暮らしてゆけるように制度を調える。その方が共同体は強靭なものになるからです。

 だって、フリーライダーがもたらす損失なんて、たかが知れているんです。

 企業の場合だったら、「給料分の働きをしない」くらいのことです。測定可能ですし、実際はわずかな金額なんです。

 生活保護の不正受給だって、金額ベースで0.38%です。

 これをゼロにするために制度をいじる方がはるかにコストがかかります。

 日本育英会の奨学金は、返還しない滞納者が5%いるという理由で2005年に廃止になりました。95%の奨学生はきちんと返還していたのに、「奨学生は潜在的なドロボーである」と言い出した人がいて、「そうだそうだ」と唱和する人がいて、制度そのものがなくなりました。その結果、日本の学生たちは在学中から勉強する時間を削って必死でバイトをし、卒業後も奨学金返還のために自分のしたい仕事にも就けず、結婚もできず、子どもも作れず・・・というかたちで日本全体が貧しくなり、学術的生産力も激減しました。

 フリーライダーが得たわずかな金銭を奪還しようとしたせいで、システム全体が傾くことになったのです。それより奨学金の返還義務そのものをなくした方が、日本社会全体ははるかに大きな「富」を得たはずです。

 

 どんな組織も10%程度の「フリーライダー」を含んでいます。「分け前分働かない人たち」です。これは減らしようがない。でも、同じように10%程度の「オーバーアチーバー」も含んでいます。「分け前分を超えた利益を集団にもたらす人たち」です。この人たちのオーバーアチーブメントはしばしば彼らに分配される「富」の何倍、何十倍にも達します。

 だったら、「フリーライダーをゼロにする」制度改革に血道を上げる暇があったら、「オーバーアチーバーに気分よく仕事をしてもらう環境を整備する」方が、費用対効果は圧倒的によい。

「フリーライダーを組織のフルメンバーとしてにこやかに迎え入れ、オーバーアチーバーには好きにさせておく」という「メンバー全員が気分よく過ごせる」組織を設計するのが、いちばん賢いということになります。

 僕はそう考えています。これは頭でこねくりまわして出した結論ではなくて、経験から得られた知見です。

 たいせつなのは、「好きにやりたい人に好きにさせる環境作り」です。

 もちろん、「好きなことをさせてください」と言ってくる人すべてがオーバーアチーバーではありません。でも、いいんです。7%のオーバーアチーバーが集団内にいれば、集団はそこそこ機嫌よく存続できます。15%もいたら、もうすごい生産力です。それでいいんです。

 たいせつなのはオーバーアチーバーの「とりこぼし」をしないことですから。

 

 オーバーアチーバーの「価値」は、その人ひとりでどれだけたくさんのアンダーアチーバーを扶養できたかで考量されます。

 そういうものでしょ?むかしから。

 たくさんの家族を養い、みんなにちゃんとした服を着せて、ちゃんとした教育を受けさせることができた人は、みんなから「立派な人だ」と評価されます。

「おまえよくあんな甲斐性のない連中をだまって食わせてるな。あんなの棄てちゃって、一人で贅沢に暮らしたらいいじゃん」なんていう人はいません。

 それと同じです。

 

 僕は自分の共同体におけるオーバーアチーバーであろうとしています。どんな共同体にも必ず多少のフリーライダーやアンダーアチーバーを含んでいます。でも、僕はそんなことぜんぜん気にしません。だって世の中ってそういうものだから。それぞれ「役割」というものがあるんです。僕は、できるだけたくさんのメンバーが自尊感情をもって、愉快に過ごせるような「場」を立ち上げることが自分に託されたミッションだと思っています。

 救難信号があちこちから来るというのは、「君はそもそもオーバーアチーバーなんだから、自分の責務を果たしなさいね」というお知らせであって、それはにこやかに「あ、そうですか」と受信すればいい。僕はそう思います。

 

 君が受け取っている救難信号が具体的にどんなものか僕にはわかりませんけれど、「助けて」とひとに言われるというのは、とても「よいこと」なんです。それだけは覚えておいてください。

 

 そのときに君がした努力への「お返し」は、別のときに、まったくおもいもかけないかたちで戻ってきます。贈与のシステムはそれくらいには信じても大丈夫です。

2024年

3月

14日

飛鳥ハーフマラソン ☆ あさもりのりひこ No.1490

3月9日(土)真夜中、眠っているときに、左脚の脹ら脛が攣った。

土曜日は、左脚の脹ら脛が張っていた。

 

3月10日(日)、第3回飛鳥ハーフマラソン。

近鉄飛鳥駅から歩いて、キトラ古墳へ。

スタート・ゴールの会場に午前8時くらいに着いた。

気温は5℃くらい。

帽子、耳当て、長袖ティーシャツ、アンダーパンツ、タイツ、短パン、靴下、手袋、靴はアルトラ・エスカランテ。

水とエナジージェルは持たないで、エイドで調達することにした。

持ったのは、芍薬甘草湯ゼリーとスポーツミネラルを2袋ずつ。

 

1 6分26秒 130bpm

2 6分28秒 140bpm

3 6分39秒 146bpm

4 6分49秒 135bpm

5 6分15秒 136bpm

6 8分08秒 125bpm(トイレ)

7 6分27秒 139bpm

8 6分47秒 143bpm

9 6分51秒 144bpm

10 6分41秒 143bpm

11 8分09秒 148bpm(上り)

12 8分02秒 146bpm(上り)

13 5分37秒 135bpm(下り)

14 7分38秒 136bpm

15 7分14秒 143bpm

16 7分03秒 139bpm

17 7分28秒 141bpm(上り)

18 6分26秒 138bpm(下り)

19 6分28秒 140bpm(下り)

20  6分27秒 146bpm

21 6分11秒 153bpm

22 6分27秒 157bpm(570m

 

2時間27分54秒、21.57㎞、平均ペース6分52秒/㎞、総上昇量486m、消費カロリー1553㎉。

自己記録を更新した。

 

2022年 2時間28分09秒

2023年 2時間29分19秒

2024年 2時間27分54秒

 

 

2024年

3月

13日

内田樹さんの論考(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1489

「贈り物」をすると、すこしずつ自分が豊かになる。ただ、僕を豊かにする「富」は贈ったものと同じ種類のものじゃないんです。まったく別の種類の「富」です。

 

 

2024年2月7日の内田樹さんの論考(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

Q:以前ご返信をいただいた「きげんをよくすること」の中で、「救難信号を聴き取ってくれそうな甘さ」というお話がありました。わたしも、そういう方々に幾度となく甘えさせてもらったかわからないな...と内田先生やたくさんのお世話になった方々のお顔を思い浮かべながら、ふと感じたことがありました。

 救難信号を受け取れてしまう方々は、「聴こえちゃう」から、その人たちにばかり救難信号が届いて、てんてこまいになってしまうのでは...と。

 ちょっと話が違うかもしれないのですが、きげんよくしている人や元気な人に、「あいつ元気そうやし、こんくらい(あるいはこういう類の)仕事させても、いけるやろ」的な発想で、仕事がガサガサと振られるようなケースです。

 そうして仕事がバンバン飛んできても、サクサク捌ける人だと問題ないと思うのですが、仕事が増えすぎると、そういうふうにできない状態になってしまうこともあると思うんです。

 そして、救難信号を受け取っていた人が、ボロボロになってしまうような。

 あるいは、「元気なやつに仕事回してまえ」的な現場では、みんな肌感覚で「元気な姿を見せると仕事を増やされる」とわかっているために、仕事を振られまいと、不機嫌に振舞ったり、具合悪そうにしていたりします。(だから、余計に「元気そうな人」に一極集中的になるなんてことも...。)

 本来の生命力をそんなふうに自ら損なっていくなんて、内面的な自傷行為に近いと、個人的には感じています。

 でも、仕事を増やされたり、いやな仕事をしたくないから、自分を守るためにそういう本末転倒なことをしてしまう。

 そういうのって、なんだかよくないと思うのですが、自分のキャパシティとか、時間とか、人それぞれの限界はあるし、どうしたらいいんだろう?...と、立ち止まってしまいます。

 内田先生のもとには、じゃんじゃんお仕事が届き、じゃんじゃん救難信号が届いていると思いますが(この人生相談室だって、救難信号の一つですよね)、お仕事をこなされ、救難信号への手当てをされている姿を想像すると、それは千手観音のようにも思えていきます。

(いくつもの手でパソコンのキーボードをたたきつつ、数多の「助けて」サインに手を差し伸べるような...。あ、もちろんもっといろんなお仕事や救難信号対応をなさっているので、ほんの一例に過ぎませんが。)

 内田先生のおっしゃる「救難信号」を、具体的な生活の場で想像してみたときに、仕事の現場が思い浮かんで、つい書いてしまったのですが、救難信号のキャッチをしながら、自分のキャパシティとの折り合いをつける方法を教えていただけたらありがたいです。

 内田先生の秘技、というか、魔法を知りたいです。

 よろしくお願いいたします。

 

A:割りと切実なご質問でした。

 他者からの救難信号を聴き取る人のところにじゃんじゃん「助けて」という支援要請が集まってきて、キャパシティーを超えた場合はどうしたらいいんでしょう。

 これはまさに僕の現状みたいですね。いろいろな人から「ちょっと手を貸してください」ということを言われます。「頼まれたらいやとはいわない」ことを信条としていますので、だんだん仕事が増えます。

 頼まれたことを「ほいほい」やるというのも、ある種の「贈与」ですから、これは「頼んだ方」には「反対給付義務」が生じます(その話は「贈与」のときにしましたよね)。この「反対給付義務」を怠るとその人の身には「悪いこと」が起きる、とひろく信じられている。だから、ふつうは反対給付義務を果たします。それは「お返しに、なにかこちらの負担を軽減してくれる」というかたちをとるのが「ふつう」です。

「こちらの負担を軽減してくれる」というのは「僕がしなくちゃいけない面倒ごと」を代わりにやってくれるということです。実際に、僕のためにたくさんの人が「面倒ごと」を代わりにやってくれています。道場のお掃除も、IT環境の管理も、さまざまな年中行事の企画や実行も、人間関係の悩み相談も、仕事の紹介も、商品やサービスの「マルシェ的交換」も、僕がぼおっとしている間にみんながやってくれています。

 ですから、僕のところに来る救難信号は「僕宛て」で、たぶん「他の人では引き受けられないもの」だと思います。ですから、基本的には「はい」と返事をすることにしています。

 たしかに仕事は増えるんですけれども、それでも引き受けてしまうのは、なんというか、仕事をしていると、自分がちょっとずつ豊かになっていると感じるからです。

 

「贈り物」をすると、すこしずつ自分が豊かになる。ただ、僕を豊かにする「富」は贈ったものと同じ種類のものじゃないんです。まったく別の種類の「富」です。

2024年

3月

12日

近鉄大和八木駅に新たに「餃子たかすみ」開店@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当です。

 

今日は朝から土砂降りの雨、さらに電車の中でぶつかった人のお茶がかかり、

服が汚れて朝から憂鬱です😫

 

せめてもの救いは、今日一日は花粉の心配がいらないことですかね・・・💧

 

 

さて、先月2月3日、近鉄八木駅名店街に美味しい餃子の店が開店しました♪

 

「餃子 たかすみ」橿原本店

 

住 所  奈良県橿原市内膳町5丁目1-11-1

 

近鉄「大和八木駅」から徒歩1分

 

電話番号 0744-24-4244

 

営業時間 15002300

 

定休日  火曜日

 

H P  https://takasumi.com/

以前は、橿原市葛本町で営業されていたようですが、このたび八木駅前へ移転されました。

 

営業時間が15時からなのでランチをいただくことはできないのですが、どんな餃子か

気になるので、テイクアウト用の冷凍生餃子と揚げ餃子を早速購入してみました。

 

1パック24個だと少し多めかなと思ったのですが、こちらの「たかすみ餃子」は、

通常の餃子より小ぶりの餃子で、ニンニクは少し抑えめで生姜たっぷり効いています。

 

お店のたかすみという名前は、奈良県吉野郡東吉野村の高見地区が由来だそうで、

餃子の具材には、由来となった東吉野村の白菜のほか、 『国産皮内麦(北海道)』『国産牛肉』 『生姜(高知)』 『ニンニク(青森・奈良)』などが使用され、保存料等は使用されていません。

 

家に帰り、中を開けてみると、餃子の焼き方の案内も入っていたので、案内どおり

凍った状態のまま餃子を焼いてみると、しっかり焼き色がついた餃子が完成!

 

早速食べてみると、小ぶりだけど皮はもちもちしていて、野菜の甘みもしっかり感じられ、生姜が効いているのでしつこくなく、箸が止まらない!

 

1人前食べても83キロカロリーと、ローカロリーなのも嬉しいところ。

食が最近細くなった祖母もペロリと頂きました😄

 

同じく、購入した揚げ餃子も、皮はパリパリで、塩加減もほどよく美味しい~💖

どちらもお酒のお供にピッタリ♪ これはリピート確定です!!

 

 

これから暖かくなると、お花見のお供にもいいかも知れませんね。

気になる方はぜひ一度ご賞味ください(^_^)b

 

2024年

3月

11日

内田樹さんの「朴先生からのご質問シリーズ「本の未来について」」 ☆ あさもりのりひこ No.1488

メディアにとって、ほんとうにたいせつなのは、「風雪に耐えて生き延びることができる」と「誰でもその気になれば手作りできる」ことの二点ではないか

 

 

2024年1月30日の内田樹さんの論考「朴先生からのご質問シリーズ「本の未来について」」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

内田先生が、考えていらっしゃる「本の未来」についてお聞きしたいと思います。

 今まで人間が創り上げてきた「text-based」のものとしては「本」にまさるものはないでしょ。人間が創り出したあらゆる道具はどれも身体実感に裏づけられているように、紙の本の形を見ても、人間の身体実感に基づいて進化してきた「完全体」だと思われます。

しかしながら、今のところ映画やYoutubeなどをはじめ、さまざまなコンテンツが「本」に取って代わりつつありますね。それで、多くの人は「紙の本」はもう斜陽産業だと信じ込んでいるようです。

 このような厳しい状況で、これからの「本の未来」がどう繰り広げられるのか、先生のご意見を聞かせていただきたいです。

 

 僕は本というかたちはなくなることはないと思います。やはりこれは人類の偉大な発明です。情報媒体としてこれにまさるものは存在しないと思います。

 情報検索の仕方にはランダム・アクセス(random access)とシーケンシャル・アクセス(sequential access)の二種類があります。好きなところにいきなりアクセスできるのが「ランダム」、最初から順番に「当たる」まで検索するのが「シーケンシャル」。紙の本はランダム・アクセスとシーケンシャル・アクセスの両方が可能な媒体です。最初から頁をめくって最後まで読んでもいいし、読みたいところをぱらりを開いてそこだけ読んでもいい。

 とくに紙の本はランダム・アクセスにすぐれています。別に頁数を覚えていなくても、「北側の書架の上の方にある赤い表紙で、真ん中へんの、頁の端が折り返してあって、何度も読んだので手垢がついてるところ」というようなアバウトな検索が紙の本の場合は可能です。

 もし、僕の蔵書(1万冊ちょっと)がぜんぶ電子書籍化されていたら、書斎は広々として気分良いでしょうし、本を探す手間もかからないとは思いますけれど、「便利だな~」と言えるのは平時だけであって、「何か災害があった時」に電子書籍ではどうにもなりません。

 僕が「本はすごい」と思うようになったきっかけは1995年の震災のときです。マンションが傾くほどの被災状況でしたので、家具はほとんど倒れ、当然本棚も倒れました。スチール製の本棚はぐにゃぐにゃにねじまがってもう本棚としては使えなくなりました(全部棄てました)。でも、本は無事なんです。表紙が傷んだものはありましたけれど、製本がばらけたり、破れたりして読めなくなったという本は数千冊の蔵書のうち一冊もありませんでした。それに、だいたい「並べていた通りに床に落ちていた」ので、探している本はすぐに見つかりましたし、新しく本棚を買ってからもとに戻す作業も簡単でした。

 大学の研究室の本棚は作り付けだったので、本棚は壁に貼りついていて、本だけが床に散乱していました。これも数時間でもとに戻すことができました。

 うちはさいわいすぐに電気が通じて、灯りが使えたのですが、かりに電気が通じてなくても、本は昼間なら外光だけで読めます。これが電子書籍だったら、充電が切れたところで「おしまい」です。電気が通じるまで読めない。もし、長期にわたって停電状態が続くなら、インフラが復活するまで、数週間、数か月、「本なし」で暮らさないといけない。僕のような「活字がないと生きた心地がしない」人間にとって、それはまことにつらいです。

 そのときに紙の本というのはほんとうに「危機耐性が高いな」としみじみ思いました。洪水がきて、本がびしょぬれになっても、外で乾かせば、読めるようになる。さすがに火事で燃えたらおしまいですけれど、それ以外の自然災害に対しては紙の本は強い。

 便利さということで言えば、電子書籍の方がたしかに便利です。僕も電車の中で本を読むときは電子書籍です。重度の活字中毒なので、以前は旅に行く時には、途中で読む本がなくなったらどうしようと思って「予備の本」をニ三冊鞄に入れて旅をしたものですけれども、電子なら携帯で読めますから、荷物はずいぶん軽くなりました。これはすごく助かりました。それでも、うっかり充電器を忘れてしまうと、電気が切れたところで読めなくなってしまう。

 電子書籍は平時仕様です。それは「非常時には使えない」ということです。でも、自然災害も、戦争も、テロや内乱も、いつ起こるかわかりません。そのときに「本が読めない状態」が長期にわたって続くということに、僕は耐えられません。

 そういう人間は結局紙の本を手離さないと思います。

 それに電子書籍は手作りすることができませんが、紙の本なら疑似的なものであれば、自分で作れる。白い紙に鉛筆かペンで文字を書いて、それを綴じれば、「本のようなもの」は作れる。もうほんとに何も読むものがなくなったら、僕はたぶん自分で本を書きます。そして、それを読みます。他の人に読んでもらうこともできる。 

 その気になれば、手作りできるというのも、紙の本の最大の強みでしょう。

 今から60年ほど前、中学生の頃、僕はガリ版を切って、自分用の小さな印刷機で同人誌を作って、友だちに配布していました。自分が読みたいけれども、誰も書いてくれないし、どこにも売っていないような本は自分で作るしかないというのは、思えば、13歳くらいからあと、僕の基本姿勢でした。

 大学生のときは政治的なパンフレットをたくさん書きました。これもガリ版刷りです(ということは停電しても平気ということです)。ときにはずいぶん長いものを書きました。

 大学を出て10年くらい後に、親友の平川君の家に遊びに行ったときに、彼が押し入れの奥から黄ばんだ紙束を取り出してきて、「これ書いたの内田だろ」と訊いたことがありました。

読んでみたら、1972年くらいの東大駒場の学内の学生運動の分析がなされ、そこでこれからどのような政治潮流を創り出すべきかが書いてありました。遠い昔のことなので、そこに書かれていることの意味はもうさっぱり分かりませんでしたけれど、十行ほど読んだところで「これを書いたのはオレだ」ということがわかりました。ナントカ委員会という名だけがあって、個人名は書いてなかったんですけれど、わかりました。たかだか100部くらいしか刷らなかったのですけれど、それが人の手から手へと渡って、早稲田大学のキャンパスで平川君の手に落ちた。

 紙の力って、けっこうたいしたものだなと思いました。ふつうはそんなもの、もらってもすぐにゴミ箱に捨ててしまうんですけれど、読んで「これ、おもしろいな」と思った人がいて、「これ、読んでみろよ」と言う言葉と一緒に人から人へと手渡しされて、東京都内を20キロくらい移動して、平川君に届いた。

 そういうことはたぶん電子書籍やネット上に書かれたことについては、あまり起こらないような気がします。10年以上前に書かれたネットテクストを誰かがだいじに保存しておいて、友だちに見せるというようなことって、たぶんないような気がします。でも、紙だとある。

 先日、学生時代に平川君といっしょに出していた同人誌「聖風化祭」のバックナンバーを友だちが「本棚の整理をしたら出て来たよ」と言ってもってきてくれました。50年前に出したものです。よくそんなものが残っていたなあと思います。紙の本の保存力はすごいと感心しました。

 文字を読むメディアにはいろいろな条件が求められると思います。いまはほとんどの人が「利便性」と「価格」だけでそのメディアの優劣を決めています。でも、メディアにとって、ほんとうにたいせつなのは、「風雪に耐えて生き延びることができる」と「誰でもその気になれば手作りできる」ことの二点ではないかと思います。その点で紙の本にまさるものを人類はまだ発明していないと思います。

 

 

2024年

3月

08日

内田樹さんの「維新的民主主義」 ☆ あさもりのりひこ No.1487

民衆はしばしば権力を託する人間の選択を誤る

 

 

2024年1月29日の内田樹さんの論考「維新的民主主義」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ある新聞にときどき寄稿しているコラムの今月号にこんなことを書いた。 

 

 ある雑誌から「大阪でどうして維新はあれほど支持されているのでしょうか」という取材を受けた。同じ問いは10年以上前から繰り返し受けている。そのつど返答に窮する。維新は地方自治では失政が続いているし、党員の不祥事も止まらないのに選挙では圧勝するからである。

 コロナ禍で大阪府は死者数ワースト1だった。看板政策の大阪都構想は二度否決された。全長2キロ「道頓堀プール」で世界遠泳大会を開催した場合の経済波及効果は「東京五輪を超える」と堺屋太一氏は豪語した。でも、資金が集まらず最後は80メートルにまで縮小されたがそれもかなわずに放棄された。学校と病院の統廃合が進み、公立学校と医療機関は今も減り続けている。管理強化の結果、教員志望者が激減して、学級の維持さえ難しくなっている。市営バスの運転手の給与カットは橋下市長が最初に行った「公務員バッシング」だったが、運転手が不足し、バスの減便・廃線が起きている。来年の大阪・関西万博もおそらく歴史的失敗に終わり、重い財政負荷を住民に残すことになるだろう。

 どの施策を見ても、市民府民にとっては行政サービスの劣化をもたらすものばかりである。にもかかわらず大阪の有権者たちは維新に圧倒的な支持を与え続けている。なぜなのだろう。

 もう17年前になるが、橋下徹氏が大阪府知事に立候補した時に、神戸女学院大学のゼミの学生たちに「彼に投票するかどうか」訊いたことがある。12人中10人が「投票する」と答えた。理由を尋訊ねたら「すぐに感情的になる」「言うことが非論理的」「隣のお兄ちゃんみたいで親しみが持てる」という答えだった。

 なるほど。自分たちの代表としては自分たちより知性徳性において卓越した人ではなく、「自分たちと同程度の人間」がふさわしいと彼女たちは考えていたのだ。確かに民主主義の妙諦はそこにある。

 アレクシス・ド・トクヴィルは『アメリカの民主主義』の中で、アンドリュー・ジャクソン大統領について「その性格は粗暴で、能力は中程度、彼の全経歴には、自由な人民を治めるために必要な資質を証明するものは何もない」というにべもない人物評を記している。だが、そのジャクソン将軍をアメリカ人は二度大統領に選んだ。

「民衆はしばしば権力を託する人間の選択を誤る」とトクヴィルは書く。でも、それでいいのだ、と続ける。重要なのは、支配者と被支配者の利害が相反しないことだからだ。「もし民衆と利害が相反したら、支配者の徳はほとんどの用がなく、才能は有害になろう。」

 卓越した政治的能力を持ち、有徳な統治者は、民衆の意に反しても「自分が正しいと信じたこと」を断行することができる。実際にその能力を行使するかも知れない。それよりは徳性才能において民衆と同レベル程度の人間を統治者に選ぶ方が安全だ。彼らは有権者の意に反して「自分が正しいと信じたこと」を断行することはしないはずである。逆に、「こんなことをしてもろくな結果にならない」とわかっていても、やると有権者が喜ぶことならやる。

 これはポピュリズム政治の本質を衝いた卓見だと思う。

 大阪の有権者たちはトクヴィル的な意味ですぐれて「民主主義的」なのだと思う。

 利己的であったり、嘘をついたり、弱いものいじめをしたりするのは「誰でもすること」である。「誰でもすることをする政治家」こそが民衆の代表にふさわしいというのはロジカルには正しい。

 

 果たして、大阪のこの「民主主義」はこれからどういう社会を創り出すことになるのか。私は深い関心をもってそれを見つめている。

2024年

3月

07日

飛鳥ハーフマラソンへの道 その7 ☆ あさもりのりひこ No.1486

2月21日(水)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミルでビルドアップ走、30分、4.48㎞、傾斜2.0%、消費カロリー382㎉、手首に重り1㎏×2。

時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、時速8.8㎞(6分45秒/㎞)、時速9.2㎞(6分30秒/㎞)、時速9.6㎞(6分15秒/㎞)でそれぞれ1㎞、時速10.0㎞(6分00秒/㎞)で480m走った。

 

2月22日(木)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

 

2月23日(金・祝)早朝、雨、西園美彌さんの魔女トレ。

 

2月24日(土)早朝、階段1045段、46分47秒、6.19㎞、平均ペース7分34秒/㎞、総上昇量90m、消費カロリー472㎉。

7分41秒、8分29秒、7分25秒

7分21秒、7分59秒、6分52秒

5分22秒(190m

この行程の自己記録まであと9秒届かなかった。

 

2月25日(日)雨、安足日。

 

2月26日(月)早朝、全力・ジョグ・全力、35分08秒、6.199㎞、平均ペース5分10秒/㎞、累積上昇77m、消費カロリー366㎉。

1 6分33秒(200m)

2 5分26秒

3 5分54秒

4 5分54秒

5 6分12秒(900m)

6 5分08秒

7 5分19秒

8 5分19秒(100m)

この行程の自己記録を9秒更新した。

 

2月27日(火)早朝、ビルドアップ走、35分20秒、6.2㎞、平均ペース5分42秒/㎞、総上昇量93m、消費カロリー422㎉。

1 6分11秒

2 6分07秒

3 5分30秒

4 5分47秒

5 5分19秒

6 5分22秒

7 5分21秒(200m

この行程で2番目のタイムだった。

 

 

 

2月28日(水)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミルでビルドアップ走、30分、4.48㎞、傾斜2.0%、消費カロリー382㎉、手首に重り1㎏×2。

時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、時速8.8㎞(6分45秒/㎞)、時速9.2㎞(6分30秒/㎞)、時速9.6㎞(6分15秒/㎞)でそれぞれ1㎞、時速10.0㎞(6分00秒/㎞)で480m走った。

 

2月29日(木)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

 

3月1日(金)早朝、インターバル走、35分37秒、6.169㎞、平均ペース5分46秒/㎞、累積上昇89m、消費カロリー375㎉。

1分21秒(200m)(6分47秒/㎞)

5分20秒、1分20秒(200m)(7分12秒/㎞)

5分33秒、1分37秒(200m)(6分45秒/㎞)

5分36秒、1分29秒(200m)(8分56秒/㎞)

5分33秒、56秒(200m)(5分52秒/㎞)

5分34秒、1分12秒(200m)(5分30秒/㎞)

 

3月2日(土)早朝、丘の階段641段、45分03秒、7.18㎞、平均ペース6分17秒/㎞、総上昇量133m、消費カロリー510㎉。

1 6分00秒(上り下り)

2 6分04秒(上り)

3 6分31秒(上り下り)

4 7分56秒(階段)

5 7分15秒(上り下り)

6 5分07秒(下り)

7 5分14秒(上り下り)

8 5分09秒(180m

この行程の自己記録を1分57秒短縮して新記録達成!

 

3月3日(日)早朝、ジョギング、1時間17分55秒、12.41㎞、平均ペース6分17秒/㎞、総上昇量214m、消費カロリー866㎉。

1 6分46秒(上り下り)

2 6分38秒(上り)

3 6分53秒(上り下り)

4 6分08秒

5 6分08秒

6 5分53秒

7 6分05秒

8 6分03秒

9 6分51秒(上り下り)

10 7分26秒(上り下り)

11 5分29秒(下り)

12 5分27秒(上り下り)

13 5分10秒(410m

 

3月4日(月)安足日。

 

3月5日(火)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミルでビルドアップ走、30分、4.48㎞、傾斜2.0%、消費カロリー382㎉、手首に重り1㎏×2。

時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、時速8.8㎞(6分45秒/㎞)、時速9.2㎞(6分30秒/㎞)、時速9.6㎞(6分15秒/㎞)でそれぞれ1㎞、時速10.0㎞(6分00秒/㎞)で480m走った。

 

3月6日(水)早朝、雨なので西園美彌さんの魔女トレ。

 

 

3月7日(木)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

2024年

3月

06日

内田樹さんの「朴先生からのご質問シリーズ、最終便「学知について」」(後篇) ☆ あさもりのりひこ No.1485

学術研究が集団の営為であり、すべての研究者たちは、過去の人たちも、これから生まれてくる人たちも含めて「研究者集団」という多細胞生物をかたちづくっていて、自分はそのうちの一細胞なのだ

 

 

2024年1月28日の内田樹さんの論考「朴先生からのご質問シリーズ、最終便「学知について」」(後篇)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 若い学者たちが僕の態度を「ルール違反」と感じたのは、ただ僕があれこれ専門外のことに口を出すということではないと思います。そうではなくて、僕が「私たち」という匿名的な知の主体として語ることを止めたからだと思います。僕は個人史を持ち、身体を持ち、それゆえ固有の無知や偏見や感情に囚われた一人の人間として研究をしています。「私たち」を棄てて、「私」という一人称単数形で語ります。それがおそらく「ルール違反」と認定されたのだと思います。だって、無知や偏見込みで語ることができるなら、「どんなことについても、何でも語れるじゃないか」ということになりますから。

 いや、まことにその通りなんです。僕がどんなことにも無節操に口を出すのは、「何でも語れる」からです。僕は「大きな主語では語らない」。「私」の固有名において語り、語ったことがもたらす責任は自分ひとりで引き受ける。僕は別に真理の名において語っているわけじゃありません。「私の個人的意見」を述べている。

 でも、勘違いして欲しくないのですが、そう腹をくくっていられるのは、僕が学者たちの集合的な営みに深い信頼を寄せているからです。

 僕が「学術的貢献」というものを果たし得るとしたら、それは集合的な知的生産のうちで「僕以外の誰にでも代替できない仕事」をすることによってです。「他の人でもできることを他の人より手際よくやる」ことによってではありません。僕は自分の仕事をする。それは、僕が「他の研究者たち」の誠実な仕事ぶりを当てにしているからです。僕が断片的であることができるのは、僕の断片的な知でも、「他の研究者」たちのかたちづくる集合的学知に加算してもらえると、それなりの有用性を持ち得ると信じているからです。

 一人であれもこれもやる必要はないんです。野球で守備をするときに、一人で投げて受けて守備をして・・・ということはできません。僕がもしライトなら、ライトの守備範囲だけきちんと守っておけばいい。一人で全フィールドを走り回ることなんかない。その代わりにライトから見えた夕暮れの空の色や、吹き抜ける風の冷たさや、観客たちの声や、流れて来るポテトチップの匂いや、ライトフライを取るときぶつかったフェンスの感触をきちんと経験しておいて、それをその時ライトを守っていなかったすべてのプレイヤーのために、その時に球場にいなかったすべての人たちのために記憶し、記述することの方が、ずっと有用なんじゃないか。ある時期から僕はそんなふうに思うようになりました。

 僕の仕事はごく断片的なものに過ぎない。僕が目を通した文献や史料は、僕が直感的に手に取ったものだけで、まったく体系的でも網羅的でもありませんでした。でも、それでいいじゃないか、と。それは他ならぬ僕固有の断片性だからです。僕がある本を読み、ある本を読まなかったのは、僕なりの無意識の選択の結果です。でも、こういう言い方を許してもらうなら、僕の断片性は僕だけのものだし、僕の無知は僕だけのものであり、その断片性と無知には僕の固有名が記されています。そして、このような個人名を刻印された無数の「断片性と無知」の総和として集合的な学知は成り立つ。僕はそんなふうに考えています。

 

 研究論文を書く時に、「大きな主語」で語る必要はない。そう思うようになってから、僕はずいぶん自由になったように思います。もし僕が「私たち」的な学術主体を書き手に擬していたら、レヴィナス三部作は書かれなかったでしょう。だって、もしも、「リトアニアの歴史と地政学を知り、ロシア語とドイツ語とヘブライ語を習得し、篤学のラビについてタルムードの弁証法を学ぶことなしにはレヴィナスを語る権利はない」という人が出て来たら、あるいは「そもそも自分自身が反ユダヤ的迫害も戦争も捕虜生活もホロコーストも経験していない人間にレヴィナスを語る資格はない」という人が出てきたら、僕は黙るしかないからです。でも、僕は黙りたくなかった。

 それは「弟子」というポジションから書きたかったからです。「私たち」という鳥瞰的・観想的な主体から書くことを放棄して、僕は研究対象について「よく知らない、でももっと知りたい」という欲望に駆動されて書くことを選びました。それは手探りで暗闇の中を進んでゆくような研究の仕方です。ですから、序論で全体を予示することもできないし、ある結論に至るために過不足なく材料を調えることもできません。直感に導かれて書いているうちに、うまい具合に見通しが立つ場合もあるし、袋小路に入り込んでしまって分岐点まで引き返してやり直しをすることもあるし、同じ話を何度も何度も繰り返すということもあります。どれも「私たち」が一望俯瞰して書く学術論文では許されないことです。でも、僕はある時期からどれほど不細工でも、「正直に書く」ことを最優先するようにしました。

 その結果、僕の書くものはどれも「長い断片」になりました。ごく個人的な知見を書き綴ったものです。それでも、集合的な学知の「素材」くらいにはなると思って書いています。

 学者の野心は「最後の、決定版の研究論文」を書くことだと僕は思いません。その人がその論文を書いたせいで、もう誰もその論件については語らなくなった・・・というようなものを書くことが学者の栄光であると僕は思いません。むしろ、その人がその論文を書いたせいで、「われもわれも」とその論件について語り出す人が出て来た・・・ということの方を学者は喜ぶべきではないでしょうか。

 残念ながら、僕のような学問理解をする人は、日本のアカデミアでは例外的少数です。学術研究が集団の営為であり、すべての研究者たちは、過去の人たちも、これから生まれてくる人たちも含めて「研究者集団」という多細胞生物をかたちづくっていて、自分はそのうちの一細胞なのだという考え方は、あまり一般的ではありません。

 

 朴先生からのご質問は「内田が学者として創り上げてきた学知は何か?」というものでした。僕の答えは「そのようなものはありません」です。

 

 僕は「学知というのは集合的なものだ」というふうに考えています。僕はその集合的な学知の素材に使ってもらえるかもしれない断片をレヴィナスについて、カミュについて、あるいは武道について、映画について、手作りしてきました。これからも僕は自分の「煉瓦」を手作りしてゆくつもりです。それが後世の誰かに拾われて、「あれ、この煉瓦はこの建物の材料に仕えるかもしれないぞ」と思ってもらえるなら、それにまさる喜びはありません。

2024年

3月

05日

相談することの大切さ

本日のブログは、事務局の担当です。

通勤途中の店舗の桜が八部咲きです。

八分咲きの桜
八分咲きの桜

また先週末で、高校の卒業式が終わったからでしょうか、高校生のグループがスーツケースを持って出かける様子をたくさん見かけ、この様子もなんか春の訪れにも感じますね。

しかし、最も受験者数の多い公立高校の入学試験はこれからで、この結果が出る頃が、本格的な春ですね。

この時期になると、私の高校の入学試験前の事をよく思いだし、その中には、母親が色々な方に意見を聞いて、合格祈願にお参りに行っていて、その内の一つに桜井市に在る安倍文殊院が有りました。

そして、度々「三人寄れば文殊の智恵」、他の人に相談すれば素晴らしい智恵がでるということわざだと言ってました。

そのことわざは、今の仕事をしていて、いろいろな場面で思うことがあります。

特に法律相談に来られる方の中に、長い間1人で悩んでおられ、なぜもっと早く相談されなかったのかと思える相談が多々あるからです。

1人で、悩んでいるとストレスが溜まり、蓄積すると脳内で炎症が発生して、免疫力などが落ちて、病気になりやすくなるそうで、冬などは、風邪をひきやすくなるそうです。

「病は気から」という言葉が、医学的にも解明されつつあるようです。

だからこそ、予防的にみても、まずストレスや悩みを減らすことが、普段からとても大事なことで、悩みがあれば、誰かに相談することです。

相談する事で、自分の中でも悩み事が整理され、人に話すことで、かなりストレスの発生を防げます。

更に、相談して解決すればなによりです。

悩みの原因が法律的なことであれば、なら法律事務所にお気軽にお電話することをお奨めします。

2024年

3月

04日

内田樹さんの「朴先生からのご質問シリーズ、最終便「学知について」」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1484

集合的な知的パフォーマンスを向上させる人を僕は「知性的な人」とみなします。

 

 

2024年1月28日の内田樹さんの論考「朴先生からのご質問シリーズ、最終便「学知について」」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

第二番目の質問は、内田先生が学者としていままで創り上げられた「学知」などがありましたら教えて頂ければ幸いです。

 

 

 さあ、これが最後の質問ですね。これもまた、日本のメディアから一度も訊かれたことのない問いです。せっかくの機会ですので、真剣にお答えすることにします。

僕が長期にわたって専門的な訓練を受けたのは、20世紀のフランスの文学・哲学の研究と、武道(合気道)の二つの領域です。この二つについては「それでご飯が食べられるくらい」の訓練は受けてきました。

 フランス文学・哲学についての業績はレヴィナス三部作(『レヴィナスと愛の現象学』、『他者と死者』、『レヴィナスの時間論』)と『前―哲学的』に収録されたいくつかの学術論文があります。『私家版・ユダヤ文化論』も長年にわたる思想史研究の成果ですから、学術的業績にカウントしてよいと思います。助手時代から書いた学術論文はその多くがそのあと単行本として出版されました。中には賞を頂いたものもありますから、学者としてはまことに恵まれた人生だったと思います。

 ただ、僕はフランス文学・哲学の研究者としては評価があまり高くありません。いや、正直に「低い」と言った方がいいですね。僕がメディアに出る場合、つけられる肩書は多くの場合「思想家・武道家」です。「翻訳家」と紹介される場合もありますし、「評論家」とか「哲学者」という肩書を付けられたこともあります。でも、「仏文学者」という肩書でメディアに登場したことは過去に一度もありません。なぜ日本のメディアは僕を「仏文学者」として認定してくれないのでしょう。これはメディアの側にやはり一つの暗黙の合意があるのだろうと僕は思います。僕は「思想家」や「評論家」ではあっても、「学者」ではないという合意です。

 なぜ、僕は学者としては認知されないのでしょうか。

 

 これは友人の研究者から聞いた話です。彼が学会のあとの懇親会で若手研究者たちとおしゃべりしているときに、たまたま僕のことが話題になったそうです。そのときに、40代の研究者たちが口を揃えて「内田はダメだ」という辛い評価を下したそうです。友人は興味がわいて「どうして?」と訊いたら、「自分の専門外のことに口を出し過ぎる」という答えだったそうです。

 たぶん、この評語は、僕についてついてまわるものだと思います。なぜ、ひとつの専門領域に自分を限定せずに、あれこれと口を出すのか。彼らのその言い方には「怒り」に近いものが感じられます。

 たぶん僕は「ルール違反」を犯しているのだと思います。それは若い人たちも、研究者・学者として生きることを選んだ時点で受け入れたルールです。それを受け入れないとアカデミアでは生きていけないと思った。でも、僕は「ルール違反」を犯しながらなお大学の教師をしたり、研究書を書いている。内田のケースはあくまで例外的であり、本来学者として許される生き方ではない。そういう暗黙の合意があるのだと思います。僕の生き方をアカデミアに対する敬意の欠如だとみなすなら、彼らの「怒り」もわかります。

 では、僕が犯している「ルール違反」とは何か。

 それは僕が研究対象について「一望俯瞰的」な仮説的立場をとらない/とることができない、ということにあるのだろうと思います。

 学術論文において、主語は「私たち(We/Nous)」を用いるのがふつうです。それは研究を導いているのは、個人ではなく、ある種の「集団的な知性の働き」のようなものだとされているからです。抽象的で、透明で、いかなる主観性からも離脱し、もちろん身体も持たない「私たち」が研究の主体に擬されている。そして、この身体をもたないし、個人史も持たない「私たち」は高みから、自分自身の研究の論程を一望俯瞰している。

 これが学術論文を書く時の基本的な作法です。朴先生もそういうアカデミアのルールは熟知されていると思います。

 ですから、論文の「序文」において、「私たち」は、これから自分が行う研究の全行程を鳥瞰的に眺め、論程をざっと要約して、結論がいかなるものであるかを予示できる者として登場します。論述が始まる前の時点で、すでに論文の結論まで知っているものが「私たち」です。そういう観想的な「私たち」を主体に擬すことなしに学術論文は書くことができません。

 僕もある時期まではそういうスタイルで書いて来ました。序論を書いている時点で結論まですでに見通しているような「透明な知」の名において論文を書いてきました。『前―哲学的』をお読みになったときに、朴先生はおそらく「これらの論文を書いているときの内田の書き方って、今とずいぶん違うな・・」という微妙な違和感を覚えたのではないかと思います。自分で読んでもそう思います。それはとりあえずの論件については「観想的主体」として書いているからです。「このトピックにかかわる必要な学術情報を私たちは上空から俯瞰しており、それらを熟知した上で書いているように書く」というのが学術論文を書く時の基本的なマナーです。

 だから、学会で発表している人間に対して、「あなたは、この論件について書かれた・・・の論文を読んだか?」という質問が致命的なものになり得るのです。この問いに対して「知りません」と答えるのは、アカデミックな基準では「負けを認めること」を意味します。

 僕は学会でそういう場面に何度も立ち会いました。そして、「・・・を読んだか?」「なぜ、・・・に言及していないのか?」という知識の欠如を一つでも指摘すると、発表者に致命傷を与えることができるという「アカデミアのルール」に対して、ある時期から深い疑問を抱くようになりました。

 自分の論程の全体をはるか高みから一望俯瞰しているという「設定」は、そんなに必須のものなのだろうか。網羅的であることは研究にとってそれほど本質的なことなのだろうかと思い出したのです。「なかなか独創的で生産的なアイディアを提示したのだけれども、これについて研究する人間なら当然読んでいるべき基礎的文献を読み落としていたので、学術的には価値がない」という推論は間違っていると僕は思います。

 というのは、学問というのは「集団的な営為」だからです。誰かがある知識を欠いていたとしても、別の誰か、その知識を持っている人が、「ほい」とそこに補填してあげれば、その人の研究のうちで価値あるものは「価値あるもの」としてそのまま救い出すことができる。まとめて「ゴミ箱」に放り投げるより、ずっとその方が生産的です。

 何より僕が「豊かな研究」と評価するのは、その人がその研究をしたことによって、反論であれ、擁護論であれ、解釈であれ、祖述であれ、多くの人が「それについて語る」ような研究です。集団的な知の活動を解発するような研究です。集合的な知的パフォーマンスを向上させる人を僕は「知性的な人」とみなします。僕はある時期からそんなふうに考えるようになりました。

 

 

2024年

3月

01日

内田樹さんの「初動の遅れについて」 ☆ あさもりのりひこ No.1483

「決められた手順」が「首相も知事も議員も決して被災地入りしてはならない」であったとしたら、それには「今の時点で原発がどういう状態になっているかわからない」というのが最も蓋然性の高い理由である。

 

 

2024年1月26日の内田樹さんの論考「初動の遅れについて」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

1月12日に「政府と県の初動遅れは原発マターだろう」ということを信濃毎日に寄稿した。その時点では、裏のとれない推測だったけれども、その後にやはり原発が「警戒事態」相当であったことがわかった。

 志賀町では震度7を記録した。原子力災害対策指針によれば、原発所在市町村で震度6以上の地震が発生した場合は「警戒事態」とみなされる。「警戒事態」認定されれば、原発5キロ圏の高齢者や妊婦らは避難準備を始めなければならず、搬送先や輸送手段の確保も求められる。もちろん発災直後であるから、避難準備も搬送先も輸送手段も国にも県にも何一つできるわけではない。だから、「原発はなんでもありません」と言い張るしかなかったのである。

 私の推理を再録する。

 

 能登半島の地震の被災者の救難活動が遅れている。とりわけ最初に大々的に報道されたのが所属国会議員による被災地視察の自粛についての六党申し合わせであったことに私は強い違和感を覚えた。ジャーナリストやボランティアについても「現地に入るな」という組織的な投稿がネットではなされた。不要不急の人間が被災地にいると救助活動の妨害になるからという。ドローンも飛ばしてはならないと指示された。ヘリコプターの救難活動の邪魔になるからという。岸田首相自身「私も被災地に入らない」と明言した。

 正直言って、この発言の真意が私にはよくわからなかった。総理大臣は救助活動の指揮官である。その指揮官が「私が現場に行くと救助活動の邪魔になる」と自分で言うということがあり得るだろうか。「ない」と私は思う。現場に行って邪魔になるような指揮官なら後方にいても役には立つまい。

 初動の遅れについて政府の不手際をなじる論調がメディアでは支配的だ。別に官邸機能が麻痺するような大事件が起きたわけではないのだから、首相は決められたマニュアル通りに対処したはずである。そして、「決められた手順」が「首相も知事も議員も決して被災地入りしてはならない」であったとしたら、それには「今の時点で原発がどういう状態になっているかわからない」というのが最も蓋然性の高い理由である。

 モニタリングポストが壊れて、放射性物質の飛散状況が正確に確定できなかったのだろうか。だとしたら、確定的なデータが取れるまで「政府要人は現地入りしない方がいい」というのは合理的な判断である。

「初動が遅い」という批判に対して政府が「いや、マニュアル通りに行動しました」という弁明をなさなかった合理的な理由として私はそれしか思いつかない。もし、それ以外の理由があり得るとしたら、誰か教えて欲しい。

 

 

2024年

2月

29日

2月のラディ、タニタ、ガーミン&エプソン ☆ あさもりのりひこ No.1482

2月の放射線量と体組成とランニングについて書く。

 

まず、奈良県橿原市の環境放射線量(ガンマ線)から。

2024年2月の平均値はつぎのとおり。

室内1メートル 0.0422μ㏜/h

室内0メートル 0.0443μ㏜/h

室外1メートル 0.0575μ㏜/h

室外0メートル 0.0722μ㏜/h

地表が高いな。

 

つぎに、朝守の身体について。

2024年2月24日の数値はつぎのとおり。

体重 69.50㎏

BMI 21.

体脂肪率 15.6%

筋肉量 55.65㎏

推定骨量 3.0㎏

内臓脂肪 11.

基礎代謝量 1596/

体内年齢 49才

体水分率 58.4%

なんとかBMIは22を切っているが、体重が増加気味である。

 

最後に、2024年2月のランニングの結果。

走行時間 16時間13分26秒

走行距離 148.544㎞

  累積標高 2529m

 3項目とも1月を上回ったが、20時間、200㎞には届かなかった。

 

 

 

2024年

2月

28日

内田樹さんの「福田村事件」(後編) ☆ あさもりのりひこ No.1481

ある人が、「何をしても罰されない」という環境に置かれたときに、どこまで非人間的になれるか、それは平時にはなかなかわからない。

 

 

2024年1月25日の内田樹さんの論考「福田村事件」(後編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 この物語を深みのあるものにしているのは、これが定住民と旅する遊行の民の間の分断の物語でもあるからだ。

 福田村の村人は定住民であり、村から出ず、村の内側しか知らず、そのローカルなものの見方に束縛されている。一方、行商人たちは日本中を旅する遊行の民である。彼らは「村の外」にはそれとは違う社会があることを知っている。

 そしてこの二つの集団の中間に、村に定住しきれない人たちがいる。半ば定住し、半ば旅する人である。船頭田中倉蔵(東出昌大)、朝鮮帰りの澤田智一(井浦新)、その妻静子(田中麗奈)、村長田向龍一(豊原功補)の四人がそれにあたる。彼らは全員それぞれの理由で村の共同体から「浮いて」いる。

 

 定住民が遊行する人を差別し、迫害し、排除するということは、これまでも繰り返し行われてきた。それは定住民から見て、遊行の人々が「異物」だからである。「異物」は嫌悪の対象であると同時に激しく欲望をかきたてる対象でもある。行商する人々はその「異物」性をある種の商品として売ってもいる。そういう意味では危険な仕事である。

 

 福田村の物語は、定住民の遊行の民に対する違和感がある限度を超えて、殺意に変わる一瞬を劇的クライマックスとする。その時、半定住・半遊行の四人が、「間に入って」惨劇を阻止しようとする。

 この四人がそうするのは、とりわけ正義感が強いとか、常識的であるということではない。村人が行商人に向ける殺意は潜在的に自分たちにも向かっていると感じたからである。これを看過すれば、いずれこの暴力は自分たちにも向かうかも知れない。そう感じたからである。自分たちは今のところは「浮いている」だけだけれど、いつ、どういう理由で村人から「異物」認定されて、排除されるかわからないということに気づいているからである。

 

 この四人の中でも東出昌大演じる船頭がきわだって「中間性」が高い。彼は一応村に居を構えているものの、村外れに住んでおり、村人との交わりから微妙に遠ざけられている。それは彼が川の上を仕事場とする「海民」だからである。

 海民、山人、商人、遊女、ばくち打ち、修験、勧進聖、大工、鍛冶といった職業の人たちは網野善彦によれば「無縁の人」である。この世の秩序に「まつろわぬ」人たちである。

 だから、川を住まいとする船頭と街道を住まいとする行商人は「無縁」という点では同類なのである。

 

 船頭が独特の性的魅力を放つという設定も、彼が「海民」であるという設定を知れば理解に難くない。それは彼の個人的魅力というより、船頭という職能がもたらす「ここ」と「こことは違う場所」を架橋する「ただものではない」たたずまいから発するものだ。それゆえ、女たちは「ここではない場所」を望むときに、こういうタイプの「無縁の男」に激しく惹きつけられる。

 だから(絶対に無理だとは思うけれど)、東出昌大が登場する場面のBGMに「船頭小唄」が流れていれば...と私は思った。「おれは河原の枯れすすき 同じお前も枯れすすき どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき」という野口雨情作詞・中山晋平作曲の「船頭小唄」は福田村の近く、水郷の古謡を採譜した曲である。

 

 朝鮮帰りの澤田夫妻は、インテリであり「ここではない外の世界」を知っている。だから、服装も言葉づかいも村から「浮いて」いる。静子が情事の相手に選ぶのが船頭であるのは、彼もまた「ここ」に本当には根付くことができない「無縁の人」だからである。

 

 映画について「セックスが過剰だ」という評言が多いと聞いたけれど、これは作り手の作為だろうと思う。閉じられた村落共同体では、村人たちの関心事は「セックスだけ」ということがしばしばおこる。誰と誰が通じているということばかりに関心が集まることそのものが村の閉鎖性を表象している。

「無縁の人」「浮いている人」の側に美男美女が多く、定住民の側が造形的には醜く描かれていたのは、現実にそうであるということではない。定住民には性的魅力がなく、遊行の民は誘惑的に「見える」という幻想を投影しているのである。そして、それがまた定住民たちの遊行の民への憎悪をかき立てもする。

 

 この映画を観て、若い人は「自分はこんな状況になっても虐殺には加担しない」と思うかもしれないが、それはわからない。誰でも虐殺の加害者になり得る。60~70年代の学園紛争を経験した世代として証言するけれども、ふだんおとなしそうな学生がいきなり節度のない暴力をふるうということは「よくあった」。

 実際に、外から見ると区別もつかないようなわずかな政治綱領の違いから違う党派の学生同士が殺し合いを演じた。鉄パイプで人の頭を殴って、頭蓋骨を割るというようなことを、さしたる心理的抵抗なしにできる人がいるということを私はその時に知った。

 ある人が、「何をしても罰されない」という環境に置かれたときに、どこまで非人間的になれるか、それは平時にはなかなかわからない。だから、できるだけ「何をしても罰されない」状況を作り出さないように私は今も個人的に努力している。

 

 本作で一点、違和感を覚えたのは、虐殺の火蓋を切ったのが女性だったことである。これは意外性を狙った脚本家の工夫なのかも知れないが、いささか無理があると思った。というのは、私が知る限り、「何をしても罰されない」状況で、いきなり人を傷つけたり、必要もなく物を壊すのは、つねに男性だったからである。

 女性にももちろん暴力性はある。けれども、それは必ず「よく知っている人間」に向かう。女性の暴力は相手に対する強い感情が絡む。女性が「行きずりの人」に対して「殺すのは誰でもよかった」というタイプの殺意を向けたという殺人事件は私の記憶にはない。

 

 私たちが内蔵している潜在的な暴力性を抑制するために必要なのは「感情教育」だと私は思っている。感情が深く、豊かで、複雑になれば、怒りや憎しみや屈辱感のような「負の感情」に流されて、感情を制御できなくなるということは起こらない。起こらないとまでは言えないけれども、少なくとも起こりにくくはなる。

 

 感情を豊かにするために私たちは「想像的に他人の身になってみる」ということをする。物語がそのための装置である。小説を読み、映画や演劇を観たり、落語を聞いたりすることはすべて「感情教育」に資する営みである。暴力をふるう側にも、振るわれる側にも、想像的に身を置くことで、人は暴力を制御する装置を内面化してゆく。本作もまたそのような「感情教育」のすぐれた機会となると私は思う。

2024年

2月

27日

OYATSUYA323

離婚 大和八木

みなさん、こんにちわ。本日は事務局担当日です。

寒い日が続きますが、これぞ「本当の冬」って感じが嬉しかったりするのは私だけでしょうか😆

 

先日インスタで見つけた近鉄奈良駅のかわいいお菓子屋さん「OYATSUYA323」さんに行ってきました。

2022年11月にオープンされたお店だそうです。

 

最近、インバウンドの観光客の姿もコロナ禍以前のように増えてきて、

近鉄奈良駅の東向商店街や餅飯殿商店街(もちいどのセンター街って言うんですか?)も観光客でいっぱいでした。

 

高速餅つきで有名な中谷堂の角を曲がって餅飯殿商店街に入り

80メートルほど進んだ右手のほ~そっいほっそい路地(四之室辻子)にひっそりとお店を構えてらっしゃいます。

一度目は、まさかこの路地ちゃうやろ~とズンズン歩いて商店街の端まで歩いてしまいました。端から折り返してきても、商店街から路地をのぞきこんでもぱっと見た感じお店があるのがわからなくて

再び中谷堂まで帰り、リスタート。

三度目の正直にしてやっとたどり着きました😆

店内はそんなに大きくないのですが、バターサンドやスコーン、マドレーヌ、クッキーといった焼き菓子がならんでいます。

イートインコーナーもあります。

 

私のお目当ては、バターサンド。

  奈良県の形をしたレーズンバターサンド

  鯛の形のあんバターサンド

  大仏の形をしたキャラメルバターサンド

 

ほんとは1人で全部食べたかったのですが、家族とシェアをして、

私はレーズンバターサンドを。

クッキーはさっくさくでミルクと芳醇なバターが香り、中のクリームも甘すぎず

とってもおいしかったです。

 

家族には内緒で(え・・・)スコーンも頂きましたが、これも素朴ですが、さくっとふわっとしっとりと、あっという間に2つ完食(だって。どんな味かなって。我慢できなかったんだもん)しちゃいました~😝

近鉄奈良駅へ行かれた際は、是非足を運んでみてください😀

平日はお休みの曜日が多いみたいなので事前確認してくださいね

お店のHPより

2024年

2月

26日

内田樹さんの「福田村事件」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1480

この映画が描く事実そのものを否定する歴史修正主義者が大手を振っている今の日本社会で、この映画が無事に上映され、商業的成功を収め、映画として高い評価を受けているという事実は大きい。それは、これからもこうした作品を作ることが可能になったと続く人々を勇気づけることだからだ。

 

 

2024年1月25日の内田樹さんの論考「福田村事件」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ある媒体から『福田村事件』についてのコメントを求められたので、こんなことを話した。

 

 関東大震災時に起きた虐殺事件を描いた映画『福田村事件』が公開中である。私は、この映画のクラウドファンディングに参加しており、本作を応援する者として、この映画を1人でも多くの人に観てもらいたいという思う。

 

 本作はオウム真理教を描いた『A』『A2』、『FAKE』など良質なドキュメンタリー作品を数多く手掛けてきた森達也監督の初の商業劇映画である。私がクラウドファンディングに出資しようと思ったのは、扱いの難しい題材をエンターテイメント作品として撮ろうという森監督の野心を多としたからである。

 

 福田村事件とは、192391日に発生した関東大地震の5日後、千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた被差別部落出身の行商団のうち、幼児や妊婦を含む9人が殺された事件のことである。行商団は讃岐弁で話していたことで朝鮮人ではないかと疑われ殺害された。自警団員8人が逮捕されたが、逮捕者は大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された。

 

 この映画は朝鮮人差別、部落差別という日本歴史の暗部を前景化する。同じ題材を扱ったドキュメンタリーや劇映画はこれまでいくつもあったけれども、商業映画として製作され、かつ商業的に成功したという例を私は知らない。

 

 製作費をクラウドファンディングで募るほどであるから、ギャラは決して高くはなかっただろうが、それにもかかわらず、井浦新、田中麗奈、永山瑛太、柄本明、ピエール瀧、水道橋博士、東出昌大といった俳優たちが参加して、監督と脚本家の構想に命を吹き込んだ。それは俳優たちにも、「こういう映画」が日本でも撮られるべきだという思いがあったからだと思う。

 

「こういう映画」とはどういう映画か。それは単に自国の歴史の暗部を明るみに引き出す映画ということではない。いくら政治的に正しい意図で制作されても、それが単なる単純な善悪二元論で描かれるなら、商業的成功は望めない。エンターテインメントとして成功するためには、出てくるすべての人物が単なる「記号」ではなく、一人一人に奥行きと厚みがなければならない。この世には単純な善人もいないし、単純な悪人もいない。すべての登場人物が卑しいところも弱いところも抱えており、その一方では勇気や善意も持つ、複雑な存在である。そういう人たちが、たまたまある時、ある場所で、思いもかけない出来事に遭遇して、思いもかけない役割を果たす...という「運命の不可思議」を感じさせないと、観客は映画を観て「感動する」ということは起こらない。実際に私たちの現実はそのように編み上げられているからだ。

 

 近年、韓国の映画やドラマは自国の歴史の暗部を掘り起こす作品を次々に送り出している。李氏朝鮮末期、植民地時代、軍事独裁時代を舞台に、さまざまな人物が歴史的舞台のうちに登場する。もちろん日本人も出てくるけれども、それはステレオタイプ化された「悪人」ではなく、しばしば重層的で深みのある複雑な人物として描かれている。それは、もう単純な「自民族中心主義史観」で制作された作品はエンターテインメントとして成立し難いところまで韓国の観客の鑑賞眼は成熟しているということを意味している。

 

 日本ではそのような作品が作られないことを私は久しく残念に思っていた。だから、『福田村事件』の企画を聞いた時に、遂に日本でも歴史の暗部を掘り起こしながら、それをエンターテインメントに仕立てることのできる作品ができるかも知れないと思った。そして、実際に映画を観て、本作が日本映画史に新しい扉を開いた一作になったと感じた。

 

 

 あるいは公開に際して、政治家からの介入があったり、上映妨害運動があるかと思ったけれども、それもなかった。この映画が描く事実そのものを否定する歴史修正主義者が大手を振っている今の日本社会で、この映画が無事に上映され、商業的成功を収め、映画として高い評価を受けているという事実は大きい。それは、これからもこうした作品を作ることが可能になったと続く人々を勇気づけることだからだ。

2024年

2月

24日

内田樹さんの「朴先生からのご質問シリーズ「言語の生成について」」(後篇) ☆ あさもりのりひこ No.1479

僕が「正直」というのは、他人に嘘をつかないことではなくて、自分に嘘をつかないことです。

 

 

2024年1月24日の内田樹さんの論考「朴先生からのご質問シリーズ「言語の生成について」」(後篇)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 未加工のアイディアが文字列になって出力されて、ディスプレイに表示される。それを見て「なるほど、私はこんなことを考えているのか」ということを知る。その文字列に「意味がよくわからない言葉」や「はじめて読んだ言葉」が含有されている率が高ければ高いほど、そのテクストが僕に与える愉悦は大きなものになります。それは「生成」があったことの証拠だからです。「創造」のしるしだからです。

 さあ、これからこのままアイディアを「走らせたら」、次はどんな文字列に変換されるのか。それを読みたい。「走らせ続ける」ためには、できるだけ「既知」に回収しないようにしなければなりません。

「既知の定型」という「罠」はそこらじゅうに張り巡らされています。もちろん「既知の定型」と言っても、もとはと言えば僕が自分で考えだしたものですから、「借り物」ではありません。「オリジナル」な知見なんです。でも、「既製品」なんです。

 そして、「つねづね私が言っていること」って、吸引力が強いんです。だから、出来立ての、ふらふらした、星雲状のアイディアは、簡単に「つねづね私が言っていること」の引力圏にひきずりこまれてしまう。そして、「いつもの話」の一エピソードとか、一傍証とか、そういう付随的な地位に釘付けされてしまいます。

 それをどうやって避けるか。それが生まれたばかりのアイディアを「走らせる」ためには緊急な技術的課題です。

 こんな風景を想像してください。宇宙を航行している小さな宇宙船があるとします。これが「生まれたばかりのアイディア」です。そして目の前の宇宙空間にはあちこちに「つねづね私が言っていること」という「星」があります。その近くを通ると星の強い引力にひきずられる。その力に負けると、「いつもの話」に回収されて、星の重量にちょっとだけ加算される。

 宇宙船としては、なんとかこの引力に抗して飛び続けたい。うまい具合に星の引力圏をたくみに逃れて、さらに宇宙の先へ進めたとします。もう引き止めるほど強い引力を発揮できる星がない。その時にふと振り返ると、宇宙船の「航跡」が「生まれてはじめてする話」として残されている。そして、「おお、一つ新しいアイディアがかたちになったぞ」と喜ぶことになります。

 そんなふうにして、「まっさらの、手つかずの、生まれたばかりのアイディア」をそっと走らせること、できるだけ長い距離を走らせることが、書く人間にとっての最優先課題となります。

 さて、どうやってそれを遂行するか。

 そのために一番たいせつなのは「正直」ということだと僕は思っています。

 僕が「正直」というのは、他人に嘘をつかないことではなくて、自分に嘘をつかないことです。

 僕は他人にはときどき嘘をつきます。嘘をついた方がその人のためだと思うことってありますからね。ひどい書き物を見せられて、「どうでしょうか?」と訊かれて困ることってありますよね。僕はそういうときは「いや、これは、ひどい。あんた才能ないよ。もう書くの止めた方がいいよ」なんて絶対言いません。そんなひどいことを言われたら、その人は「じゃあ、もう二度と書かない」と絶望して筆を折ってしまうかも知れないからです。それよりは「いいですね。うん、なんかこれから開花しそうな豊かな才能の気配を感じるなあ」くらいのことを言ってあげたほうがいい。そのせいでこの人が次はいいものを書く可能性は(ごくごくわずかですが)増します。彼がこのあとよき作物を創造した場合、その受益者は(理論上は)人類全体です。だったら、「いまはダメだけれど、これから開花するかもしれない才能」にはとりあえず通りすがりに「水やり」くらいのことはしてあげたっていいじゃないですか。誰も、それで損をするわけじゃないんですから。だから、他人にはときどき「嘘」をつきます。

 ただ、自分に対しては絶対に正直でなければいけません。文字列として出力してみたら「いまいち」だと思ったら容赦なく消去する。これはもう容赦なくやらなければなりません。ばさっと何千字も消すこともあります。このときに自分に甘くしてはいけません。

 

 数日前に、僕の本のゲラが届きました。あちこちの媒体に書いたものや、ブログに上げた文章などのコンピレーション本です。途中まではすらすらと読んで、ところどころ手を入れていたのですけれど、ある頁になっていきなり足が止まってしまいました。

 たしかにそこには僕が「いかにも書きそうなこと」が書いてありました。たしかにどこかでそんなことを話した記憶もある。でも、これは僕の文章じゃない。他人の文章なんです。僕はこんなふうには書かない。

 いったいどこから採って来た文章だろうと思って検索したら、講演録が元でした。僕が90分くらいの講演でした話を5つくらいに区切って、そうやって作った文章でした。だから、コンテンツはたしかに僕のものなんです。僕がつねづね主張していることが書いてある。でも、文体が違うんです。読んでいて、呼吸が合わない。こんなリズムの文章を僕は書かない。こんな単語は使わない。読んでいて気持ちが悪くなりました。

 他人の文章だったら、そんなことは起きません。「おお、オレとよく似た意見のやつがいるな」と思って、うれしくなるかも知れない。でも、自分の書いたものだと耐えられない。結局、50頁くらい消して、全部書き直しました。

 その時に、「僕が書きたいこと」ってほんとうは何なんだろうと考えました。「学びとは何か」とか「図書館の機能」とか「中間共同体としての凱風館」とか、そこに書かれていることは、僕の日頃の主張のままなんです。でも、そこに印字されていた文章は「僕が書きたいこと」じゃなかった。

 ということは、「僕が書きたいこと」とか、さきほどから「アイディア」とか言っていることって、それをどういう文体で叙するかという「スタイル」も込みだということになります。あるリズムやある音韻でないと、自分の言葉のような気がしない。だから、全部書き直した。

 なるほど、これが「正直」ということなのか。そう思いました。

 別に僕の熱心な読者だって(例えば朴先生でも)、あの文章を読んで「内田のものではない」とは感じないと思います。「なんかちょっとリズムがいつもと違うな。風邪でもひいてたのかしら」くらいの印象は持つでしょうけれど、「内田が書いていない」とまでは思わないでしょう。

 だから、「正直」っていうのは、外的な規範じゃないんです。自分で自分に対して課すものなんです。自分が正直かどうかを判定できるのは自分しかいない。

 そして、正直であることを止めたら、もう「ものを書く人間」を名乗る資格はないと思います。

 

 たぶんこの講演録の書き換えをした編集者は、これまでも「インタビューの文字起こし」とか「講演の文字起こし」とかあるいは著者の「語り下ろし」で本を作ったことがあった人だと思います。そして、これまで彼が作った「下原稿」を多くの書き手は、少し朱を入れるだけで、そのまま通した。だから、彼は内容さえきちんと合っていれば、「リズム」だとか「音韻」なんて副次的な、装飾的なことにすぎないと思っていたのでしょう。

 でも、僕にとっては、そこに文章の「命」がある。「アイディア」というのは単なる概念単体じゃなくて、それを表わすために動員される無数の言語資源込みでしか成立しないんです。

 だから、改行をするかしないか、漢字で書くかひらかなで書くか、ここで文を切るか、もう少し息をつめて続けるか。そういうのが僕にとってはものを書く上で死活的に重要なことなんです。

 もう20年くらい前のことですけれど、一度だけ「ゴーストライター」が書いた本のゲラが届いたことがあります。それまで僕の書いたものを「切り貼り」して一冊にした本でした。だから、僕の本と言えば、僕の本なのです。最初は気づかずにゲラを読んでいたのですけれど、途中で「これは僕が書いたものじゃない」とわかりました。気持ち悪くなって、それ以上読み進めることができませんでした。申し訳ないけれど、そのゲラは棄てて、同じタイトルでぜんぜん違う本をゼロから書きました。

 そういうタイプの「正直」さがどうして書く上で死活的にたいせつなことなのか、やはりまだうまく説明できません。とにかく僕にわかるのは、正直であることを止めたら、僕はたぶん何も書けなくなるだろうということです。

 

 

2024年

2月

22日

飛鳥ハーフマラソンへの道 その6 ☆ あさもりのりひこ No.1478

2月1日(木)早朝、雨なので西園美彌さんの魔女トレ。

 

2月2日(金)早朝、安藤大さんのアントレを軽めに7割くらいやった。

 

23日(土)早朝、ジョギング、53分16秒、7.67㎞、平均ペース6分57秒/㎞、総上昇量173m、消費カロリー557㎉。

1 7分13秒(上り下り)

2 7分19秒(上り)

3 7分19秒

4 6分36秒

5 7分29秒

6 7分08秒

7 6分06秒(下り)

8 6分07秒(670m

2週間ぶりにロードを走った。

 

2月4日(日)午前、ジョギング、1時間25分17秒、12.52㎞、平均6分49秒/㎞、総上昇量209m、消費カロリー877㎉。

1 7分00秒(上り下り)

2 7分10秒(上り)

3 7分22秒

4 6分51秒

5 6分23秒

6 6分14秒

7 6分39秒

8 6分36秒

9 6分52秒

10 8分15秒(上り)

11 6分33秒(下り)

12 6分16秒(上り下り)

13 6分00秒(520m

久しぶりに1時間以上走った。

 

2月5日(月)早朝、雨なので西園美彌さんの魔女トレ。

 

2月6日(火)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.27㎞、傾斜2.0%、消費カロリー36㎉、手首に重り1㎏×2。

時速8.0㎞(7分15秒/㎞)、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、時速8.8㎞(6分45秒/㎞)、時速9.2㎞(6分30秒/㎞)でそれぞれ1㎞、最後は時速9.6㎞(6分15秒/㎞)で270m。

 

2月7日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

 

2月8日(木)早朝、ビルドアップ走、36分29秒、6.17㎞、平均ペース5分55秒/㎞、総上昇量91m、消費カロリー424㎉。

1 6分30秒(上り下り)

2 6分30秒(上り)

3 5分43秒

4 5分53秒

5 5分35秒(下り)

6 5分25秒(上り下り)

7 5分13秒(170m

 

2月9日(金)早朝、インターバル走、35分03秒、6.201㎞、平均ペース5分39秒、累積上昇90m、消費カロリー438㎉。

1 6分42秒、5分31秒

2 7分04秒、5分29秒

3 5分57秒、5分33秒

4 7分40秒、5分20秒

5 6分01秒、5分21秒

6 5分26秒

 

2月10日(土)早朝、丘の階段641段、47分09秒、7.12㎞、平均ペース6分37秒/㎞、総上昇量152m、消費カロリー48㎉。

1 6分40秒(上り下り)

2 6分42秒(上り)

3 6分52秒

4 8分04秒(階段)

5 7分29秒

6 5分20秒(下り)

7 5分22秒(上り下り)

8 5分22秒(120m

この行程は20回目だが、2番目の記録だった。

自己ベストより9秒遅かった。

 

2月11日(日)午前、ジョギング、1時間17分06秒、12.53㎞、平均ペース6分09秒/㎞、総上昇量216m、消費カロリー879㎉。

1 6分29秒(上り下り)

2 6分39秒(上り)

3 6分37秒(上り下り)

4 6分11秒

5 5分58秒

6 5分34秒

7 5分43秒

8 5分35秒

9 6分19秒

10 7分21秒(上り下り)

11 6分14秒(下り)

12 5分39秒(上り下り)

13 5分12秒(530m

 

2月12日(月・祝)午前、飛鳥ハーフマラソン試走、2時間26分12秒、21.41㎞、平均ペース6分50秒/㎞、総上昇量444m、消費カロリー1509㎉。

1 6分08秒(下り)

2 6分14秒

3 6分33秒

4 6分25秒

5 6分54秒

6 7分51秒(トイレ)

7 6分17秒

8 6分47秒

9 7分09秒

10 6分50秒

11 8分19秒(上り)

12 8分06秒(上り下り)

13 5分52秒(下り)

14 6分37秒

15 8分52秒(トイレ)

16 6分03秒

17 7分31秒(上り)

18 6分03秒(下り)

19 6分12秒

20 6分36秒

21 6分22秒(上り)

22 6分15秒(410m

この行程の自己記録を更新した。

 

2月13日(火)早朝、西園美彌さんの魔女トレ。

夜、トレッドミル、30分、4.27㎞、傾斜2.0%、消費カロリー365㎉、手首に重り1㎏×2。。

時速8.0㎞(7分15秒/㎞)、時速8.4㎞(7分00秒/㎞)、時速8.8㎞(6分45秒/㎞)、時速9.2㎞(6分30秒/㎞)で各1㎞、時速9.6㎞(6分15秒/㎞)で270m

 

2月14日(水)早朝、安藤大さんのアントレ、足首に重り1.1㎏×2。

 

2月15日(木)早朝、雨、西園美彌さんの魔女トレ。

 

2月16日(金)早朝、ウインドスプリント400m×10本、47分42秒、7.648㎞、平均ペース6分14秒/㎞、累積上昇168m、消費カロリー579㎉。

6分13秒、6分20秒、6分12秒(100m)

4分37秒/㎞、4分45秒/

4分22秒/㎞、4分27秒/

4分30秒/㎞、4分46秒/

4分06秒/㎞、4分36秒/

4分10秒/㎞、4分37秒/

6分12秒、6分01秒、6分04秒(100m)

 

2月17日(土)早朝、テンポ走、37分00秒、6.18㎞、平均ペース5分59秒、総上昇量94m、消費カロリー420㎉。

1 6分44秒(上り下り)

2 6分36秒(上り)

3 5分44秒

4 5分55秒

5 5分26秒(下り)

6 5分37秒(上り下り)

7 5分26秒(180m

 

2月18日(日)午前、稲渕・細川、2時間05分03秒、18.6㎞、平均ペース6分44秒/㎞、総上昇量480m、消費カロリー1332㎉。

1 6分21秒(上り下り)

2 6分15秒(上り)

3 5分52秒

4 6分23秒

5 8分01秒(上り)

6 7分18秒(上り下り)

7 6分15秒

8 8分02秒(上り)

9 10分43秒(上り)

10 6分07秒(下り)

11 5分10秒(下り)

12 6分12秒

13 7分23秒(上り)

14 6分08秒(下り)

15 5分44秒(下り)

16 6分13秒

17 7分19秒(上り下り)

18 6分10秒(上り下り)

19 5分46秒(600m

 

2月19日(月)安足日

 

2月20日(火)早朝、坂道ダッシュ300m×3本、45分54秒、6.406㎞、平均ペース7分10秒/㎞、累積上昇152m、消費カロリー399㎉。

6分53秒、6分55秒、6分21秒(600m)

1分49秒(6分09秒/㎞)

1分51秒(6分07秒/㎞)

1分47秒(6分00秒/㎞)

8分12秒、6分40秒、6分29秒(300m

いつも坂道ダッシュをする歩道が工事中で使えないので、少し離れて並行している車道を走った。

少し距離が短いのと少し傾斜が緩やかな坂道である。

 

 

2024年

2月

20日

筋力アップに「速歩」始めてみませんか@事務局より

皆さんこんにちは。今日は事務局担当日です。

 

まだ2月だというのに、すでに春先のような暖かさですが、明日からはまた寒さが戻るようですね・・・。

日によっての気温差が激しくて本当に服装にも困ります😅

 

さて、先日、テレビ番組を見ていると、筋力低下が気になる人におすすめの

筋力アップ方法を紹介していました。

 

「最近、階段を上がるのが以前よりしんどいと感じたり、

ペットボトルのふたが開けられない、なんてことはないですか?

当てはまる方は筋力低下のサインですよ~」

 

とのナレーションの声に、目の前にいた母は「全部当たってるわ」と苦笑い😅

 

男女ともに40代を過ぎると筋力が低下しやすくなり、特に下半身の筋力が

落ちやすくなるようです。

 

健康のために毎日歩いている人も多いですが、生活習慣病予防には効果がありますが、

足の筋力アップには繋がりにくいようです。

 

 

そこで、短時間からでも筋力アップが

期待できる運動方法が、

ずばり「速歩」です。

 

普段歩いているよりも歩幅を大きく取って、

ギリギリ話ができるくらいのスピードで歩く

のですが、1日1時間とか長い時間歩かないといけないのかと思いきや、

 

1回あたり1分以上、週で60分行えば

効果があるようです。

 

番組内でも、実際に男女数名が5週間速歩を試して数値を測ってみたところ、

増えている量は人によってばらつきがありましたが実験前よりも数%から数十%以上

筋力アップしていました。

 

1日数分からでもよいのなら、通勤時間の合間や週末など、自分のやりやすい場所で

短時間から実践できますし、普段通りの歩行と速歩を織り交ぜるだけなら、

3日坊主になりやすい私や母でもできそうかも。

 

普段体調チェックで一番わかりやすいのが、

朝一番、最寄り駅のホームまで上がる階段がスムーズに上がれるかどうかなんです。

 

階段の角度が結構きつく、病み上がりや長い連休明けとかだと、

半分折り返してからの階段を上るのが地味に足にくるんですよね😓

 

将来寝たきりにならないように、今から筋力トレーニングしておこう!

 

2024年

2月

19日

内田樹さんの「朴先生からのご質問シリーズ「言語の生成について」」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.1477

僕は物を書く時に一番たいせつにしていることは「正直」です。

 

 

2024年1月24日の内田樹さんの論考「朴先生からのご質問シリーズ「言語の生成について」」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

こんにちは。

 内田先生の「原理主義」についてのお応え楽しく拝読いたしました。

 そういえば、『こんな日本でよかったね』というご著作で、内田先生はこう言われています。

 

「だから、『原理主義はダメだ』というようなことを機能主義者は決して言わない。

『原理主義はダメだ』というのはもうひとつの原理主義である。

だって『原理主義者』は私たちにとっての『なまもの』だからだ。」(p.97

 

 この文章をはじめて読んだとき、実にもっともでかつ筋道の通った言明だと思いました。あたためて感謝申し上げます。

 さて、今回の「原理主義」についてのお答えの中で、内田先生はこう書かれています。

 

「僕はとにかく『査定されること』が大嫌いだったからです。できあいの『ものさし』をあてがわれて、査定されて、格付けされて、点数をつけられることが僕は骨の髄から嫌いなのです。」

 

 この話(特に「階級意識があるかどうか」「革命的かどうか」)を拝読し、こんな話を思い出しました。

「エスノメソドロジー( ethnomethodology 」という社会学の学知があります。この「エスノメソドロジー」はアメリカの社会学者であるハロルド・ガーフィンケル(Harold Garfinkel19172011)という人が創り上げたものです。

 このいわゆる新しい学知を創り上げた「ハロルド・ガーフィンケル」のストーリが実に面白いです。しばらく付き合っていただければと思います。

 ガーフィンケルはハーバード大学の博士課程(社会学)の学生でありながら、小説を一本書いています。その小説は『カラートラブル』というタイトルの小説ですが、この『カラートラブル』のあらすじはつぎのようなものです。

 

『カラートラブル』は一九四〇年代のアメリカ南部のジムクロウ(黒人差別) を描いた作品である。物語は、一九四〇年三月二三日の夕方、ワシントンDC発ノースカロライナ州ダーラム行のバスが、バージニア州ピータースバーグのバスデポに到着したところから始まる。若い黒人のカップルが白人席のすぐ後ろの空いた席に移動したのを、 運転手がみとがめる。 運転手は、黒人は後ろから順に詰めて座らなければならないというバージニア州の人種隔離法をたてに、ふたりに後ろの席に移るように言う。ニューヨークから来たそのカップルのうち女性のほう、アリス・ マクビーンはそれを拒否する。運転手はふたりの警官を呼んでくる。警官と運転手はかわるがわるふたりに後ろに移動するように言うが、アリスは、病気なのでタイヤの上の座席には座れないこと、さらにその座席が壊れていること、 外で待っている黒人の乗客たちが乗れば、空いている後ろの席が埋まり、結局同じであること、憲法が平等な権利を保証していることなどを挙げて反論する。

 警官は結局ふたりを逮捕することをあきらめる。 運転手はふたりに一列だけ後ろに下がることで妥協しようともちかける。座席を直すことを条件にアリスもそれを受けいれる。運転手が座席を直し、これで一件落着と思われたそのとき、アリスは運転手にさらに謝罪を要求する。 運転手は怒り、ふたたび警官を呼ぶ。今度は警官は即座にふたりを逮捕する。アリスは気を失って倒れ、バスからひきずりおろされる。ふたりを乗せたパトロールワゴンが走り去り、バスも乗客を乗せ、なにごともなかったかのようにふたたび走り出す。この間約二時間の車内の様子を、ガーフィンケルは、アリスと運転手や警官のやりとりや、他の乗客たちの反応を中心に、 細密に描写している。

 

 その当時のアメリカの小説界から高い評価を得たにもかかわらず、ガーフィンケルは、その後、文学というジャンルに属する作品を発表しませんでした。 一九四二年にノースカロライナ大学で修士号を得ると、空軍で兵役につき、四六年に退役後、ハーバード大学で社会学の研究を再開します。

 

 僕がこの『カラートラブル』において注目すべき点だと思っているのは、この物語が、休暇からチャペル・ヒル(ダーラム近郊のノースカロライナ大学の所在地)に戻る途中の、社会学の学生である「わたし」によって語られていることです。バスのなかで遭遇した事件をいわゆる「知覚の衝突」として物語っているのは、この「わたし」 である。だが、この「わたし」は社会学者である自分自身を懐疑的な目でながめています。アリスが逮捕されて、ふたたびバスが走りだしたあと、この社会学者は後ろの席の少女に向かって、「今度だれかが君にぼくたちの『階級なき社会』についてしゃべったら、 いま見たことを話して、どう解釈するか聞いてみてごらん」と話しかける。このキザで陳腐な批評が「深遠な洞察」と呼ばれるとき、この社会学者は戯画化されていると考えられなければならない。そして、社会学者としての自分自身に違和感をもち、距離を置いている、この社会学者こそガーフィンケル自身でありました。

 ガーフィンケルが社会学者としての自分に距離を置いているのは、自分が目撃した事件を当時の社会学のできあいの言葉でうまく表現できなかったからです。 社会学の学生であるガーフィンケルの頭に最初に浮かんだ言葉は「階級」であった。だが、ガーフインケルがこの事件のなかに見たのは 実は「利害の衝突」ではなく、「知覚の衝突」でありました。 ガーフィンケルは、のちに彼が「世界の複数性」と呼ぶことになる問題を表現することのできる社会学の言葉をこの時点ではまだもっていかったわけです。

 この事件が短編小説という形で発表されたのはこのためだと考えられます。『カラートラブル』は「世界の複数性」という問題を文学的な形式で表現したものです。そして、『カラートラブル』において「知覚の衝突」 として描かれた問題を表現しうるような「新しい社会学の言葉」をみいだすことが、こののちこの若い社会学者にとっての喫緊の課題となりました。

 ガーフィンケルはその後、すぐに陳腐化しそうな定型句(たとえば、「階級なき社会」とか)にすがらずに、ガーフィンケル個人の身体実感に裏づけられてふり絞られて出て来る「言葉」を探し求めて、苦労を重ね、長い道のりを歩んできたあげく「エスノメソドロジー」というあらたな学知を創り上げることになりました。

 

 内田先生がいままで創り上げた「言葉」などを拝見すると、たとえば『ひとりで生きられないのも芸のうち』や『邪悪なものの鎮め方』や「民主主義がちゃんと機能するかどうかを決めるのは、制度設計の出来不出来よりも国民の成熟度です。国民の中の『まっとうな大人』の頭数があるラインを下回ると、民主主義は簡単に機能不全に陥ります。現代日本がそうです」などのような「内田先生が語らなければ、他に内田先生と同じことを語る人がいないこと」だけを選択的に語ってこられたと思います。

 これから第一番目の質問です。内田先生ご自身の身体実感に基づいて創り上げられた言葉がどうやって形になるのか、そのプロセスといいましょうか、メカニズムをぜひ教えて頂ければと思います。

 

 第二番目の質問は、内田先生が学者としていままで創り上げられた「学知」などがありましたら教えて頂ければ幸いです。

 

 こんにちは。そろそろこの「Q&A」シリーズも終わりですね。だんだん質問が難しくなってきました。自分自身の頭の中の働きがどういうふうになっているかを語れというんですからね・・・

 第一の質問にお答えします。僕は物を書く時に一番たいせつにしていることは「正直」です。頭の中に浮かんだアイディアをできるだけ加工しないで、単純化したり、定型化したりしないで、「そのまま」出力する。