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憲法の話 ☆ あさもりのりひこ №143

内田樹さんの受け売り,第3弾である。

憲法改正と9条2項と自衛隊について,2007年5月3日に内田さんが書かれた文章を紹介する。

現在,戦争法案が参議院で審議されている。

戦争法案を廃案にできるかどうかは,今週がヤマ場と言われている。

今,基本を押さえておくことは有益だろう。

では,どぞ。

 

 

改憲の動きが進んでいる。一部の世論調査では、国民の6割が改憲に賛成だそうである。大学のゼミでも「もうすぐ憲法が改正されるんですよね」とあたかも既成事実であるがごとくに語る学生がいて驚かされた。

 九条第二項の政治史的意味についての吟味を抜きにして、「改憲しないと北朝鮮が攻めてきたときに抵抗できない」というような主情的な言葉だけが先行している。

 私は改憲護憲の是非よりもむしろ、憲法改定という重大な政治決定が風説と気分に流されて下されようとしている、私たちの時代を覆っている底知れない軽薄さに恐怖を覚える。

 改憲とは要すれば一個の政治的決断に過ぎず、それが国益の増大に資するという判断に国民の過半が同意するなら、ただちに行うべきことである。

 だが、当否の判断が適切に行われるためには、改憲を主張する側にまず「説明責任」が求められるだろう。

 憲法を改定することで、日本国民は「憲法を改定しない場合に逸されるはずのどのような利益」を回収することができるのか、その利益が「この憲法を改定しないことがわが国にもたらす利益」より大きいとする根拠は何か。それを説明するのが現行制度の改変を求める人間の最低限の義務だろう。

 「憲法を改定しないことがもたらす利益」についてなら、私たちはかなりの確度でそれが何かを言うことができる。

 戦後62年の平和と繁栄は間違いなくそのような利益の一つである。

 私たちは1945年から後一度もどこの国とも戦火を交えることがなかった。私たちの国の正規軍兵士は他国の領土で人を殺していない。これは先進国の中できわめて例外的なことである。米、英、露、仏、中、どの国もこの「偉業」において日本に遠く及ばない。この成果に対して国際社会は日本にいくばくかの「敬意」を抱いている。少なくとも私の外国の友人たちは私にそう告げてきた。

 けれども、改憲派の諸君はそれを「敬意」ではなく「侮蔑」と解釈する。アメリカの世界戦略への「人的貢献」(要するに他国の領土でその国の人々を殺すこと)を怠ったことで日本は「国際社会の笑いもの」になったというのが、彼らが改憲を急ぐ理由として繰り返し言挙げすることである。

 日本は「戦争をしない国」として外交ゲームに参加している。それはいわば「ジョーカー」を持たないでカードゲームに参加しているに等しい。九条二項を廃絶するということは「いつでも、誰とでも、したいと思ったら戦争をする権利」を手元にとどめることである。その権利さえ手にすれば日本は隣国から「要らざる侮り」を蒙ることがないだろうと彼らは考えている。

 だが、この推論には根本的な瑕疵がある。それは改憲しても日本は結局「ジョーカー」を手に入れることはできないからである。

 改憲で日本が手に入れるのは「アメリカ以外の国と、アメリカの許可があれば、戦争をする権利」であり、それだけである。

 改憲した後も日米安保条約が維持され、国内に米軍基地が存続し、核武装が禁じられるなら、改憲はただ日本が「アメリカの軍事的属国」であるということを国際社会に向かって改めて宣言すること以上を意味しない。

 たしかにアメリカの「軍事的属国」であると公言することで、隣国の人々は日本を恐怖し、場合によっては憎悪するようになるかも知れない。その方が「侮られる」よりはましだと改憲派の諸君は信じているのだろうが、私はその判断には与しない。

敗戦によって日本は「アメリカにとって無害・有益な国」以外のものになる選択肢を許されなかった。敗戦国民に選択権はなかったのだから、あきらめるしかない。けれども、その屈辱的な国際的地位を今になって自ら進んで選び直し、満天下に誇らしげにカミングアウトするとしたら、それはほとんど「私たちは敗戦国以下の存在である」と宣言するに等しい。そのような名乗りによって、国際社会から敬意や信頼が寄せられる可能性は限りなく低いと私は思う。

 

 『九条どうでしょう』以来、私が憲法について言っていることはずっと同じである。

 それは交戦権を否定した九条二項と軍隊としての自衛隊は拮抗関係にあり、拮抗関係にあるがゆえに日本は「巨大な自衛力」と「例外的な平和と繁栄」を同時に所有している世界で唯一の国となった、ということである。

 先日も書いたから、みなさんはもう聞き飽きたであろうが、二つの対立する能力や資質を葛藤を通じて同時的に向上させることを武道では「術」と言う。

 「平和の継続」と「自衛力の向上」を同時に達成しようと思ったら、その二つを「葛藤させる」のがベストの選択なのである。

 九条と自衛隊が矛盾的に対立・葛藤しているという考え方は、『九条どうでしょう』でも詳述したように、戦後の日本人がすすんで選んだ「病態」である。

 本当の対立・葛藤は日米間にある。

 九条はアメリカが日本を「軍事的に無害化する」ためにあたえた「足かせ」であり、自衛隊はアメリカが日本を「軍事的に有用化」するためにあたえた「武器」である。

 日本はGHQが敗戦国民に「押しつけた」この二つの制度によって、「軍事的に無害かつ有用」な国になった。

 ここには何の矛盾もない。

 しかし、「ここには何の矛盾もない」という事実を認めることは、そのまま「日本はアメリカの軍事的属国である」と認めることになる。

 それは壊滅的な敗北の後の日本人にとってさえ心理的に受け容れがたい「現実」であった。

 それゆえ、日本人は「狂う」ことを選んだ。

 耐え難い現実から逃避しようとするとき、人間は狂う。

 日本人は暗黙の国民的合意によって「気が狂う」ことにしたのである。

 それは「九条と自衛隊は両立しがたく矛盾しており、そこに戦後日本の不幸のすべての原因はある」という「嘘」を信じることである。

 護憲派も改憲派もそれを同時に信じた。

 その国民的規模で営まれた詐病が「55年体制」である。

 本来は存在しない九条と自衛隊の葛藤を苦しむという不思議な病態を演じることを通じて、日本人はその「疾病利得」として、世界史上例外的な平和と繁栄を手に入れたのである。

 私が戦後日本が九条と自衛隊の「葛藤」を通じて国力を順調に育成してきたプロセスを「世界政治史上まれに見る狡猾な政治的マヌーヴァー」と評するのは以上のような理由による。

 ひたむきな改憲派と護憲派の双方に欠如しているのは、政治史的な知識でも地政学的洞察でもない。

 私たちがしばしば「嘘をつくことによって、ほんとうのことを言おうとする」という経験的には熟知されていることを政治過程に適用する習慣である。