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ラジオの時代 ☆ あさもりのりひこ №190

テレビ業界に寄食している人の数があまりに多くなりすぎのである。

これだけ多くの人間を食わせなければならないということになると、作り手の主たる関心は「何を放送するのか」ということより、「これを放送するといくらになるか」という方にシフトせざるを得ない。

ビジネスとしてはその考え方でよいのだが、メディアとしては自殺にひとしい。

 

 

2008年12月26日の内田樹さんのテクストを紹介する。

どおぞ。

 

 

テレビの時代」はおそらく終わるだろうと私は思っている。

ビジネスモデルとしてもう限界に来た。

簡単な話、「制作コストがかさばりすぎる」からである。

テレビ業界に寄食している人の数があまりに多くなりすぎのである。

これだけ多くの人間を食わせなければならないということになると、作り手の主たる関心は「何を放送するのか」ということより、「これを放送するといくらになるか」という方にシフトせざるを得ない。

ビジネスとしてはその考え方でよいのだが、メディアとしては自殺にひとしい。

メディアとして生き残るためには、「放送することでいくら儲かるのか」から「放送することで何を伝えるのか」というメディアの王道へ帰還する以外に手だてはない。

それは具体的に言えば「テレビで食っている人間」の数を減らすということである。

制作コストを今の100分の1くらいまで切り下げることができれば、テレビは生き残れるだろう。

それなら、テレビマンたちは代理店やスポンサーや視聴率を気にせずに、いくらでも「好きなこと」ができるからだ。

作り手が「好きなこと」を発信することがメディアの本道である。

その決断を下せないまま、今のビジネスモデルで、今のような低品質のコンテンツを流し続けていれば、ある日テレビは「業界ごと」クラッシュするだろう。

その日はそれほど遠いことのように私には思われない。

 

そして、そのとき再び私たちは(BBC放送に耳を傾けたフランスのレジスタンスのように)ラジオの前に集まるようになるような気がする。