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移行期的混乱 ☆ あさもりのりひこ №215

問題なのは、成長戦略がないことではない、成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだ。

 

 

2010年7月21日の内田樹さんのテクストを紹介する。

どおぞ。

 

 

平川克美くんの近著、『移行期的混乱』(筑摩書房)のゲラを読む。

タイトルは二転三転してまだ決まらないようだけれど、執筆中から、本の話をするときは、ずっとこのタイトルで話していたので、私は勝手にそう呼ばせてもらう。

文明史的なひろびろとした展望の中で、現代日本の景況・雇用問題・少子化・高齢化・格差といった「困った問題」をわしづかみにするような豪快な議論を展開している。

平川くんによると、今日本の経済学者や政治家たちはリーマンショック以後の経済危機を「システム運用上の失敗」に過ぎないととらえている。

だから、効果的な経済的な政策さえ実施すれば「再度新たな経済成長が期待できるはずである」という見通しを語る。

それがうまくゆかないのは個別的な政策の当否や為政者の賢愚という正誤問題に過ぎず、正しい政策、賢明な政治家に取り替えれば、問題は解決する、というのが彼ら政治家やメディア知識人たちの見たてである。

「現在わたしたちが抱えている諸問題、たとえば環境破壊や格差拡大、人口減少社会の到来、長期的なデフレーションなどは技術のイノベーションによって解決され、やがて市場が回復し、経済は成長の軌道へ戻される。今は、持続的な経済発展のプロセスの中での過渡的な挫折であり、大きな生産、交易、分配のシステムはこれ以後も変化することはないと考えている。」(27頁)

これに対して、平川くんは、これらはどれも巨大な、地殻変動的な「移行期的な混乱のなかの一つの兆候」に他ならず、個別的な弥縫策によって対処しうるものではないだろうと考える。

「経団連をはじめとする財界が『政府に成長戦略がないのが問題』といい、自民党が『民主党には成長戦略がない』といい、民主党が『わが党の成長戦略』というように口を揃えるが、成長戦略がないことが日本の喫緊の問題かどうかを吟味する発言はない。

『日本には成長戦略がないのが問題』ということに対して、わたしはこう言いたいと思う。

問題なのは、成長戦略がないことではない、成長しなくてもやっていけるための戦略がないことが問題なのだ。」(141頁)

「日本における歴史上始まって以来の総人口減少という事態は、何か直接的な原因があってそうなったというよりは、それまでの日本人の歴史(民主化の進展)そのものが、まったく新しいフェーズに入ったと考える方が自然なことに思える。

この歴史的事実は、経済成長戦略というような短期的、対処的なタームでは説明もできなければ、問題を乗り越えることもできない。」(144頁)

私はこの「成長しなくてもやっていけるための戦略」という問題の立て方をすぐれたものだと思う。

私たちの国はあきらかに長期にわたる社会的諸活動の停滞期に入っている。

私たちはこれまで人口増、右肩上がりの経済成長、社会的流動性の絶えざる上昇というスキームの中でしか社会問題を考えたことがない。

木を見て森を見ず。

個別的な政策的「失着」を論じる人たちは、私たちの社会がまるごと「別のスキーム」に移行しつつあることを見ようとしない。

人口が減少し、高齢化が劇的に進行し、生産活動が停滞し、社会的流動性が失われてゆく社会において、なお健康で文化的で、(平川くんが愛用する形容詞を借りれば)「向日的」な市民的生活を営むためには、どのように制度設計を書き換えるべきか、それが喫緊の問題だろうと私も思っている。

私たちの世代には「東京オリンピックの前の日本」という帰趨的に参照すべき原点がある。

もちろん、今の日本をそのまま時計の針を戻すように、半世紀前に戻すことはできない(人口の年齢構成がまったく違う。1950年代の日本には子どもたちがあふれかえっており、それが社会の活気と未来への期待を担保していた)。

けれども、人々が貧しく、行政に十分な力がなかった時代には、相互扶助・相互支援のためのゆるやかな中間共同体がいくつもあって、それが貧しく弱い個体を社会的孤立から守っていたことは事実である。

かつて一度できたことをもう一度甦らせることは、これまで誰もできなかった理想を実現するよりも、少なくとも心理的には、容易である。

私たちに必要なのは、「ダウンサイジングの戦略」であるという平川くんの提言を私も支持する。

かつてギリシャもイタリアもスペインもポルトガルもオランダもイギリスも世界に覇を唱えた。私たちが「小国」だと思っているデンマークでさえ、かつては北欧全域とグレートブリテイン島とグリーンランドを領する巨大な北海帝国の主であった。

どの国も、版図を世界に拡げた帝国から小国に劇的に「ダウンサイジング」した。そして、長い低迷と退嬰のときをやり過ごして、安定し、成熟した体制を整えることに成功した。いま、国際社会のフルメンバーとして堂々とその役割を果たしている。

一度は栄華を極めた国が今のような「弱国」になったことを天に呪う国民がいるという話を私は聴いたことがない。そのことをことあるごとに悔い、機会を得てふたたび隣国を斬り従えることを夢見ることが国民国家の「常識」だとも思わない。

私たちは「ダウンサイジングして、かつ生き延びた国」の先行事例をいくつも持っている。

けれども、その事例からなにごとかを学ぶことができるし、学ぶべきだと言う人に私はまだ会ったことがない。

 

たぶん平川くんのこの本は、そのような議論を始めるきっかけになるのではないかと私は期待している。