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いま40歳以上の男性のうちでは現役自衛官以外で「戦場の消耗品」に供される可能性のあるものは事実上ゼロである。
自分自身は戦場で死傷する可能性のない人間が「戦争ができる権利」を声高に要求するというのはことの筋目が通らないのではないか。
2009年5月3日の内田樹さんのテクスト「憲法記念日に思うこと」を紹介する。
どおぞ。
憲法記念日である。
安倍晋三内閣のころ、改憲運動が急であったが、リーマンショック以後の「100年に一度の危機」で、「そんな悠長な話をしているときではない」ということらしい。
それでよろしいのではないかと私は思う。
今日明日の米櫃の心配をしているときに、人間はリアリストにならざるを得ない。
戦争のとき、いちばんイデオロギー的でないのは前線の兵士だと司馬遼太郎が書いていた。
軍人というのは合理的でなければつとまらないからである。
「どの国の軍隊も、兵士が思想家であることは望まないのである。激越な国家思想をもつ兵士よりも、機械のように命令な忠実な兵を望む。(・・・)
私どもは初年兵を経て非正規将校の養成機関に入れられたのだが、仲間のだれをみても、極端な右翼思想のもちぬしなどはいなかった。
軍人は、当然死ぬ。とくに下級指揮官は戦場の消耗品であらねばならない。そのことの覚悟は軍隊教育の過程のなかでごく自然にできあがるもので、ことごとしい思想教育のあげくにつくられるわけではない。」(『この国のかたち(二)』、文春文庫、1993年、153頁)
アメリカ議会でも、議員の中に従軍経験者が多いときには外交政策が宥和的になり、議員の中に実戦経験のないものがふえると政策が強硬になるとよく言われている。
本邦のおける改憲運動はこれまでも何度も書いたように「戦争ができる国」になりたいという人々の(あるいは無意識的な、あるいはあらわな)欲望を映し出している。
「戦争ができる国」になりたいという欲望には十分な人類学的根拠があることを私は認める。
けれども、その場合でも、自分が「戦場の消耗品になる覚悟」を備えていることを確認した上でそう言っているのかどうかは一応点検した方がいいだろう。
いま40歳以上の男性のうちでは現役自衛官以外で「戦場の消耗品」に供される可能性のあるものは事実上ゼロである。
自分自身は戦場で死傷する可能性のない人間が「戦争ができる権利」を声高に要求するというのはことの筋目が通らないのではないか。
「激越な国家思想」は戦争を始める役には立つが、戦争が始まった後は何の役にも立たない。
カタストロフ的な状況で私たちに必要なのは尽きるところリアルでクールな計量的知性である。
それだけである。
世間が不況になったおかげで「いいこと」がひとつだけあった。
それは、人々がすこしだけリアリストになったことである。
なにごとを決断するときでも、その前に「ちょっと待って」と立ち止まって、ことの理非について頭をクールダウンして吟味する習慣がついたことである。
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