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アメリカ抜きの日本外交はありうるか ☆ あさもりのりひこ No.240

日米同盟は「もう戦争をしない」ために日米両国が手作りしたものではない。

アメリカが日本に「もうアメリカを相手に戦争をさせない」ために与えたものである。

 

 

2012年9月2日の内田樹さんのテクスト「アメリカ抜きの日本外交はありうるか」を紹介する。

どおぞ。

 

 

沖縄タイムズから「日本外交は対米従属から抜け出せるか?」というお題を頂いた。

許された字数が1200字なので、とても書ききれない。

問いに対する答えはもちろん「No」である。

そもそも日本外交が「対米従属である」と思っており、それを「何とかしなければいけない」と思っている人は日本の外交政策の決定過程には存在しない。

存在しないのだから、「アメリカ抜きの日本外交」が構想されるはずがないし、実施されるはずもない。

構造的に「そのことについて考える」ことが禁じられているのである。

一国の外交戦略について、これほどの抑圧がかかっているのは歴史的に見ても例外的な事例であろう。

独仏は普仏戦争から70年間に3回戦争をして、延べ数百万人の同胞を犠牲にした。独仏国境に「満目これ荒涼惨として生物を見ない」惨状を見た両国民が「もう戦争をしない」ために手作りした同盟関係がEUである。

誰に強制されたわけでもない。両国民がその主体的意思に基づいて「もう戦争をしないために手作りした」関係である。

ということは、絶えず「次の戦争」を回避するための手立てを尽くしているということである。

それが日米関係との決定的な違いである。

日米同盟は「もう戦争をしない」ために日米両国が手作りしたものではない。

アメリカが日本に「もうアメリカを相手に戦争をさせない」ために与えたものである。

それ以外の選択肢が許されなかったために、日本は戦後一貫して日米同盟基軸の外交を展開している。

だが、これは日本国民の主体的決意によるものではない。

現在67歳以下のすべての日本国民は、自分たちが安全保障についても、国防構想についても、「アメリカの許諾抜きで」政策を起案できるという可能性は「ない」ということが常識とされる環境に、生まれてからずっと暮している。

属領に生まれた属領の子たちである。

それが「自然」だと思っている。

それ以外の「国のかたち」がありうるということを想像したことがない。

というか想像することを制度的に禁じられている。

日米同盟基軸という外交戦略が選択肢として適切であるかどうかという「合理性」問題と、それ以外の外交的選択肢を構想するために知性を行使する自由があるかどうかという「権利」問題は、別の次元に属している。

日米同盟基軸という外交戦略は、日本の国益を勘案した場合、きわめて合理性の高い選択肢である。

けれども、「それがきわめて合理性の高い選択肢である」ということと、それ以外の選択肢を吟味することが制度的に「禁じられている」ということは論理的には繋がらない。

私が会った限りの政治家や外交専門家で、「アメリカ抜きの安全保障」についてなぜ想像力の行使を惜しむのかという問いに対して、「合理性」次元以外での反論を立てた人はいない。

ひとりもいなかった。

権利についての問題を私が問うているのに対して、全員が「合理性」レベルで回答して、そもそも私のような問題の立て方が「ありえない」と斬って捨てた。

繰り返し言うが、私は日米同盟基軸が「きわめて合理性の高い外交的選択肢」であることを認めている。

けれども、二国間関係は定常的なものではありえない。

歴史的状況は変化する。

80年代までは「東西冷戦構造」の枠内で日米同盟の合理性は基礎づけられていた。

90年代は「経済のグローバル化・ボーダーレス化」の枠内で基礎づけられていた。

00年代は「対テロリズム」の枠内で基礎づけられていた。

10年代は「中国の拡張主義抑制論」の枠内で、日米同盟関係の合理性は基礎づけられている。

さいわい(と言ってよいだろう)、この60年間はどのようにスキームが変化しても、そのつど日米同盟関係は「合理的なもののように見えた」。

けれども、それはスコラ派があらゆる自然現象を「神の摂理」で説明できたことに似ている。

私はこんな想像をする。

もし、1945年の戦況が今と違っていて、ソ連が日本を占領していて、その強い影響下に戦後日本の統治システムが構築されていたら、日本はどうなっていただろう。

おそらく戦後ずっと、日本の政治家も官僚も学者たちも、もちろんメディアも「日ソ同盟基軸」が唯一の合理的な安全保障体制であり、国防構想であると言い立てていただろう。

そういうものである。

「支配者」が要求する生き方を「合理的である」と思い込める人間は、「支配者」が代っても全く同じリアクションをする。

そういう人間だけが「出世」できる。

そういうものである。

それはかつての中国の官僚群が、新しい征服者が到来する度に、王城の門の前に一列に並んで、「ようこそおいでくださいました。私どもにどうぞご命令を」と一礼したのと同じことである。

同じことはどこでも起きる。

1939年にフランス第三共和政が瓦解したあと、その官僚群はそのまま「居抜き」でヴィシー政権の官僚群を形成した。1944年にヴィシー政権が瓦解したあと、その官僚群はそのまま第四共和政の中枢に移行した。

そういうものである。

私はそれが「悪い」と言っているわけではない。

そういうものだ、と言っているだけである。

だから、「そういうものだ」ということを「勘定に入れて」治国平天下のことは論じなければならないと申し上げているのである。

今の日本の政治家や官僚や学者やメディアのうちで、「1945年段階で、日米同盟関係以外の外交的立場(ソ連の属領)に日本は位置づけられる可能性があった」というSF的想像に知的資源を投じる人はほとんどいない。

「ほとんど」というのは遠慮しすぎかもしれない。

ゼロである。

だが、「そのような可能性もあった」ということを想像し、その場合に日本はどうなったかについて想像することができる人間にしか、「アメリカ抜き」の日本外交は構想できない。

歴史は事後的に回想すると、「それ以外にありえない一本道」をたどっているように見える。

けれども、未来に向かうときには「どれが正しいかわからない」複数の選択肢の前に立ち尽くしている。

そのときに適切な選択ができるためには、「なぜ、『あること』が起きて、それとは違うことが起きなかったのか?」「『起きてもよかったのに、起きなかったこと』と『実際に起きたこと』の間にはどのような違いがあったのか?」というかたちで不断に想像力と知性のトレーニングをしておく必要がある。

いつか日米同盟基軸が「あまり適切な選択肢でない」時点に私たちは遭遇する。

それは避けがたい。

その日が決して来ないことを切望する人たちの気持ちは理解できる。

だが、高い確率で、「起きない方がいいこと」は起きる。

「起きない方がいい」と必死に願うということ自体、「起きる可能性の切迫」を無意識が感知しているからである。

そのときには、生き延びるために「それとは違う選択」をしなければならない。

いつその日が来るのか。

どういう条件が整えば、そう判断できるのか。

そのときに私たちが取り得るオルタナティブにはどのようなものがありうるのか。

それが必要になった時点で「ただちに実現可能な代替選択肢」であるためには今からどのような「備え」をしておく必要があるのか。

そのことを今から考えなければいけない。

だが、「アメリカ抜きの日本外交」について知的資源を投じる用意のある人間は、現代日本にはほとんど存在しない。

そんなところに資源を投じても、誰も評価しないし、誰からも感謝されないし、収入もポストも知的威信ももたらされないからである。

そんな無駄なことは誰もしない。

私が「アメリカ抜きの日本外交」がありえないと答えた理由は以上である。

それは「日本には外交がない」ということとほとんど同義であるが、そのような国がこの先激動する歴史的状況を生き抜けるのかどうか私にはわからない。

 

日本の長期低落傾向を「元気がないからだ」というような締まりのない言葉でまとめて、「東京オリンピックを誘致すれば元気になる」とか「道州制にすれば元気になる」というような「一攫千金」話している限り、国運の回復機会は決して到来しないだろうということしか私にはわからない。