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憲法と戦争 日本はどこに向かうのか 8 ☆ あさもりのりひこ No.338

最も重要なのは、憲法制定の主体が明記されていないことです。世界に多くの憲法がありますけれど、誰が制定したのかわからない憲法というのは例外的です。

 

 

2015年7月13日の内田樹さんのテクスト「憲法と戦争 日本はどこに向かうのか」を紹介する。

どおぞ。

 

 

自民党の改憲草案を読むと分かりますが、ここに描かれている国家像は近代市民革命以前のものです。たぶんこの中にもあの草案を全部読んでいる人はいないと思うんですけれども、ぜひ読んでおいて欲しいと思います。自民党が夢みている「戦争ができる国」の国内的な体制がどういうものか、実にリアルに描かれています。

来年の5月に改憲が政治日程に上っていますけれど、いくら自民党でも、この草案をこのままでは出せないということはわかっていると思うんです。なにしろめちゃめちゃな憲法草案ですから。いずれ手直しはされると思いますが、草稿には自民党の思い描く日本社会の「理想」が剥き出しにされている。その点では重要な資料です。

最も重要なのは、憲法制定の主体が明記されていないことです。世界に多くの憲法がありますけれど、誰が制定したのかわからない憲法というのは例外的です。

『マグナカルタ』の時代から、ふつう憲法の制定主体は「われわれは…」なんです。「われわれ」が憲法を制定する。誰が、どういう歴史的文脈の中で、どういう権原に基づいて制定するのか、それを明らかにするところから憲法は始まる。「法の支配」のための規定なんですから。

ところが、自民党改憲草案は制定主語抜きで、いきなり「日本国は長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される」と始まる。憲法前文の最初の文が受動態なんです。主語がない。日本国は「統治される」のだが、誰が、どういう権原に基づいて、日本国を統治するのか、その統治主体については言及がない。

この草案をとりまとめたのは中谷防衛大臣です。誰が統治するのか、もちろん「この憲法を起草した俺たち」が統治するということなんですけれど、さすがにそれは書けないので、受動態にしてごまかしている。

現行の日本国憲法はご存じのように「日本国民は」から始まります。「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」とある。世界中の憲法の基本的な文型はこれです。この前文をあえて変えたのは統治主体が日本国民であると自民党の草案起草者は考えていないからです。日本国民は「統治される」側にいる。憲法は権力者を規制するものではなくて、国民を制約するものである。実際にそう明記されている。

現行憲法では99条に「公務員の憲法尊重擁護義務」が明記されています。「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」とある。自民党草案にはこれがないんです。代わりに国民に憲法尊重義務が課されている。

「102条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。第二項 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。」

現行憲法では国民には憲法尊重擁護義務は課されていません。当たり前です。法擬制的にはこの憲法は国民が制定して、公務員に対して「尊重遵守を命じている」というかたちになっているからです。自分の権利と自由のために定めた憲法ですから国民がそれを尊重擁護するのは当然のことです。そんなことは書くまでもない。それをあえて書いている。それは、この憲法は国民の権利と自由のために起草されたものではないということを起草者たち自身が自覚しているからです。彼らはこの憲法草案を国民の権利と自由を規制するために起草した。日本国民が進んで憲法を尊重擁護するはずがないと思っているからです。だから憲法に明記した。いずれ法律や条例によって、憲法尊重擁護義務に違背した国民を処罰する気でいる。その権限を確保するために、こんな条文を入れたのです。

もう一つ問題なのは、第二項で「天皇または摂政」の憲法尊重擁護義務を解除していることです。改憲案によれば、天皇は日本国民ではなく、公務員でもない。憲法上天皇はなにものでもない。改憲案第一章に「天皇は日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定してはありますけれど、この「元首」には憲法尊重擁護義務がない。どうして起草者たちが天皇の憲法尊重擁護義務を解除したのか、その理由はわかりませんが、憲法ではなく、超憲法的な政治主体(すなわち、自民党)が統治する「人治」の政治体制を夢に描いているからでしょう。天皇は憲法に従う必要はない。「オレたち」の言うことを黙って聴いていればいいんだという不敬な気持ちが透けて見えます。

自民党の改憲草案は制定主体が明記されていない。前文の一番最後にとってつけたように「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するためにここに、この憲法を制定する」とあります。現行憲法はご存じのとおり、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会にいて、名誉ある地位を占めたいと思う」という理想を掲げ、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と誓約しています。でも、自民党改憲案には、そのような国際社会に訴えるメッセージは何もありません。何もない。ゼロです。国際社会についての言及はわずかに「我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、いまや国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」という箇所だけです。これを読むと、わが国はすでに「国際社会において重要な地位を占めている」ことはもう既成事実となっている。諸外国との友好や世界平和への貢献も、未来に向けての決意ではなく、あいまいな「現在形」が使われています。だから、読み方によってはすでにそういう課題は達成されたとも読める。英語に訳したらどうなるのか。「発展した」「占めた」は現在完了形で書かれ、「増進する」と「貢献する」が現在形で書かれる。そんな不細工な文章をネイティブは許さないでしょう。人によっては全部の動詞を現在完了形にしないと「かっこ悪い」と思ってそう英訳することでしょう。起草者は無意識のうちにそのような「誤解」を狙っているのだと思います。諸外国との友好も、世界平和への貢献も、もう十分にやった。我が国にはこれから後よそから「憲法前文通りにやっているのか」とうるさくせかされるような「国家目標」はない、と。たぶん、そう言いたいのでしょう。

現行憲法の制定主体は「日本国民」です。けれども、これは単なる法擬制です。憲法制定時点の1946年11月3日にこの憲法を制定できるような「日本国民」などというものは存在しなかった。日本人たちは前日までは大日本帝国憲法下の「帝国臣民」だったわけです。何人かの日本人が憲法起草に関与したにせよ、この憲法のアイディアを実質的に指示したのがGHQであるということについては争う余地はないと思います。日本人の憲法学者なり政治家なりが関与していたにせよ、憲法を起草し、制定できるような政治的実力を有した「日本国民」などというものはその時点には存在しなかった。

憲法の制定主体は形式的には「日本国民」ですけれど、憲法制定の事実上の主体はGHQでした。でも、GHQのことは憲法の中に一行も出てこない。つまり、この憲法は超憲法的主体によって制定されたということです。そのことを日本人はみんな知っていた。戦争に負けて、外国軍に占領されている国で、民主的な憲法が発布された。それについて「オレは憲法起草作業に参加してなかったから」というような理由で反対した日本国民はいなかった。アメリカが憲法を書いてくれた。それを受け容れるしかない。だって、日本国の統治機構のさらに上にGHQが存在したんですから。

憲法の制定権というのは憲法内部的に基礎づけられるものではありません。戦争に勝つとか、革命を起こすとか、そういう圧倒的な力の差があるところで、力のあるものが力のないものに憲法を押しつける。それはジョン王に貴族たちが「マグナカルタ」を押しつけたときから変わりません。憲法を制定するのは超憲法的主体です。

自民党の改憲案がグロテスクなのは、この憲法草案を書いた人間は別に革命を起こして前政体を打倒したわけじゃないということです。直近の選挙での比例代表の得票を見ても、有権者全体の20%の支持も得ていない政党が、戦勝国が敗戦国に押しつけるような、革命に勝利した党が支配した国民に押しつけるような憲法を起草している。戦争も革命も経由しないで、議会で相対多数にある政党がいきなり「超憲法的主体」の地位を占めようとしている。その増長ぶりに僕は驚嘆するのです。