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憲法と戦争 日本はどこに向かうのか 9 ☆ あさもりのりひこ No.340

このメディアの劣化は誰もが感知している。「もうメディアはダメだ」ということは日本人全員が感じ始めている。実際に全国紙はもうあと何年も持たないと思います。

 

 

2015年7月13日の内田樹さんのテクスト「憲法と戦争 日本はどこに向かうのか」を紹介する。

どおぞ。

 

 

改憲草案の中で一番気になるのは第九章の「緊急事態」です。これは現行憲法には存在しない条文です。そこに仔細に記してあるのは、どういう条件で憲法を停止できるかです。憲法を停止して、内閣総理大臣が全権を持つための条件を細かく規定している。間違いなく、この憲法草案の中で一番力を入れて書かれた部分がここです。

よく読むと分かりますけれども、いったん緊急事態を宣言したら、運用上は未来永劫に内閣総理大臣が独裁権を行使し、立法権も司法権も全部停止できるようになっています。100日を超えて緊急事態を継続する場合には国会の議決が要るとか書いてありますけれど、与党多数のときに緊急事態を宣言すれば、そのあと議員選挙は宣言の解除まで行われないわけですから、理論上は無限に憲法が停止できる。その期間は内閣の発令する政令が法律を代行する。完全な独裁体制です。そう書いてある。これを読むと、この憲法草案は「憲法を停止させて独裁体制を作るための合法的な手続き」を定めたものだということがよくわかります。

これは自民党が野党時代に書いたものですから、ある意味「破れかぶれ」というか、何でもいいから書いてやれというワイルドな気分で起草されたものだとは思いますけれど、無責任に書かれたものだけに一層ストレートに自民党改憲派の気分がにじみ出している。

今、憲法学者たちが、安保法制を違憲であると言っていますけれども、彼らが怒る理由も当たり前です。だって、もし自民党改憲草案のようなものが憲法になってしまったら、もう憲法学という学問自体が存立不可能になってしまうからです。憲法そのものが論理的に破綻しているわけですから。憲法をすみやかに停止して独裁体制を合法化するための手続きを定めることが草案の趣旨そのものなんですから。ある種の精神病理の資料としてなら読む価値はあるかも知れませんけれど、学問的に研究して、それに基づいて法律の適否を判断するというようなことは学術的知性には不可能です。

これほどひどい草案を掲げて安倍政権は改憲に臨もうとしているわけですけれど、これに対してメディアはほとんど効果的な抵抗を組織できていない。NHKも讀賣、朝日、産経はもう御用新聞、政府広報化している。地方紙が多少骨のある記事を書いている。琉球新報や沖縄タイムズのような沖縄の地方紙が一番健全で、一番リアリスティックだと思います。

このメディアの劣化は誰もが感知している。「もうメディアはダメだ」ということは日本人全員が感じ始めている。実際に全国紙はもうあと何年も持たないと思います。

僕は2年前まで朝日新聞の紙面審議委員をやっていました。その当時、朝日新聞は年間5万部の売り上げ減でした。僕は「かなり深刻な事態だ」と思ったのですけれど、朝日新聞の論説委員は笑って気にしない。「年間5万部ですから、ゼロになるまであと160年かかります」と言っていた。

僕はそれは甘いと思いました。今の読者層はほとんど60代以上です。若い人たちはもうほとんど宅配の新聞を取っていません。年寄りは順番に死んで行くけれど、新しい読者は増えない。人口構成が逆ピラミッドの日本では、新聞発行部数の減少のスピードは彼らの予測をはるかに超えるだろうと思いました

実際に昨年になって全国紙の売り上げ部数は急減しました。去年1年間で朝日新聞は年間45万部減らしました。10倍近くのスピードで部数が減っている。讀賣も1年間で約100万部減らしました。朝日叩きで部数を増えると計算したのでしょうけれど、朝日の読者が讀賣に移るということはなくて、両紙とも読者を減らした。このペースで行くと、朝日も讀賣も、どちらも14年後には発行部数がゼロになります。

そこまでは減らないで数十万部くらいのところで底を打つとは思いますが、そのときにはもう新聞販売ビジネスは成立しないでしょう。新聞社はビルや不動産を持っていますから、不動産の賃料で細々と新聞を出すくらいのことはできるだろうけれど、新聞というビジネスモデルは終わる。

数十万部でも、クオリティペーパーとして生き残れればいいと思っているジャーナリストもいるかも知れませんけれど、僕は無理だと思う。

世界のクォリティ・ペーパーというのはどこも少部数です。『ル・モンド』が30万部、『ザ・ガーディアン』が25万部、『ニューヨークタイムズ』でかろうじて100万部です。でも、朝日や讀賣の部数が落ちたからといって、『ル・モンド』や『ザ・ガーディアン』レベルのクオリティ・ペーパーに転身するというのは不可能です。そんなレベルの高い記事を書ける記者を育てて来なかったんですから、いまさら無理ですよ。

民放ももう長くはないと思います。CMを流す代わりに無償でコンテンツを流すという民放モデルというのは、よくできたビジネスモデルでしたけれど、もう賞味期限が切れた。僕は10歳ぐらいから40歳近くまで、かなりヘビーなテレビ・ウォッチャーでした。テレビの草創期から見始めて、全盛期を観て爛熟期を観て、今、末期を観ている。というか、もう観ていない。

テレビは悪いけれどもう「終わっているメディア」だと思っています。ここにもテレビの人がいたらたいへん失礼ですけれど、もうビジネスモデルとしては終わっている。制作費の予算も縮んでいるし、出稿される広告の質も落ちている。たまに観ると、放送時間の3分の1ぐらいCMが入っています。それだけ広告出稿料が安くなっていて、大量に流さないと番組の制作費を捻出できないんでしょう。

今の若い人はほとんどテレビ観ないです。新聞も読まない。就活のときあわてて日経読むくらいで、ふだんは全然新聞読まない。テレビも観ない。今、新聞を読んでいる、テレビを観ているというのは60代以上です。高年齢層に依存しているビジネスモデルが消えるのは時間の問題です。

 

あと、皆、言いたがらないけど大学もそうです。ビジネスモデルとしては末期です。高校生を相手に講演するときに言うのは、「昔は大学進学先を決めるときには、自分の偏差値と行きたい学校の偏差値を見比べて、あとは住みたい街はどこかとか、学費はいくらかとか、そういう条件を考えて進学先を決めたものだけれども、今は違う。君たちが大学を選ぶ時の最優先の基準は『卒業した後もその大学が残っているかどうか』だ」って。卒業して何年かして「どこのご卒業ですか?」って訊かれて大学名を言っても、誰も知らない、もう存在しない、そういうケースがこれから多発します。

定員割れの学科を抱えている大学はすでに全体の50%に達しました。教育予算も年々削られている。国公立大学はこれからさらに縮小を強いられる。理系に予算を集めて、人文系の学部学科はどんどん潰される。その結果、さらに学術的な生産力が下がる。

日本の大学の論文数はかつてアメリカについで世界2位でしたけれど、2004年から下がり続けて、中国に抜かれ、イギリスに抜かれ、ドイツにも抜かれました。人口当たりの論文生産数は、今や日本は先進国最下位レベルです。韓国より台湾よりも下です。

20世紀の終わり頃、日本の教育は東アジア最高レベルでした。それがわずか20年で、先進国最低レベルにまで落ちた。システムが崩れる時って早いんです。腐ったシステムが崩れ出すと、もう止められない。もう大学はこのあと崩れてゆくしかない。

「選択と集中」の原理に基づいて、今は理系に教育資源を集めようとしてますけれど、これは必ず失敗します。少し前に韓国がそれをやったんです。グローバル資本主義に最適化した学術領域に教育資源を集中させた。人文系の学部の予算を削った。だから、最初に進学者がいなくなったのは、韓国語学、韓国文学、韓国史学でした。自国の言語も、文学も、歴史も知らない、興味がないという子どもたちにしか出世のチャンスがない。そういう子どもたちがどういうエリートになるのか。少なくとも自分の国のため、同胞のために活動する意欲はきわめて低い人たちばかりがエリート層を形成することでしょう。

同じことは日本でももう起きていると思います。「金になるかならないか」だけを基準に教育資源を傾斜配分してきた結果、この15年間で日本の学術的生産力は劇的に低下した。これは動かしようのない統計的事実です。でも、文科省はその事実を認めようとしない。認めないどころか、絶対に失敗することが確実な教育政策をさらに強化しようとしている。

 

地方の国立大学は遠からず統廃合されてゆくことになると思います。となると、いずれ無大学県が出てくる可能性もある。僕は日本の大学についても大学生の頃から40年間間近で観察していますけれども、もう末期だということは実感しています。もう腐臭を発している。大学に限らず、日本社会のさまざまな仕組みが同時多発的に壊れ始めている。