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日弁連での講演の「おまけ」部分 3 ☆ あさもりのりひこ No.365

われわれの社会的責務は社会のいたずらな変化を抑制し、社会の常同性を担保することにある、と。だから、政治イデオロギーがどう変わろうと、経済システムがどう変わろうと、それに最適化して司法のシステムを変えるということは受け容れない。変えてはいけないものは変えてはいけない。変わってはいけないものを守護するのがわれわれ法曹の仕事である、と。きっぱりそう言うべきだと思います。

 

 

2016年7月22日の内田樹さんのテクスト「日弁連での講演の「おまけ」部分」を紹介する。

どおぞ。

 

 

【第二の質疑】

最初のご質問は政治学の話ですね。現代の政治過程の株式会社化、市場原理化について、政治学者たちがどう考えているか。僕もよく知りません。そういうような論文を書かれたりしている政治学者ってあまりいないんじゃないでしょうか。僕の今日の話も、全部素人の床屋政談の類です。別に政治学的な根拠があって話しているわけじゃありません。でも、素人でも、わかることはわかる。

僕が子どもの頃は、まだ日本の産業の半分は農業でした。勤労者の半数が農業従事者だった。都市サラリーマンというのはまだ少数派でした。サラリーマン・マインドというのが、ここまで国民全体に広がっていって、それ以外の発想法もある、それ以外の組織原理もある、それ以外の意思決定プロセスもあるという平明な事実そのものが忘れられてしまった。それはほんとうにこの20年ぐらいですね。1980年代から後ですね。だから、マインドといっても、基本的には相対的な、数値の問題なんですよ。サラリーマンの数が増え過ぎて、生まれてからサラリーマンしか見たことがない、サラリーマン的な組織しか知らないという人たちが人口のマジョリティを占めたせいで、あたかも株式会社こそが社会のあるべき姿であって、それ以外の組織形態は「ありえない」と素朴に思い込む人が増えてしまった。それだけのことだと思います。ものを知らないというだけのことです。

サラリーマン・マインドの内面化という事態は、統計的に示すとか、エビデンスを示すことができません。だって、政治学者たち自身が株式会社化した大学の中でキャリア形成しているわけですから。それがふつうだと思っている人に「日本はおかしいよ」と言ってもきょとんとされるだけじゃないですか。

僕みたいな文学者とか武道家とか政治学と全く無関係な人間であれば、何を言っても相手にされないので、お目こぼしに与れる。

混乱期激動期に起きている「これまで見たことのない現象」はどういうふうに記述すべきか、どういうふうに測定すべきか、観察や計測の手段そのものがない。だから、学問的・客観的にそれについて語ろうと思うとむずかしい。でも、それでいいと思うんです。僕はもう大学教員じゃありませんから、学術的厳密性のないことをしゃべっても、特段のペナルティも負わない。そういうアドバンテージを持つ少数の人間が「そういうこと」を話せばいい。

 

あとの方の質問は対米従属ですね。対米従属のありようもどんどん時代とともに変わっていると思います。1945年から1972年の日中共同声明くらいまでの期間が「対米従属を通じて対米自立を獲得する」という戦後の国家戦略がそれなりの結果を出すことができた時期だと思います。米軍が出て行った後、安全保障についても、外交に関しても、エネルギーについても、一応国家戦略を自己決定できるような国になりたいという思いがあった。でも、72年の日中共同声明が結果的には日本政府が自立的に政策判断した最初で最後の機会になりました。

それまでは「対米従属を通じての対米自立」戦略はそれなりに成功してきたわけです。45年から51年まで6年間にわたる徹底的な対米従属を通じてサンフランシスコ講和条約で形式的には国家主権を回復した。その後も朝鮮戦争、ベトナム戦争でも、国際世論の非難を浴びながらアメリカの世界戦略をひたすら支持することによって、68年に小笠原、1972年に沖縄の施政権が返還された。講和と沖縄返還で、日本人は「対米従属によって国家主権が回復し、国土が戻って来た」という成功体験を記憶したわけです。

そのときに、田中角栄が出て来た。そして、主権国家としての第一歩を踏みだそうとして日中国交回復という事業に取り組んだ。もう十分に対米従属はした。その果実も手に入れた。そして、ホワイトハウスの許諾を得ないで中国との国交回復交渉を始めた。その前にニクソンの訪中があったわけですから、遠からずアメリカから日本政府に対して「中国と国交を回復するように」という指示が来ることは明らかだった。日中国交回復はアメリカの世界戦略の中の既定方針だったわけですから。そして、田中角栄は日中国交回復に踏み切った。

これについてアメリカが激怒するというのは外交的には意味がわからないんです。だって、いずれアメリカが指示するはずのことを日本政府が先んじてやっただけなんですから。でも、このとき、キッシンジャー国務長官は激怒して「田中角栄を絶対に許さない」と言った。その後の顛末はご存じの通りです。だから、あのときに日本の政治家たちは思い知ったわけです。たとえアメリカの国益に資することであっても、アメリカの許諾を得ずに実行してはならない、と。

対米自立を企てた最後の政治家は鳩山由起夫さんです。普天間基地の移転。あのときはすさまじい政官メディアのバッシングを喰らって、鳩山さんは総理大臣の地位を失った。理由は「アメリカを怒らせた」というだけ、それだけです。日本の総理大臣が日米で利害が相反することについて、日本の国益を優先するのは当然のことだと僕は思いますけれど、その当然のことをしたら、日本中が袋叩きにした。

もうこの時点になると、対米従属だけが自己目的化して、対米自立ということを本気で考えている政治家も官僚も財界人もジャーナリストも政治学者もいなくなった。

日本の指導層はアメリカのご意向を「忖度」する能力の高い人たちで占められている。その能力がないとキャリアが開けないんだから仕方がない。それぞれの持つしかるべき「チャンネル」から、アメリカはこういうことを望んでいるらしいということを聞き出してきて、それをしかるべき筋に注進して、それを物質化できる人間の前にしか今の日本ではキャリアパスが開けない。そういうことです。

ですから、これからあと、アメリカが宗主国としての「後見人」の役を下りた場合に、日本はいったいどうする気なのか。僕には想像がつきません。今の日本には自立的に国防構想や外交構想を立てられる人物がいない。政治家にもいないし、官僚にもいない。どうやってアメリカの意図を忖度するのか、その技術だけを競ってきたわけですから、日本の国益をどうやって最大化するか、そのためにはどういう外交的信頼関係をどこの国と築くべきか、どういうネットワークを構築すべきか、指南力のあるメッセージをどうやって国際社会に向けて発信するか、そういうことを真剣に考えている人間は今の日本の指導層には一人もいない。とりあえず、身体を張ってそういうことを口にして、広く国民に同意を求めるというリスクを冒している人間は一人もいません。

この人たちのことをだらしがないとか言っても仕方がない。倫理的な批判をしても、彼らの「オレの出世が何より大切なんだ」というリアリズムには対抗できない。日本の国益って何だよ、と。そんなもののことは考えたことがない。アメリカに従属すれば自己利益が増大するということはわかる。だからそうやって生きている。そうやって財を築き、社会的地位を得て、人に羨まれるような生き方ができている、そのどこが悪いとすごまれると、なかなか反論できません。

でも、本当に新聞の記事には「日本の国益」という言葉がもうほとんど出てこない。一日に一回も出てこない日もある。外交や基地問題や貿易問題とかを論じている記事の中に「国益」という言葉が出てこないんです。国益への配慮抜きで政策の適切性について論じられるって、すごいアクロバットですよね。でも、日本のジャーナリストたちはそういう記事を書く技術だけには長けているんです。国益については考えない、と。国益を声高に主張すると、対米従属の尖兵になっている連中に引きずり下ろされて、袋叩きになるということがわかっている。そういうどんよりした空気が充満しているんですよね。いったいどうなるんでしょう、これから。

 

【第三の質疑】

破局願望というのは、少し強い言い方ですけれども、変化願望ですね。とにかくどんどん変化するのがいいんだ、と。目先のことに即応して変化すること自体が価値なんだ、と。

社会を早く変化させるファクターは二つあります。政治イデオロギーと経済です。ですから、社会の変化を加速するためには、社会的共通資本を政治イデオロギーや経済活動に結びつける。学校教育にイデオロギー教育を持ち込む、医療に市場原理を持ち込む、行政に「民間」を持ち込む。そういうことです。司法の場合、どういうかたちで「変化しろ」という圧力がかかってくるのか、僕にはわかりません。イデオロギー的な抑圧というかたちで来るのか、それとも法曹たちの活動はもっと市場原理に従うべきだという言い方で来るか、それはわかりません。たぶん経済活動との結びつきを強化しろというかたちで来るんだろうと思います。法曹は旧態依然としていて、社会の変化に対応していない。もっと社会の変化にキャッチアップできるようなレスポンスのいい組織に切り替えろ、と。たぶんそういう言い方をしてくると思います。実際にもう弁護士会の中にもそういう主張をしている人がいるかもしれませんけれど、それはグローバル資本主義への最適化ということを言っているのです。それに対して、皆さん方ができる抵抗というのは、とりあえず浮き足立って変化することをきっぱりと拒否するということです。

われわれの社会的責務は社会のいたずらな変化を抑制し、社会の常同性を担保することにある、と。だから、政治イデオロギーがどう変わろうと、経済システムがどう変わろうと、それに最適化して司法のシステムを変えるということは受け容れない。変えてはいけないものは変えてはいけない。変わってはいけないものを守護するのがわれわれ法曹の仕事である、と。きっぱりそう言うべきだと思います。

 

それが皆さんに真に求められているものではないかという気がします。社会制度の常同性を担保することのたいせつさを本当に現代日本人は軽んじていると思います。それがわれわれの職業的責務であるということをきちんと言い切り、そのための理論武装がないと,「社会のニーズに合わせて変化しろ」という圧力に抗して戦い抜くことは難しいと思います。