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生前退位について ☆ あさもりのりひこ No.367

いずれにせよ、全面改憲の最後のハードルになるのは野党ではなく、天皇とホワイトハウスでしょう。日本が民主主義の主権国家ではなく、君主制を持つ米国の属国であるという現実が、そのとき露呈されるわけです。

 

 

2016年9月10日の内田樹さんのテクスト「生前退位について」を紹介する。

どおぞ。

 

 

参院選挙で改憲勢力が3分の2の議席を獲得し、改憲の動きが出てきたタイミングで、天皇の「生前退位」の意向が示されました。時期的に見て、それなりの政治的配慮があったはずです。8日に放映された「お言葉」をよく読み返すと、さらにその感が深まります。

海外メディアは今回の「お言葉」について、「安倍首相に改憲を思いとどまるようにとのシグナルを送った」という解釈を報じています。私もそれが「お言葉」についての常識的な解釈だと思います。

天皇はこれまでも節目節目でつねに「憲法擁護」を語ってこられました。戦争被害を受けた内外の人々に対する反省と慰藉の言葉を繰り返し語り、鎮魂のための旅を続けてこられた。

現在の日本の公人で、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」という99条に定めた憲法尊重擁護義務を天皇ほど遵守されている人はいないと思います。国会議員たちは公然と憲法を批判し、地方自治体では「護憲」集会に対して「政治的に偏向している」という理由で会場の貸し出しや後援を拒むところが続出しています。

安倍首相の改憲路線に対する最後のハードルの一つが、護憲の思いを語ることで迂回的な表現ながら「改憲には反対」というメッセージを発し続けてきた天皇です。

自民党改憲草案第1条では、天皇は「象徴」でなく「日本国の元首」とされています。現行憲法の第7条では、天皇の国事行為には「内閣の助言と承認」が必要とされているのに対し、改憲草案では、単に「内閣の進言」とされている。これは内閣の承認がなくても、国会の解散や召集を含む国事行為を行うことができるという解釈の余地を残すための文言修正です。

なぜ、改憲派は天皇への権限集中を狙うのか。それは戦前の「天皇親政」システムの「うまみ」を知っているからです。まず天皇を雲上に祭り上げ、「御簾の内」に追い込み、国民との接点をなくし、個人的な発言や行動も禁じる。そして、「上奏」を許された少数の人間だけが天皇の威を借りて、「畏れ多くも畏き辺りにおかせられましては」という呪文を唱えて、超憲法的な権威を揮う。そういう仕組みを彼らは作ろうとしている。

彼らにとって、天皇はあくまで「神輿」に過ぎません。「生前退位」に自民党や右派イデオローグがむきになって反対しているのは、記号としての「終身国家元首」を最大限利用しようとする彼らの計画にとっては、天皇が個人的意見を持つことも、傷つき病む身体を持っていることも、ともに許しがたいことだからです。

「お言葉」の中で、天皇はその「象徴的行為として大切なもの」として、「人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添う」ために「日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅」を果すことを挙げました。それが天皇の本務であるにもかかわらず、健康上の理由で困難になっている。そのことが「生前退位」の理由として示されました。

象徴としての務めは「全身全霊をもって」果さねばならないという天皇の宣言は、改憲草案のめざす「終身国家元首」という記号的存在であることを正面から否定したものだと私は理解します。

「お言葉」の中で、天皇は「象徴」という言葉を8回繰り返しました。特に重要なのは「象徴的行為」という表現があったことです。それは具体的には「皇后と共に行おこなって来たほぼ全国に及ぶ旅」を指しています。けれども、よく考えると「象徴」と「行為」というのは論理的にはうまく結びつく言葉ではありません。「象徴」というのはただそこにいるだけで100%機能するから「象徴」と言われるのであって、それを裏づける「行為」などは要求されません。でも、天皇は「象徴的行為を十全に果しうるものが天皇であるべきだ」という新しい考え方を提示しました。これは「御簾の内」に天皇を幽閉して、その威光だけを政治利用しようとする人々に対する天皇から「否」の意思表示だったと私は思います。

2014年に、開催された政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」で、天皇と皇后が退席されようとした際に、安倍首相をはじめとする国会議員たちが突然、予定になかった「天皇陛下万歳!」を三唱し、両陛下が一瞬怪訝な表情を浮かべたことがありました。それはこの「万歳」が両陛下に対する素直な敬愛の気持ちから出たものではなく、「天皇陛下万歳」の呪文を功利的に利用しようという「計算ずく」のものであることが感じ取られたからでしょう。

今回も、自然発生的な敬意があれば、天皇の「お言葉」に対して内閣が木で鼻を括ったようなコメントで済ませられるはずがない。天皇の本意のあるところをぜひ親しくお聞きしたいと言うはずです。でも、「天皇陛下万歳」は大声で叫ぶが、天皇の個人的な意見には一片の関心もない。

安倍首相のみならず、日本の歴史で天皇を政治利用しようとした勢力のふるまい方はつねに同じです。天皇を担いで、自分の敵勢力を「朝敵」と名指して倒してきた。倒幕運動のとき、天皇は「玉」と呼ばれていました。2・26事件の青年将校は天皇の軍を許可なく動かし、天皇が任命した重臣たちを殺害することに何のためらいも感じませんでした。8月15日の降伏に反対して「宮城事件」を起こし、「國體」護持のためには「ご聖断」に耳を傾ける必要はないと言い放った陸軍参謀たちに至るまで、そのマインドは変わっていません。

国家元首たる天皇に権限を集中させると同時に国民から隔離して、事実上無力化すること。それが改憲のねらいです。昨年の安全保障関連法の成立で示されたように、あるいは改憲草案の「非常事態条項」に見られるように、安倍政権は立憲主義を否定する立場にあります。内閣総理大臣を憲法に制約されない立場に置き、内閣が法律を起案し、かつ執行する独裁政体を作ること。これは端的に「法治国家」から、中国や北朝鮮のような「人治国家」への政体変換を意味しています。  

しかし、政体の変換がそこまで進むと、「同盟国」米国から反発が予測されます。米国は中国や北朝鮮というアジアのリスクファクターの制御のために日本と連携しようとしているわけですが、このまま安倍政権の思惑通りに政体改変が進めば、日本は「米国の独立宣言や憲法の価値観を全否定する同盟国」という奇妙な存在になってしまう。「北朝鮮化した日本」はアメリカの東アジアにおける新たなリスクファクターになる可能性がある。それは米国としても回避したい。

 

確かに解釈改憲と安全保障関連法成立のせいで、自衛隊は米国にすれば使い勝手のよい「二軍」になりました。だから、自衛隊員が危険な任務において米兵を代替してくれることは大歓迎でしょう。しかし、米国にとって日本はかつての敵国です。「同盟国」としてどこまで信頼できるかわからない。「空気」一つで「鬼畜米英」から「対米従属」に一気に変わる国民性ですから、当てにはできない。ですから、米国内に「安保法制で取るべきものは取ったから、首相はもう少し米国の価値観に近い人間に替えてもらいたい」という考え方が出て来ても不思議はありません。改憲日程が具体化すると、「改憲は止めて欲しい」というメッセージがかなりはっきりと示されるでしょう。いずれにせよ、全面改憲の最後のハードルになるのは野党ではなく、天皇とホワイトハウスでしょう。日本が民主主義の主権国家ではなく、君主制を持つ米国の属国であるという現実が、そのとき露呈されるわけです。