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50代男性のための雑誌に書いた結婚論 ☆ あさもりのりひこ No.369

不機嫌なとき、悲しいとき、怒っているときには絶対に重大な決断を下してはいけない。これは先賢のたいせつな教えです。

 

 

2016年9月10日の内田樹さんのテクスト「50代男性のための雑誌に書いた結婚論」を紹介する。

どおぞ。

 

『困難な結婚』についてインタビューがあった。50代男性のための媒体で、「そういう人たちにアドバイスを」というリクエストだったので、「発想を切り替えないとこの先は生き延びられませんよ」ということを書いた。ちょっと口ぶりがきつ過ぎたかも知れないけれど、インタビューに来た編集者たち(全員女性)は深く頷いていた。

雑誌に書いたものをすこし添削したものをここに掲載しておく。

 

 

そもそも結婚は、幸せになるためにしているのではありません。夫婦という最小の社会組織を通じた「リスクヘッジ」であり、安全保障の仕組みなのです。病気になったり失業したり、思いがけない事態になったときに、1人では一気に生活の危機に追い詰められますが、2人なら何とか生き延びられる。お互いがサポートできる。それが結婚の第一の意味です。

 

かつては、地域社会や血縁集団が確立していて、その中で夫婦という単位が機能していました。普段は不満の多い夫婦でも、夫が親族のややこしい話を丸く収めたり、妻が地域のもめ事で絶妙な差配をしたり、夫婦がチームとして成熟する機会がありました。そうやって、異性愛とは別のレベルに「バディ」としての信頼感が育まれたのです。

今の50代が不幸なのは、地域や血縁システムが崩れ、夫婦単位で行動して、「バディ」の見識や力量を目の当たりにする機会がほとんどなくなってしまったことです。それでも、自営業の夫婦でしたら、「連れ合いがいてくれて助かる」という実感が日々得られるでしょうけれど、勤めに出ていると、配偶者は支援者というよりはむしろしばしば「自己実現の妨害者」として登場してきます。お互いをしみじみ頼りになるパートナーだなと感じることが日常生活のなかではなかなか経験できません。

 

かつては定年まで働き、満額の退職金をもらうのが当たり前でしたが、今は人件費削減のために、役職定年がどんどん前倒しされています。大手でも大半が55歳で事実上リタイアし、先には昇進もない、責任ある仕事もないというきつい立場に追い込まれています。先行世代のキャリアパスが全く参考にならない雇用環境に投じられている。「不機嫌なおじさん」が激増しているのは、たぶんにそのせいなんでしょう。

でも、それは彼らの属人的な資質ではなく、あくまで制度の問題なんです。この間まで「部長!」とか呼ばれていた人が目下の人間に軽く扱われるようになった男の屈託を配偶者は理解してあげてほしいですね。気の毒な立場なんですから。

 

夫婦の問題については、愛が足りないとか気配りがないとか、あるべき夫婦に比べてうちは・・・というような「ファンタジー」を語っている余裕はもうありません。今すぐに備えるべきは、75歳以降の老年期の貧困問題です。

おそらく今の50代の相当数は70代にはシビアな貧困問題に直面することになると思います。年金制度は崩壊しているでしょうし、健康保険料も介護保険料もはるか高負担になっているはずです。株を持っていても世界経済の先行きは不透明ですし、銀行に預けても利子はゼロ。人口減少によって、都心を除けば不動産の値崩れは不可避です。

社会の変化の最大のファクターは人口減です。今から15年で人口は1000万人減ると予想されています。鳥取県が年に1つずつ消える勢いでの人口減です。短期間に社会制度が土台から変わってしまう。根本的に変わってしまうんです。それは確かなのに、まだ「成長戦略は」とかいうような世迷い言を口走っている。現役の50代の多くは、「そんなことは知りたくない」とばかりに耳をふさいでしまっています。人口減、それによる市場のシュリンクという平明な統計的事実さえ直視しようとしない。

 

こう言ってよければ、彼らには不安はあるけれど危機感がない。

右肩上がりの時代に育ち、バブル期に就職し、上に従い、体制に順応することで出世してきたせいで、その成功体験に居着いて、そこから出られない。でも、危機感を持たない人間はリスクヘッジを考えない。そこが問題です。

ヒッチコックの映画『サイコ』に「金で幸福は買えないが、金で不幸は追い払える」というセリフがあります。家庭内で「お金がない」というのは、あれば回避できたトラブルに日常的に悩まされるということです。お金がないことから始まるトラブルの深刻さは家事分担でもめるのとは比較になりません。

ですから、老境の後退戦に備えるのが急務です。一番大事なことは配偶者との相互支援体制を確かなものにすることです。まずは現実認識を共有する。それぞれ職場の雇用状況や業界の今後などについて積極的に情報を開示し、配偶者はそれに耳を傾ける。その上で「何とかせねば」「何ができるか」を考える。お互いの社会的機能を見て、どう分業していくかを考える。

第二に、先行世代を参考にしたキャリアパスからの発想の転換を図ること。例えば、転職ではなく転業の可能性を検討する。都会ではいくら職探しをしても、加齢とともに賃金水準は下がり、それにつれて生活の質も下がらざるを得ない。縮小再生産のスパイラルに入ってしまう。

でも、人手が欲しい地方では、いま自治体がいろいろな移住支援策を実施しています。都会にいても前職とは比較にもならないような待遇の仕事しかないということであれば、いっそ体が動くうちに頭を切り替えて、Iターン、Uターンを選択するという人はこれから増えてゆくと思います。

超高齢化のせいで、職業上の空白があちこちにできつつある。転業のチャンスは探せばたくさんあります。

生き延びるために一番大切なのは、ネットワークです。都会から帰農した若者たちに聞くと、日々の生活必需品はほとんど物々交換やサービス交換で手に入るそうです。市場経済と直接にはリンクしていないから、不況になろうと株が乱高下しようと、生活の質は急激には変わらない。生活の安定を考えるなら、地域共同体や親族共同体の相互扶助ネットワークをしっかり構築するのはありうる選択肢の一つだと思います。

とにかく性別も年齢も、社会的ポジションも違う人と連携するネットワークを形成すること。メンバーが多様である、ニッチを異にしていること、得意技がそれぞれ違うことは安全保障の基本中の基本です。階層や職業が同質的な人々とだけの集団には危機耐性がありません。

生き延びるために必要なもう1つは、いかに“愉快に、機嫌よく”生き延びるか、です。不機嫌では想像力も知性も働きません。

悲観的にならない、怒らない、恨まない。そういうネガティブな心の動きはすべて判断力を狂わせます。危機的状況下では判断力の正確さが命です。にこにこ機嫌よくしていないと危機は生き延びられません。眉根に皺寄せて、世を呪ったり、人の悪口を言ったりしながら下した決断はすべて間違います。すべて。ほんとにそうなんです。不機嫌なとき、悲しいとき、怒っているときには絶対に重大な決断を下してはいけない。これは先賢のたいせつな教えです。

 

まずは配偶者との関係を穏やかで健全に保つこと。そのためには、自分が機嫌よくしていることが必須です。「バディ」として選んだその人と、夫婦というチームを成熟させ、安全保障を堅固にする。貧しくても、物心の不如意があっても、とりあえず「何とかなるよ」とにこにこ笑っていられるような、「機嫌のよい夫婦」にしか「夫婦が機嫌よく暮らす未来」は築けないと思います。ご健闘を祈ります。