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村上春樹の系譜と構造 その1 ☆ あさもりのりひこ No.381

村上春樹は書くという行為をつねに「坑夫が穴を掘る」というメタファーで語ります。

 

 

2017年5月14日の内田樹さんのテクスト「村上春樹の系譜と構造」を紹介する。

どおぞ。

 

 

最初にお断りしておきますけれど、僕は村上春樹の研究者ではありません。批評家でもない。一読者です。僕の関心事はもっぱら「村上春樹の作品からいかに多くの快楽を引き出すか」にあります。ですから、僕が村上春樹の作品を解釈し、あれこれと仮説を立てるのは、そうした方が読んでいてより愉しいからです。どういうふうに解釈すると「もっと愉しくなるか」を基準に僕の仮説は立てられています。ですから、そこに学術的厳密性のようなものをあまり期待されても困ります。とはいえ、学術的厳密性がまったくない「でたらめ」ですと、それはそれで解釈のもたらす愉悦は減じる。このあたりのさじ加減が難しいです。どの程度の厳密性が読解のもたらす愉悦を最大化するか。ふつうの研究者はそんなことに頭を使いませんけれど、僕の場合は、そこが力の入れどころです。

いずれにせよ、僕が仮説を提示するのは、みなさんからの「真偽」や「正否」の判断を求めてではありません。自分の「思いついたこと」をみなさんにお話しして、それに触発されて、「今の話を聞いて、私も『こんなこと』を思いついた」という人が一人でもいれば、僕はそれで十分です。

今回は二つのトピックを巡ってお話しします。一つは村上文学の「系譜」についてです。この「系譜」には「横の系譜」と「縦の系譜」の二つがあると僕は考えています。それについてお話しします。もう一つは「構造」についてです。村上文学の構造は、系譜と絡み合っています。系譜と構造は村上文学に取りかかる時の二つの「登山口」のようなものです。たぶんどちらから登っても結局は「同じところ」に行き着くはずです。まずは分かりやすい「系譜」の話からいたします。

 

村上春樹は『風の歌を聴け』(1979年)、『1973年のピンボール』(1980年)という初期の2作品を書いた時は「兼業作家」でした。20代の7年間をジャズバーを経営し、作家自身の言葉を借りれば「肉体労働」をして過ごしていた。29歳の時に、神宮球場でヤクルトスワローズの開幕戦を外野席で冷たいビールを飲みながら観戦していたときに、天啓のように「そうだ、小説を書こう」という気分になった、とご本人が回想しています。

初期の2作品は深夜に仕事が終わったあと、台所のテーブルの上で書かれました。1日の肉体労働が終わったあとに、クールダウンをするような感じで原稿用紙を文字で埋めていった。寝る時間を削って書いているわけですから、それほど長時間集中することはできない。せいぜい23時間でしょう。ですから、この2作は細かいセグメントの組み合わせになりました。アフォリズム的な作品といってもいい。短いエピソードや断片的な描写が繋ぎ合わされている。それが独特のドライでクールな味わいをこの2作品に与えています。それを「スマート」とか「都会的」というふうに感じた読者もいたと思います。でも、それは作家の選んだスタイルであったというだけではなく、たぶんに執筆事情が要請したものでした。

村上春樹が自分のスタイルを「発見」したのは第三作の『羊をめぐる冒険』(1982年)においてです。この前にジャズバーの経営を譲って、専業作家になった。これまでとは違って、長時間にわたって集中的に書く環境が整った。それによってスタイルが変わります。「深く掘る」ことができるようになった。そのあたりの事情を作家自身はこう回想しています。

「この小説を書き上げたとき、自分なりの小説スタイルを作りあげることができたという手応えがあった。また時間を気にせずに好きなだけ机に向かい、毎日集中して物語を書けるというのがどれくらい素晴らしいことなのか(そして大変なことなのか)、身体全体で会得できた。自分の中にまだ手つかずの鉱脈のようなものが眠っているという感触も得たし、『これなら、この先も小説家としてやっていけるだろう』という見通しも生まれた。」(『走ることについて語るときに僕の語ること』、文藝春秋、2007年、51頁)

ここに出て来た「鉱脈」という言葉にご注意ください。村上春樹は書くという行為をつねに「坑夫が穴を掘る」というメタファーで語ります。これは書いている時の彼の身体的実感なんだろうと思います。もし「創造する」ということを比喩的に言いたいのなら、他にもいくつも言い方はあるはずです。「家を建てる」でも「橋を架ける」でも「野菜を育てる」でもいい。でも、そういうメタファーを村上春樹は一度も使ったことがない。つねに「穴を掘る」です。

作家は毎日日課として小説を書きます。小説制作の現場に「出勤」し、そこで一定時間、「穴を掘る」。金脈を探す鉱夫と同じです。日々穴は掘った分だけ深くなるけれど、鉱脈にはなかなか堀り当たらない。でも、いつか鉱脈に当たると信じて掘り続ける。

このスタイルを村上春樹はレイモンド・チャンドラーに学んだと書いています。チャンドラーのルールは次のようなものでした。1日決まった時間だけデスクのタイプライターの前に座る。そこで物語を書く。それ以外のことはしてはいけない。手紙を書いたり、本を読んだりしてはいけない。ただ、書く。書くことが思いつかなくても、そのままじっとタイプライターの前に座っている。一定時間が経ったら、切り上げる。続きはまた明日。

同じことを作曲家の久石譲さんからも聴いたことがあります。作曲家の場合は毎日まずピアノの前に座る。そして決まった練習曲を何度か弾いて、指の訓練をする。それが終わったら「曲想が降りてくる」のを待つ。降りて来たらそれを記譜する。降りてこない日はそのままじっと待っていて、決められた時間が来たら、ピアノの蓋をして立ち去る。そういうもののようです。

村上春樹はこの聖務日課的な作業についてこう書いています。

 

「生まれつき才能に恵まれた小説家は、何をしなくても(あるいは何をしても)自由自在に小説を書くことができる。泉から水がこんこんと湧き出すように、文章が自然に湧き出し、作品ができあがっていく。努力する必要なんてない。そういう人がたまにいる。しかし残念ながら僕はそういうタイプではない。自慢するわけではないが、まわりをどれだけ見わたしても、泉なんて見あたらない。鑿(のみ)を手にこつこつと岩盤を割り、穴を深くうがっていかないと、創作の水源にたどり着くことができない。小説を書くためには、体力を酷使し、時間と手間をかけなくてはならない。作品を書こうとするたびに、いちいち新たに深い穴をあけていかなくてはならない。しかしそのような生活を長い歳月にわたって続けているうちに、新たな水脈を探り当て、固い岩盤に穴をあけていくことが、技術的にも体力的にもけっこう効率よくできるようになっていく。」(同書、64-65頁)