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対米従属テクノクラートの哀しみ(前編) ☆ あさもりのりひこ No.396

私見によれば、現代日本の問題点の多くは、私たちが久しく「ある現実」から必死に目を背けてきた努力の成果である。私たちが目を背けてきた「ある現実」とは「日本はアメリカの属国であり、日本は主権国家ではない」という事実である。

 

 

2017年6月11日の内田樹さんのテクスト「対米従属テクノクラートの哀しみ」を紹介する。

どおぞ。

 

 

対米従属テクノクラートの哀しみ

という標題の文章を「サンデー毎日」に寄稿した。発売日からだいぶ経ったから、ブログにも掲載しておく。

 

私たちが「問題」と呼んでいるものの多くは長期にわたる私たち自身の努力の成果である。だから、それは「問題」というよりむしろ「答え」なのである。

私見によれば、現代日本の問題点の多くは、私たちが久しく「ある現実」から必死に目を背けてきた努力の成果である。私たちが目を背けてきた「ある現実」とは「日本はアメリカの属国であり、日本は主権国家ではない」という事実である。この事実を直視することを集団的に拒否したことから、今日のわが国の不具合のほとんどすべてが派生している。

日本は属国だというとすぐに怒り出す人たちがいるので、同じことをそれよりは穏やかな表現に言い換えてみる。日本国民は憲法制定の主体ではない。

日本国憲法は1946年11月3日に公布された。公布時点では「上諭」というものが憲法の「額縁」として付されていた。その主語は「朕」である。

「朕は日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」。

憲法改正を裁可し、公布したのは天皇陛下である。だが、当の憲法前文を読むと、その憲法を制定したのは日本国民だと書いてある。

「日本国民は・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

これを背理とか没論理と言ってはならない。憲法というのはそもそも「そういうもの」なのである。

憲法前文が起草された時点で憲法の制定主体となりうるような「日本国民」は存在しなかった。いなくて当然である。憲法施行の前日まで全日本人は「大日本帝国臣民」だったからである。憲法を確定するほどの政治的実力を有した「日本国民」なるものは、権利上も事実上も、憲法施行時点では日本のどこにも存在しなかった。

もちろんGHQと憲法草案について交渉をした日本人はいた。九条二項を提案したのが幣原喜重郎だったというのもおそらく歴史的事実であろう。けれども、そのことと「日本国民は・・この憲法を確定する」という条文の間には千里の径庭がある。

憲法の制定主体は憲法内部的に明文的に規定されない。現に、憲法の裁可主体が「朕」であり、大日本帝国議会が憲法改正を議決したという事実は日本国憲法の本文のどこにも書かれていない。同じように、憲法を制定したのは日本国民であるはずなのだが、その「日本国民」が何者であるかについては憲法内部には規定が存在しない(10条に「法律で定める」としてあるだけだ)。

でも、もう一度言うが、憲法というのは「そういうもの」なのだ。

憲法の事実上の制定主体は、いかなる合法的根拠もなしに憲法を強制できるほどの圧倒的な政治的実力を有しているものでなければならない。憲法を制定するのは超憲法的主体である。ふつうは戦争か革命かあるいはそれに準じる壊乱的事態を収拾した政治主体がその任を担う。日本国憲法の場合はダグラス・マッカーサーである。

米国務長官だったジョン・フォスター・ダレスは1956年に、日米安保体制とは「アメリカが、日本国内の好きな場所に、必要な規模で、いつでも、そして必要な期間基地を置くことができる」ことだと語った。これは「アメリカは超憲法的存在だ」ということを軍事用語に言い換えたものである。この言明は今に至るまで撤回されていない。

私たち日本国民は憲法制定の主体であったことはない。だから、正直に言って、私たちは自分たちがこの国の主権者であるという実感を持ったことがない。教科書では「主権在民」と教えられたけれど、ほんとうの主権者は太平洋の向こうにいるということを私たちはずっと知っていた。国に主権がないのに国民が主権者でありうるわけがない。

けれども、日本がいつかアメリカから国家主権を奪還する日が来る、日本国民がいつか晴れて日本の主権者になれる日が来るのではないかということについては日本人は漠然とした期待だけは抱き続けていた。それが「対米従属を通じての対米自立」という国家戦略の意味である。

対米従属は敗戦国にとってはそれ以外に選択肢のない必至の選択であり、また十分に合理的なものであった。そのおかげで日本は1951年にサンフランシスコ講和条約で国際法上の主権を回復し、1972年には沖縄施政権を回復した。これはまさに対米従属の「成果」と呼ぶべきものである。このペースでこのまま主権回復・国土回復(レコンキスタ)が続けばいずれ日本が主権を回復する日が来る、日本人はそう希望することができた。

そのうちに思いがけなく高度成長期が到来して、「経済戦争でアメリカに勝つ」という途方もない希望がいきなり現実性を持ってきた。「エコノミックアニマル」と国際社会では蔑まれたが、あれは「もしかすると国家主権を金で買えるかも知れない」という敗戦国民の脳裏に一瞬浮かんだ夢がもたらしたものだったのである。

バブル当時に「今の日本の地価を合計すると、アメリカが二つ買える」という言い方がよくなされた。それを口にするときのビジネスマンたちの満足げな顔を私は今でも覚えている。それは「アメリカの頬を札びらで叩いて主権を買い戻す」という想像がその時期の日本人にそれなりのリアリティを持っていたことを教えてくれる。しかし、91年のバブル崩壊でその夢はついえた。

アジアで地政学的な存在感を増して、その外交的実力を背景にアメリカに国家主権を認めさせるというプランは2005年の国連常任理事国入りの失敗によって消えた。

このとき日本の常任理事国入りの共同提案国になってくれたアジアの国はブルネイ、アフガニスタン、モルジブの三か国のみだった。中国も韓国もASEAN諸国も日本の大国化を非とした。日本が常任理事国になってもそれは「アメリカの票が一つ増えるだけ」という指摘に日本の外交当局は反論できなかった。「日本がアメリカの忠実な属国であるのは、それによってアメリカからの自立を果たし、アメリカとは違う外交的ふるまいをするためなのだ」という、日本人にとっては自明に思えるのだが、非日本人にはまったく理解不能の国家戦略を日本はアジアの隣国に説明する努力を怠ってきた。その「つけ」を払ったのである。2005年時点で、「大国化を通じての対米自立」というプランは現実性を失った。

政治経済で打つ手がない以上、他に手があるはずがない。指南力のある未来像を提示して国際社会を牽引するとか、文化的発信力で世界を領導するなどという大仕事を、戦後ずっと「金儲け」と「対米従属」しか念頭になかった国に誰が望むことができよう。

 

だから、2005年時点で「対米従属を通じての対米自立」という戦後60年間続いた国家戦略は事実上終焉したのである。そして、それからあとは「対米自立抜きの対米従属」という国家の漂流と政治的退廃が日本を覆うことになった。