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対米従属テクノクラートの哀しみ(後編) ☆ あさもりのりひこ No.398

2012年のアーミテージ・ナイ報告書は「日本は一流国家であり続けたいのか、それとも二流国家に成り下がって構わないのか? 日本の国民と政府が二流のステータスに甘んじるなら、この報告書は不要であろう」という恫喝から始まる。日本政府はこの恫喝に縮み上がって「一流国でありたいです」と答えて、報告書のすべての要求に応じた(原発再稼働、TPP交渉参加、掃海艇ホルムズ海峡派遣、特定秘密保護法の立法、PKOの法的権限の拡大、集団的自衛権の行使容認、武器輸出の解禁などなど)。「一流国でありたければ、言うことを聞け」というような剥き出しの恫喝に叩頭する国を他国は決して「一流国」とも「主権国家」とも見なさないだろうということが頭に浮かばないほどに日本人はいつの間にか「従属慣れ」してしまっていた。

 

 

2017年6月11日の内田樹さんのテクスト「対米従属テクノクラートの哀しみ」を紹介する。

どおぞ。

 

 

2012年のアーミテージ・ナイ報告書は「日本は一流国家であり続けたいのか、それとも二流国家に成り下がって構わないのか? 日本の国民と政府が二流のステータスに甘んじるなら、この報告書は不要であろう」という恫喝から始まる。日本政府はこの恫喝に縮み上がって「一流国でありたいです」と答えて、報告書のすべての要求に応じた(原発再稼働、TPP交渉参加、掃海艇ホルムズ海峡派遣、特定秘密保護法の立法、PKOの法的権限の拡大、集団的自衛権の行使容認、武器輸出の解禁などなど)。「一流国でありたければ、言うことを聞け」というような剥き出しの恫喝に叩頭する国を他国は決して「一流国」とも「主権国家」とも見なさないだろうということが頭に浮かばないほどに日本人はいつの間にか「従属慣れ」してしまっていた。

この急激な「腰砕け」は一つには世代交代のせいだと私は思っている。1980年代まで、政官財の主要なプレイヤーは戦前生まれであり、「日本が主権国家であった時代」を記憶していた。彼らが生まれた時に祖国は主権国家であった。そして、自国の運命にかかわる政策を(それが亡国的なものであってさえ)他国の許諾を求めることなく自己決定することができた。それが「ふつうの国」であり、敗戦国日本はそこに回帰すべきだという「帰巣本能」のようなものをこの世代までの人々は持っていた。

けれども、21世紀に入ってしばらくすると「主権国家の国民であった記憶」を持った人たちが国の要路にはいなくなった。今の日本の指導層を形成するのは「主権を知らない子どもたち」である。この世代(私もそこに含まれる)にとって「アメリカの属国民であること」は自明の歴史的与件であり、それ以外の国のかたちがありうるということ自体もううまく想像することができなくなっている。

敗戦国が戦勝国の属国になるというのは歴史上珍しいことではない。敗戦国がそのあと主権を回復することも同じく珍しいことではない。それができたのは、「われわれは属国という屈辱的な状況のうちにある。いつの日か主権を奪還しなければならない」という臥薪嘗胆・捲土重来という気概を人々が長期的に保持していたからである。

現代日本の危機はその気概そのものが失われたことにある。

今わが国の要路にある人々はおしなべて対米従属技術に長けた「対米従属テクノクラート」である。彼らはアメリカの大学で学位を取り、アメリカに知友を持ち、アメリカの内情に通じ、アメリカ政府や財界の意向をいち早く忖度できる。そういう人たちがわが政官財学術メディアの指導層を形成している。彼らは「対米従属」技術を洗練させることでそのキャリア形成を果してきた。そして、21世紀のはじめに「対米従属は対米自立のための戦術的迂回である」ということを知っていた世代が退場したあと、取り残されたエリートたちは自分たちが何のために対米従属技術を磨いてきたのか、その理由がわからなくなった。

もちろん彼らが対米従属技術に熟達したのは、たかだか個人的な「出世」のために過ぎなかった。だから、「対米自立」という大義名分が失われたとき、彼らは本能的に「対米従属こそが日本の国益を最大化する道だ」という新しい大義名分を発明し、それにしがみついたのである。これは宗教的信憑に類するものであった。

だが、「対米従属テクノクラート」たちのこの信憑を揺るがすものたちがいる。それは「アメリカから国家主権を奪還したい」という素朴な願いを今も持ち続けている人たちである。この「素朴な」人々は日本の国益とアメリカの国益はときに相反することを現実的経験として知っており、その場合には日本の国益を優先させるべきだと思っている。この人々の「常識」が開示されることを対米従属テクノクラートたちは何よりも恐れている。

それゆえ、「日本はすでに主権国家であるので、主権奪還を願うというのは無意味かつ有害なことである」というイデオロギーを国民に刷り込むことが対米従属テクノクラートにとっての急務となるのである。ここまで書けば、安倍政権に領導される極右の政治運動が沖縄の基地問題や日米地位協定や首都上空の空域主権の問題(つまり主権回復・国土回復の問題)が前景化しないようにあらゆる手立てを尽くしていること、「国民主権の廃絶」そのものをめざしている改憲運動が当の国民たちから一定の支持を受けているという不条理の意味が少し理解できるはずである。

先に書いたとおり、私たちは「日本には国家主権がないこと」を知っている。それは「日本国民は主権者ではない」ということを意味する。むろん国家主権がないがゆえに私たちは主権の回復を願っているわけだけれど、極右の政治思想はそこを痛撃してくるのである。「主権の回復を願うお前たちは権利上何ものなのだ?」と。

お前たちは主権者ではないし、かつて主権者であったこともない。アメリカによって「主権者」と指名されただけの空疎な観念に過ぎない。お前たちがいつ憲法制定の主体となるほどの政治的実力を持ったことがあるか? 

こう言い立てられると、私たちはたじろいでしまう。まさにその通りだからである。

彼らはこう続ける。お前たちはその実状にふさわしい地位と名を与えられなくてはならない。それは「非主権者」である。だから、これから憲法を改定し、基本的人権を廃し、日本国民は日本国の主権者ではないという現実を明文化する。

極右の「廃憲」論の本質は約めて言えばそういうものである。空疎な理念を捨てて痛苦な現実を受け入れろと彼らは命じているのである。曲芸的な理路なのだが、なぜか妙な説得力がある。もちろん「日本の国益とアメリカの国益は完全に一致している」という命題そのものが偽なので、論理は土台から崩壊しているのだが、それでも「お前たちは主権者ではないのだからその無権力にふさわしい従属状態を甘受せよ」という決めつけには尋常ならざるリアリティがある。というのは、それがまさに対米従属テクノクラートたちがアメリカとのフロントラインで日々聞かされている言葉だからである。「お前たちは属国民だ。その地位にふさわしい従属状態を甘受せよ」と。それを言われると彼らも深く傷つくのだ。でも、ほんとうのことなので反論できない。そのフラストレーションを解消するために、対米従属テクノクラートたちは彼ら自身を傷つける言葉をそのままに日本国民にぶつけているのである。

日本人が国家主権の回復をめざす対米自立の道をもう一度たどり直すまで、この自傷行為は続くだろう。

 

病は深い。