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地方移住の意味するもの(後編) ☆ あさもりのりひこ No.409

今求められているのは、この後始まる「定常経済の時代」において世界標準となりうるような「オルタナティヴ」を提示することである。若者たちの地方移住はその「オルタナティヴ」のひとつの実践である。

 

 

2017年7月31日の内田樹さんのテクスト「地方移住の意味するもの」を紹介する。

どおぞ。

 

 

「コンパクトシティ」構想という国交省のプランは、この「里山から地方都市へ」という人口移動を利用しようとするものだと私は考えている。

たしかに、里山の住人たちを地方都市に呼び集めれば、一時的に地方都市は人口を回復し、消費活動も活発になるだろう。だが、それも一時的なものに終わる。そもそも里山の人口減は高齢化によるものである。高齢者を地方都市へ集めれば、地方都市が高齢化するだけの話である。彼らは年金や貯金の取り崩しによって、しばらくの間はいくばくかの消費活動を行い、介護など高齢者対象の雇用を創出しはするだろう。だが、里山で営んでいた生業を継続することはもうできないし、新たに起業することも期待できない。そして、何年か経って、消費活動に特化したこの高齢者層が「退場」したあと、「コンパクトシティ」はかつての里山と同じステイタスになる。住民たちは「採算が取れない」という理由で、それまで享受していた交通や通信や上下水道や医療や教育や防災や治安のサービスを打ち切られる。「採算が合わない行政サービスは廃止すべきだ」というロジックをかつて一度受け入れた以上、二度目も三度目も、受け入れ続けるしかない。かつて里山からコンパクトシティへ移住したように、今度は次の「もう少し大きい地方都市」への移住が促される。でも、やがてそこも人口減になる。すると、今度は「首都圏」への移住が促されるだろう。そして、最終的に首都圏に列島の人口の大部分が集まり、その外には「無住の荒野」が広がる。

「採算が合うか合わないか」ということを唯一の物差しにして、公共サービスの打ち切り・縮小を続けていれば、100年後の日本は「そういう光景」になる。

厚労省の中位推計によれば、100年後の日本の人口は約5000万人。今から7000万人ほど減って、日露戦争の頃の人口にまで縮減するのである。その5000万人が明治時代の日本のように列島各地に広く分布し、その頃のような穏やかな風景を取り戻すことになるのか、あるいは今私が描いたようなディストピア的風景になるのか、それはまだわからない。だが、経産省や国交省が描いている未来社会は「ディストピア」の方である。

前代未聞の人口減局面に立ち至って、まだ「経済成長」というようなことを言っている人たちなのだから、これからも「選択と集中」を呪文のように唱え続けるだろう。五輪や万博を招致し、カジノやアミューズメントパークを作り、リニア新幹線のような不要不急の土木事業に巨額の国富を投じ、「一発大当たりしたセクターからのトリクルダウン」を約束して、国民には増税や低賃金や私権の制限を求める。私は個人的にこれらの政策を「日本のシンガポール化」と呼んでいるが、政官財が日本の「明日の姿」として合意しているのはその方向と断じて間違いない。

シンガポールはご存じの通り、国是が「経済成長」であり、すべての社会制度は経済成長に資するか否かを基準に適否が決定される。だから、建国以来事実上の一党独裁であり、治安維持法によって令状なしで逮捕拘禁ができ、反政府的メディアも反政府的な労働運動も市民運動も学生運動も存在しない「世界で一番ビジネスがしやすい国」である。然るべき筋に通じて、権力者によって「身内」認定されれば、面倒な手続きも審査も「岩盤規制」もなしに利益の多いビジネスが始められる環境のことをもし「ビジネスがしやすい国」と呼ぶのだとすると、本邦における森友学園・加計学園問題のプレイヤーたちがどういう社会体制を理想としているかはおのずと知れる。

地方移住する若者たちになぜメディアも行政も関心を示さないのか、なぜ里山をもう一度豊かな故郷に蘇生させようとする彼らの願いに対して国を挙げての支援体制を整えようとしないのか、その理由は以上の説明でだいたいご理解頂けただろうと思う。

地方移住者たちは直感的にそういう生き方を選んだ。それは経済成長が止まった社会において、なお「選択と集中」という投機的な経済活動にある限りの国富を投じようとする人たちに対抗して、まだ豊かに残っている日本の国民資源-温帯モンスーンの豊饒な自然、美しい山河、農林水産の伝統文化、地域に根付いた芸能や祭祀を守ろうとする人たちが選んだ生き方である。

先月号の『フォーリン・アフェアーズ・レポート』では、モルガン・スタンレーのチーフ・グロバル・ストラテジストという肩書のエコノミストが、経済成長の時代は終わったという「経済の新しい現実を認識している指導者はほとんどない」ことを嘆いていた。経済目標を下方修正しなければならないにもかかわらず、政治家たちは相変わらず「非現実的な経済成長を目標に設定し続け」ている。中でも質の悪い指導者たちは「人々の関心を経済問題から引き離そうと、外国人をスケープゴートにしたり、軍事的冒険主義に打って出たりすることでナショナリズムを煽っている」(『フォーリン・アフェアーズ・レポート』、2017年 第六号、フォーリン・アフェアーズ・ジャパン、21-22頁)。

まるで日本のことを書かれているような気がしたが、世界中どこでも政治指導者たちの知性の不調は似たり寄ったりのようである。

 

だが、このエコノミストのような認識が遠からず「世界の常識」になるだろうと私は思っている。今求められているのは、この後始まる「定常経済の時代」において世界標準となりうるような「オルタナティヴ」を提示することである。若者たちの地方移住はその「オルタナティヴ」のひとつの実践である。海外メディアがこの動きを「超高齢化・超少子化日本の見出した一つの解」として興味をもって報道する日が来るのはそれほど遠いことではないと私は思っている。