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変節と変態について ☆ あさもりのりひこ No.419

憲法九条と自衛隊が併存できたのは、この二つの制度が成立したときの圧倒的なリアリティー(「第三次世界大戦で世界が滅亡するかも知れないという恐怖」と「朝鮮半島全域が赤化して、日本列島が『反共の砦』の最前線にとして米軍の軍政下におかれるという予測」)がそれぞれ希薄化し、風化したからである。

 

 

2017年8月28日の内田樹さんのテクスト「変節と変態について」を紹介する。

どおぞ。

 

 

信州岩波講座というイベントで加藤典洋さんとご一緒した。「変わる世界 私たちはどう生きるか」という総合テーマでの連続講演の第二回目である。

主宰は岩波書店と信州毎日新聞と須坂市。もうずいぶん長いこと続いているイベントとのこと。

加藤典洋さんが「どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ 激動の時代と私たち」というお題で1時間、僕が「帝国化する世界・中世化する世界」で1時間。その後対談と質疑応答。

加藤さんは「どんなことが起こっても『これだけは本当だ』と言い切れる」腹の底にしっかりすわっている身体実感と、「こういうふうに考えるのが正しい」という叡智的な確信の間には必ず不整合が生じると言う。

それを二階建ての建物に喩えた。身体実感が一階部分、知的確信が二階部分に当たる。

その二つが一致しているように思える時もある。けれども、歴史的与件が変わると、二階部分が現実と齟齬するということが起きる。

例えば、幕末の尊王攘夷運動における薩長と水戸藩の違い。水戸藩はイデオロギー的にはすっきりしているけれど、現実と齟齬していた。薩長はイデオロギー的には支離滅裂だったけれど現実に適応した。結果、現実に適応して「尊王攘夷」から「尊王開国」に「変節」し、「転向」し、「変態」した薩長が政治的勝利を制した。

イデオロギー的に「すっきりしている」ことはその組織や運動が持ちうる現実変成力と相関しない。

これはたいへん重要な指摘だ。

私も「ためらい」とか「引き裂かれてあること」とか「ナカとって」とか、言葉づかいは違うけれど、一貫して「話を簡単にしたせいでことが進まないより、話を複雑にして話が進むなら、その方がいい」という立場である。

それは私が心底イラチだからである。

私は無駄が嫌いである。

世間には勘違いしている人が多いが、「話を簡単にする」ということは「無駄を省く」ということではない。全然、ない。

急がば回れ。Walk dont run と言う。

ラテン語の古諺にはfestinatio tarda est 「急ぐことは遅れることである」というのもある。

「話を複雑にした方」がほとんどの場合「無駄は省ける」のである。

というのは、話を簡単にして拙速で出した「成果」はだいたい失敗するからである。

後の始末が大変である。まず失敗を認めさせるのに時間がかかる。

「早い話が」というようなことばかり言う徒輩は自分の失敗を認める段になると、こそこそ姿を隠したり、うだうだ言を左右にしたりして異常に「話を遅く」するのである。誰とは言わないが、すぐに思い当たるはずである。すでに失敗しているプロジェクトを停止させるのに時間がかかり、それを適正な仕方で補正するのに時間がかかり、逸失利益を補填するのにさらなる時間がかかる。

私はそれが嫌なのである。

間違っていることが嫌いである以上に、私は無駄が嫌いなのである。

加藤さんは私のように「イラチ」ゆえにではないが、身体実感と叡智的な判断の不整合に苦むことで生まれる「変節」や「変態」を人性の自然ととらえる。

その視点から憲法九条と自衛隊についても論じた。

その所論は加藤さんの書き物を徴してもらうとして、私の私見を少し書き止めておきたい。

『戦後入門』で加藤さんが書かれていたように、憲法九条は1946年時点では「リアル」な条文だった。

原爆投下の現状を見て、GHQ内部でも理性的にものを考えられる人たちは「次の世界大戦」はおそらく核戦争になること、それは人類の破滅を意味することを学習した。それを防ぐためには「個々の国家は国際紛争の解決法として戦力を用いない。国際連合が専一的に武力を管理する」ということをルールとして採用する以外に手立てがないと思った。

日本国憲法は「これから世界中の国々がこの憲法に倣って『九条のような条項』を採択する」ときのモデルになるものとして構想された。

後になって「何を理想主義的な寝言をいいやがる」とシニカルに口を歪めて見せるのは簡単だが、はじめて原爆投下の効果を見たときのアメリカ人が感じたショックを過小評価してはいけない。彼らに「こんなものは二度と使ってはならない」と思わせたのは広島長崎の原爆被害という「生まれてから見たこともない現実」であって、世界平和という「出来合いの観念」ではない。

けれども憲法九条のリアリティーは原爆のすさまじい破壊力を「生まれてはじめて知った」世代においては受肉したけれども、東西冷戦の進行と繰り返される核実験を通じて、たちまち風化した。

1950年代に量産された「核戦争で世界が滅亡するSF小説やSF映画も」も(クリエーターたちの志とはうらはらに)核実験と同じように「核戦争」をより身近なものに、つまり「耐えやすいもの」に変えてしまった。

人間というのはタフな生き物である。

世界滅亡のシナリオを毎日読まされているうちに、「世界滅亡のシナリオ」を日常的なものに思いなし、ついには操作可能なものとみなすに至ったのである。

そして、たしかにあれから72年、原水爆は戦争では使われなかった。

だから、「核戦争のカジュアル化」というのは一つの有効なソリューションだったのかも知れない。

けれども、それは「憲法九条を制定させた原爆被害の生々しさ」を風化させることを代償として手に入れられたものである。

朝鮮戦争という隣国での戦争のために再建された警察予備隊はそれから保安隊・自衛隊というふうに段階的に拡大していった。

それにすぐに日本人は慣れていった。

復員兵たちが軍隊に対して示した激しいアレルギーも、時間が経ち、戦争経験が記憶から薄れるにつれて感知できなくなった。

そういうものである。

憲法九条と自衛隊が併存できたのは、この二つの制度が成立したときの圧倒的なリアリティー(「第三次世界大戦で世界が滅亡するかも知れないという恐怖」と「朝鮮半島全域が赤化して、日本列島が『反共の砦』の最前線にとして米軍の軍政下におかれるという予測」)がそれぞれ希薄化し、風化したからである。

私はこの二つの「現実になったかもしれない未来」が現実にならなかったことを心からうれしく思っている。

憲法九条と自衛隊が併存しうるという「不整合な現実」はこの「ありがたい現実」の裏返しの表現である。

憲法九条が「非現実的」に思えるのは、憲法九条が非現実的なものに思えるように、つまり第三次世界大戦の勃発を防ぐことで「あり得たかもしれない現実」をあらしめなかった先人たちの努力の成果なのである。

憲法九条が「非現実的」だから改定せよというのは、その先人たち(日本人だけに限らない。世界中で戦争を防ぐために身を粉にしてきた人たち)の努力を蔑することである。

 

あらゆる制度は、それがどういう歴史的経緯で生まれ、どういう歴史的与件の変化によって、それが持つ「意味」を変態させていったのか、それを見なければ理解できない。