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北星学園での講演(第8回) ☆ あさもりのりひこ No.431

実際にはかなりジャンクな商品であっても、商品イメージの設定が巧みで、広告が適切だったら、消費者は買います。「消費者は神さま」ですから、消費者が質のよい商品を棄てて、質の悪い商品を選んでも、それは消費者が正しいということになる。

 

 

2017年8月31日の内田樹さんのテクスト「北星学園での講演」を紹介する。

どおぞ。

 

 

今にして思うと、あの時にもう少し議論を練るべきでした。そんなに簡単に学校教育の適否の判断を市場に委ねていいのか。実際にはかなりジャンクな商品であっても、商品イメージの設定が巧みで、広告が適切だったら、消費者は買います。「消費者は神さま」ですから、消費者が質のよい商品を棄てて、質の悪い商品を選んでも、それは消費者が正しいということになる。学校についてもそのようなことが起きるかもしれないけれど、それでもいいのかという議論は誰もしなかった。消費者に選好される教育機関は「よい学校」であり、消費者が見向きもしない教育機関は「要らない学校」だということに衆議一決した。「社会的ニーズ」に見合った教育商品を提供できない学校は消えるしかないというシニカルな断定に誰も反論しなかった。「ニーズ」という言葉が大学の中で繰り返し口にされるようになったのが、90年代半ばからです。それまで僕が学生院生だった70年代も、教員をしていた80年代も、そんな言い方で教育を語る人なんか教員の中にはいませんでした。でも、ある時点から、「ニーズ」とか「マーケット」とか「コストパフォーマンス」とかいうそれまで使われたことのないビジネス用語が大学の会議でもふつうに口にされるようになった。今はもうそれがふつうになりましたけれど、こんなふうな言い回しを大学の教員が言い出したのはわずか20年くらい前からなんです。

そもそも学校の建学の原点に立って考えたら、「ニーズ」なんて言葉が出てくるはずがないんです。今日も冒頭に北星学園の建学者の話が出て来ましたけれど、この学校がどうしてできたかという根本に立ち返って考えてみたら、その時点で「マーケットのニーズ」なんてないんですよ。全然。北星のスミスさんという建学者も、神戸女学院のタルカットさん、ダッドレーさんも、誰も呼んでいないのに、アメリカから来て建学したわけです。神戸女学院の二人の女性宣教師はアメリカン・ボードという伝道団体から派遣されて神戸に来ました。彼女たちが日本に来るとき、サンフランシスコから船に乗ったわけですけれど、乗船時点では日本はまだキリスト教禁制下だったのです。江戸時代のご法度がそのままだった。幸い、日本に着いた時には「キリスト教禁止」の高札が下ろされた後でしたので、違法にならずに伝道活動ができた。でも、アメリカを出る時に、彼女たちの教育内容に対する「市場のニーズ」なんていうものは日本国内のどこにもなかったんです。

 

消費者が選好するような教育プログラムを提供する教育機関にだけ存在理由があると平然と言い放つ学校経営者がいますけれど、もし明治時代にそんなことを言っていたら、日本の私学のほとんどは今存在していないということを少し考えた方がいいんじゃないかと思います。明治時代にも「そういうこと」を公言する人たちばかりであったら、その人たちが卒業した大学そのものが実は存在していなかったかも知れないということを彼らは想像することができないのでしょうか?