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文字の出現によって、人間は未来と過去という概念を獲得して、未来に対する不安と過去に対する後悔という、それまで人類が有したことのなかったものを持ってしまった
2017年9月1日の内田樹さんのテクスト「シンギュラリティと羌族の覚醒」を紹介する。
どおぞ。
安田さんによると、文字の出現によって、人間は未来と過去という概念を獲得して、未来に対する不安と過去に対する後悔という、それまで人類が有したことのなかったものを持ってしまったそうである。それが文字による時間の可視化の効果である。
「祈り」も「呪い」も「占い」も、時間が可視化されることがなければ、存在しない、と。
その通りだろう。
それを聞いて、こんな話を思い出した。
「朝三暮四」という説話である。
宋の狙公は猿を何匹も飼っていたが、懐具合がさみしくなり、餌代を節約しなければならなくなった。それまでは餌の「とちの実」を朝四つ、夕方四つ与えていた。猿たちに向かって、これからは「朝に三つ、夕方に四つにしたい」と提案すると猿たちは激怒した。「じゃあ、朝に四つ、夕方に三つならどう?」と訊いたら、猿たちは大喜びした。
この逸話はいったい何を意味しているのだろう。
私はこれはsingularity の話ではないかと思う。
人間と猿は時間意識が違う。それはsingularity 以前の人間と以後の人間では、時間意識が変わってしまったことを説話的に表象しているのではないか。
宋の狙公の逸話は春秋時代(紀元前770年~紀元前403年)のことである。
安田さんのいう「あわいの時代」というのは、殷代に甲骨文字が発明されて(紀元前17世紀から紀元前11世紀)文字のsingularity があってから、読字という習慣が集団の相当部分に広がるまでの、時間意識を持たない人々と時間意識を持つ人々が「共存」していた時代のことである。
その時代に「時間意識」をめぐる物語がいくつも書かれているのは、おそらくゆえなきことではない。
たとえば『韓非子』にある「守株待兔」の話がそうだ。童謡「まちぼうけ」のオリジナル説話である。
宋代に一人の農夫がいた。彼の畑の隅の切り株に、ある日兎がぶつかって、首の骨を折って死んだ。それを持ち帰って「兎汁」にして食べた農夫は、次の日から耕作を止めて、終日兎がやってきて首の骨を折るのを待った。兎は二度と来ず、農夫は収穫物を得られず、国中の笑いものになった。
これも春秋時代の話である。
なぜその時代には「こんな話」が選好されたのか。
それはこの「あわいの時代」にはまだsingularity 以前の「時間意識をもたない人たち」がいたからである。約束という概念も、確率という概念も、可能性という概念も持たない人々がいたので、「以後」の人々は彼らを笑いものにしたのである。