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時間意識と知性 ☆ あさもりのりひこ No.506

人間とはおのれの起源を知らないが、おのれの起源を知らないということを知っているもののことである。

 

 

2018年2月1日の内田樹さんのテクスト「時間意識と知性」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ポートアイランドの理化学研究所というところに招かれて、自然科学の専門家たちを前にしてお話をしてきた。せっかくの機会なので、人間の知性とは何かという根源的なテーマを選んで70分ほど「ごった煮」的なレクチャーをした。聴衆のリアクションがとてもよかったので、つい暴走して、いろいろふだん言わないようなことまで口走ったので、備忘のためにここに記しておく。ものすごく長い話なので、ここに掲げたのはその半分くらいである。

 

『ブレードランナー2049』は「人間とレプリカントを識別する指標は何か?」という問いをめぐる物語である。それは「最終的に人間の人間性を担保するものは何か?」という問いに置き換えることができる。

人間性とは突き詰めて言えば何なのか?それ以外のすべての条件が人間と同じである人工物を作り得たとしても、それだけは与えることができないものがあるとしたら、それは何か?

これは古い問いである。おそらくこの問いが生まれたのは紀元前2000年頃の中東の荒野である。この問いを得たときに一神教が発祥した。「創造主」という概念を人間が手に入れたのである。

神であっても「それだけは与えることができないもの」があるとしたら、それは何か?

古代ユダヤ人はこの問いにこう答えた。「それは神を畏れる心である。」

もし神がその威徳に真にふさわしいものであるなら、神の命じるままに機械的に神を敬う、腹話術師の操る人形のようなものを創造したはずはない。神は必ずや自力で神を見出し、神を敬い、神を畏れることができるほど卓越したものを創造したはずだ。

ユダヤ人はそう考えた。その時に一神教が誕生した。

人間には「神を畏れる心」が標準仕様ではビルトインされていない。人間はある種の自己努力を通じて「神を畏れる」能力を獲得しなければならない。

「神を畏れる能力」というのは、「人間の無能・無力」を自覚し、それに不安を覚え、苦悩する能力のことである。人間以外の動物はそのような「無能・無力の自覚」を持たない。自己を超越した境位を概念として持たない。人間だけが「人間を超えるもの」を考想し、それを畏れ、崇敬することができる。

おのれの有限性を通じて神の無限性を考想しうる力、それが人間の人間性をかたちづくっている。

興味深いことに『ブレードランナー』の世界でも、レプリカントたちもまたおのれの無能力と有限性についての深刻な悩みを抱えており、それを足がかりにして自己超越の方途を探求している。その点では、『ブレードランナー』のレプリカントたちは「人間の条件」を満たしているのである。

人間とはおのれの起源を知らないが、おのれの起源を知らないということを知っているもののことである。

人間は神によるこの世界の創造には立ち会っておらず、創造に遅れてこの世界に登場したものだと知っているもののことである。

古代の中東においてユダヤ人がその人間性の定義を見出した。彼らはそうして「造物主による創造」という見たことも聞いたこともない「過去」を発見したのである。

主はもういない。かつては預言者や族長たちに来臨したけれど、その人たちも死に絶えた。

カバラ―の「チムツム」神話は創造主はその身を縮めて、「空隙」を創り出し、それが世界となったという宇宙論である。まさに神が不在になったことによって世界は創造され、人間たちは「神」という概念を手に入れたのである。

これは「メシア」概念と成り立ちが同じである。

メシアはつねに「未だ来たらぬもの」である。その席はつねに空席である。けれども、救世主によって満たされるべき空席が存在するということが一神教徒たちの世界を整序し、その行動規範を支え、彼らの世界を生きるに値するものにしているのである。

われわれを存在せしめ、その生き方を教えるはずの「何ものか」がいまここにいないことを根拠にして現実の世界を秩序づけ、倫理を基礎づけること、それを「時間意識の獲得」と呼ぶことにする。これが一神教的な意味でのsingularity である。

同じことは紀元前10世紀ごろの古代中国でも起きた。

ここでのsingularityは文字の発明によってもたらされた。

文字の発明以前、言葉は音声として朗誦された。歴史も物語も儀礼も倫理も、すべては朗誦された。何かを知ろうとするとき、無文字社会の人たちは、口伝の教えを最初から唱えなければならなかった。

身体の律動と音程に支援されて暗誦された巨大な記憶のアーカイブには「シーケンシャルなアクセス」しか許されなかったからである。

文字の発明は「初めから最後まで朗誦する」ことを不要にした。書物のかたちをとることによって、記憶アーカイブへの「ランダムアクセス」が可能になったのである。

文字の発明がもたらしたのは、それまで「過去の記憶にたどりつくために(朗誦という作業を通じて)リアルタイムで生きなければいけなかった時間」を一気に短縮して、時間を一望俯瞰できるかたちで可視化したことである。

その時に「過去の現時化」が起きる。シーケンシャルアクセスにおいては、朗誦者がようやく現在までたどり着いた時に、過去の物語はずいぶん前に語られ終わっていて、もうそのリアリティを失っている。けれどランダムアクセスにおいては、読者は過去と現在を、同じ頁の、同じ視野のうちでほぼ同時的に把持することができる。

それは過去が現時的リアリティをもって迫ってくるということである。

とうに過ぎ去って、ここにはもうないものの切迫、「過去の現実性」を文字による時間の可視化はもたらした。

しかし、この時期に「文字を知り、過去と未来の切迫を感じることができるようになった人間」と「文字を知らず、それゆえ直線的な時間意識を持てず、いまここにしかリアリティを感じることのできない人間」が混在するという事態が生じた。それが紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけての春秋戦国時代である。

この時代に智者たちは「時間意識を持て」と説いた。現実には見聞きしえぬものの切迫を感じることのできる考想力を持てと説いた。

孔子が論語で説いた「仁」というのは儒教の中心概念でありながら、一意的な定義が知られていない。孔子はさまざまな文脈でさまざまな言い換えを通じて「仁」が何であるかを語ったが、それを仮にある種のかたちある「徳性」だと考えると、孔子のこのわかりにくさは不合理である。

孔子が言おうとした「仁」とは「過去と未来にリアリティを感じることのできるひろびろとした時間意識」のことではないかというのが私の仮説である。

「子曰く、仁遠からんや、我仁を欲すれば、すなわち仁至る」(述而篇)

「仁以て己が任となす、亦重からずや。死して後已む、亦遠からずや」(泰伯篇)

私たちにわかるのは、仁者は「仁が現にここに存在しない」という当の事実に基づいて、仁がかつて存在し、今後いつの日か存在しうることを確信するという、順逆の狂った信憑形式で思考する人間だということである。

「我仁を欲すれば、すなわち仁至る」とは、空間的に遠くにあるものを呼び寄せるという能動的なふるまいを指しているのではない。そうではなくて、「仁を欲するもの」が出現することによってはじめて「仁」という概念そのものが事後的に受肉するという時間的経験を述べているのである。それは「神を畏れる」ことができる人間の出現と同時に「神」という概念が受肉する一神教の構造に通じている。

だから、孔子は「述べて作らず」と宣言したのである。

仁者も預言者も、創造の現場には立ち会っていない。彼らは自らを「起源に遅れたもの」「世界の創造に遅れたもの」と措定する。そして、祖述者・預言者としておのれに先んじて存在した「かつて一度も現実になったことのない過去」を遡及的に基礎づけようとしたのである。白川静はこう書いている。

「孔子においては、作るという意識、創作者という意識はなかったのかも知れない。しかし創造という意識がはたらくとき、そこにはかえって真の創造がないという、逆説的な見方もありうる。(・・・)伝統は追体験によって個に内在するものとなるとき、はじめて伝統となる。そしてそれは、個のはたらきによって人格化され、具体化され、『述べ』られる。述べられるものは、すでに創造なのである。しかし自らを創作者としなかった孔子は、すべてこれを周公に帰した。周公は孔子自身によって作られた、その理想像である。」(『孔子伝』)

孔子における周公は預言者における「造物主」と構造的には同じものである。重要なのは「私は遅れて世界に到着した」という名乗りを通じて「遅れ」という概念を人々のうちに刻み付け、それを内面化させることだったからである。

孔子が「遅れの倫理学」を説く一方で、同時代の人々はより直接的で具体的な例示によって「時間意識をもたない人間の愚者」にその自覚を促した。

それが「朝三暮四」「矛盾」「守株待兎」などの一群の説話である。これらはどれも春秋戦国時代の宋の人を扱っているのだが、おそらくその時期に宋人は文字を知ることが遅く、それゆえ時間意識が未熟であったのだろう。そのために、過去であれ未来であれ、「いまここ以外の時間」を生きているおのれというものにありありとしたリアリティを感じることができなかったのである。「いまここ以外の時間に生きるおのれ」にリアリティを感じることのできないものには、因果という概念も確率という概念も祖述という概念も首尾一貫性という概念も被造物という概念も、何もない。それを「愚」というのはいささか気の毒である。

殷代に羌人という辺境民がいた。殷人は牛や羊を狩るように羌人を狩り、捕らえ、檻に閉じ込め、首を切って生贄にした。なぜそんなことができたのか。

安田登さんの解釈は「羌人には時間意識がなかったから」である。過去もないし、未来もない。だから後悔することもないし、不安を抱くこともない。反省することもないし、希望を持つこともない。失敗から学ぶこともないし、成長を目指すこともない。だから、牛や羊と同じように、斬首の瞬間まで自分の身に何が起きているのか考えもしなかった。

だから羌人にとっては時間意識の獲得は生存戦略上の急務だったのである。

殷を滅ぼしたのが周であり、その中心人物こそ孔子が範とする周公であり、それを支えたのが羌人太公望呂尚である。

おそらく周公は太公望を経由して羌人に時間意識を教えたのである。それによって羌人は殷人を「狩る」立場に逆転した。この劇的な下剋上は500年後の孔子の時代にも伝説として語り伝えられていたのであろう。

周公の徳治の基礎はおそらく「短期間のうちに羌人に殷人を狩ることのできるまでの能力を賦与した」その力業にあった。

興味深いことは、周の配慮によって殷人たちは殺戮されることなく生き延び、のちに「宋」という国を建てたことである。

 

朝三暮四の狙公や矛盾の武器商人や守株待兎の農夫はみな「宋人」である。