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「街場の文体論」韓国語版についての質疑応答 ☆ あさもりのりひこ No.517

私たちの身には「何を言っているのかはわからないが、それが自分あてのメッセージであることはわかる」ということがしばしば起こります。

 

 

2018年3月16日の内田樹さんの論考「「街場の文体論」韓国語版についての質疑応答」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

『街場の文体論』の韓国語版が出る。訳者の金さんからいくつか質問が届いた。

ネット書店の「YES24」が出している「チャンネルYES」というネット・マガジンの広報のためのインタビューである。それにこんなふうに回答した。

 

問1 先生のおっしゃる「クリエーティヴ・ライティング」とは、単なる文章の書き方やライティング・テクニックというより、人間と言語に対する深い理解である,というふうに受け止めています。文章を書く行為において最も重要なことは何でしょうか。

 

「宛て先」だと思います。本でも繰り返し書きましたけれど、私たちの身には「何を言っているのかはわからないが、それが自分あてのメッセージであることはわかる」ということがしばしば起こります。なぜそれが自分あてのメッセージであることがわかったのかは自分にも説明がつかない。でも、自分がその「宛て先だ」と確信できる場合にしか、メッセージを理解しようという意欲は生まれません。

 

問2 先生は昔と比べて学生たちのライティングの能力は落ちていると思われますか。もしそういう傾向があると思っていらっしゃるとすれば、その原因はどこにあるとお考えでしょうか。

 

書く力は時代によって変わるものではないと思います。語彙の多寡や修辞法の巧拙については時代によって変化はあるでしょう。例えば、教養主義的な時代と反知性主義的な時代では、書かれるものは表面的にはずいぶん違って見えると思います。でも、いつの時代でも「定型的にしか書けない人」と「定型を打ち破る言葉を生み出す人」の比率はだいたい一定です。

村上春樹がどこかで書いていましたけれど「知性の総量はどの時代でも変わらない」ということです。それがどこに偏るかが変わるだけで。

 

問3 「ライティング」の能力を育むための実践方法があるとすれば、何でしょうか。

 

平凡ですけれど、たくさん書くことに尽くされます。ただ量を書くのではなく、いろいろな文体で書くこと、いろいろなモードで書くことです。

例えば日本語の場合は敬体「です・ます」と常体「だ・である」が変わるだけで書かれる内容まで変わります。主語が「私」であるか「僕」であるか「われわれ」であるかでも変わります。エッセイと学術論文とレポートではまったく別個の文体・別個の思考が要求されます。

僕は教員時代によく役所に提出する「官僚的作文」を書かされましたけれど、そういうときは「目端の利いた、小利口な官僚」になりきって書きました。それもまた有用な文章修業だったと思います。どんな種類のテクストでも、書いて損はないです。

 

問4 先生の著書はもう幾つも韓国に紹介されています。先生の著書が韓国の読者に愛読されている秘訣は何でしょうか。

 

よくわかりません。もし理由が一つあるとすれば、長くフランス文学の研究をしていたことだと思います。論文を書く時にはいつも「これはフランス語に訳せるだろうか。訳した場合、どういう文になるだろう」ということを考えながら書いていました。フランス語に訳せないような文はできるだけ書かない(フランス語に直すときに苦労するのは自分自身ですから)。ですから「日本語を母語としてない人たちが読んでもわかるように書く」という習慣はわりと若い時期から身体化していたのだと思います。

 

問5 先生は去年より韓国語の学習を始めたとおっしゃいましたが、そのきっかけは何だったのでしょうか。また、先生にとって韓国語(あるいは外国語)の勉強とは何の意味でしょうか。

 

きっかけは韓国に毎年行っているのにハングルが読めないと看板も読めないし、レストランのメニューも読めないことでした。半年ほどやって、ようやくハングルを読んで、つっかえながら発音できるくらいにはなりました。でも、まだぜんぜん会話なんかできません。

外国語の勉強は子どもの頃から大好きでした(でも、まったく才能はないのです)。中学では漢文と英語。大学でフランス語。院生の頃にヘブライ語をやりました。いつでも新しい外国語を学び始める時はわくわくします。母語とはまったく違う仕方で世界を分節し、母語にない音韻を発音するのですから。新しい言語を一つ学ぶごとに、ものの見方が豊かになるだけでなく、身体の使い方まで変わってきます。

 

問6 「言語は道具ではない、われわれ自身が言語で作られている」というところが非常に印象深かったのです。良い文章と良い言葉を身につけるためには、良い人間になければならない、というふうなお話にもなるのでしょうか。もしそういうことになるとすれば、良い人間になるためにはどういう努力が必要でしょうか。

 

「良い言葉」というものがあるかどうかはわかりません。でも、思考を自由にしてくれる言葉と、不自由にする言葉があるのは事実です。その言葉を使って語り始めると、どんどん思考が窮屈になってきて、あらかじめ予測された結論に、手垢のついた論法でたどりつくしかなくなる。そういうことがあります。僕にとっての「言葉の問題」はそのような不毛な定型をどうやって回避するかということに尽くされます。

「自分がそれまで一度も言ったことがなかったこと」を表現することを支援してくれるような単語、比喩、音韻、修辞、論理・・・そういうものが僕にとっての「良い言葉」です。それをいつも探しています。

 

問7 先生は生き延びるためのリテラシーを強調されています。今日、未来を生きていく若い世代に贈る特別なメッセージがありましたら、お聞かせください。

 

僕はここ数年スキーをわりと真剣に習っているのですけれど、その師匠である丸山先生が前に「スキー板の上の正しい位置に乗ることが大切です」と言われたことがあります。僕はすぐに手を挙げて「先生、『正しい位置』とはどこのことですか?」と訊きました。先生はにっこり笑って「いつでも『正しい位置』に戻ることができる位置です」と答えました。

「正しい位置」というのは「ここ」というふうに固定的に指定されるものではなく、絶えず自分の立ち位置を修正できる自己修正・自己刷新の能力のことだと丸山先生は教えられたのだと思います。

若い人にお伝えしたいのはそのことです。「正しい生き方」や「正しい目標」というものが固定的に存在するわけではありません。絶えず自分の一歩一歩を補正し、微調整しながら歩き続けられる自由度の高い身体操作ができるならば、その能力が「正しさ」を実現できるチャンスを積み増ししてくれる。

ですから、よく自分の心身の状態をモニターしていてください。どこかにこわばりはないか、詰まりはないか、緩みはないか、ずれはないか、それをモニターするだけでいいのです。

自分の中をみつめられたら、あなたの心身はすでに良好な状態にあります(心身が硬直し、病的な状態のときには「自分の中をみつめる」という操作そのものができませんからね)。

 

 

以上。はたして韓国の若い読者に私の言葉は届くだろうか。