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韓国の教育と日本のメディア ☆ あさもりのりひこ No.519

現代日本社会で「隣国から学ぶ」ことの大切さを語る人に出会うことはまずない。だが、それこそがわが国に久しく取り憑いた停滞と没落の病態だということに人々はいつ気づくのだろうか。

 

 

2018年3月17日の内田樹さんの論考「韓国の教育と日本のメディア」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

山形新聞に隔月連載しているエッセイの3月分。今回は韓国の教育改革について書いた。

 

韓国に毎年講演旅行に出かけている。ご存じないと思うけれど、私の著作は教育論を中心に十数冊が韓国語訳されていて、教育関係者に熱心な読者が多い。ここ三年ほどの招聘元は韓国の教育監である。見慣れない文字列だと思うが、日本とは教育委員会制度が違っていて、韓国は全国が17の教育区に分割されていて、それぞれの区での教育責任者である教育監は住民投票で選ばれているのである。

数年前にこの制度が導入された結果、多くの教育区で教員出身の教育監が誕生した。彼らは自身の教員経験を踏まえて、できるだけ教員たちを管理しないで、その創意工夫に現場を委ねるという開明的な方針を採った。その結果、日本ではまず見ることのできない自由な校風の公立学校が韓国の各地に続々と誕生している。

そういう歴史的文脈の中で、私のような人間が各地の教育監に公式に招聘されて、教員たちを前に講演をするということが起きている。日本には私に講演を依頼する教育委員会が一つもないという現実と比較すると、日韓の教育行政の差異が際立つはずである。

勘違いして欲しくないが、私は自慢話をしているわけではない。「こういうこと」が日本のメディアでは一切報道されないことに当惑しているのである。「こういうこと」というのは韓国において教育の「脱管理」が進み、さまざまな自発的な教育実践が行われているという現実のことである。

おそらく多くの日本人は今も韓国というのは気違いじみた受験地獄で、学校は詰め込み教育一辺倒で、教師は生徒たちに日常的に暴力をふるって支配している・・・というような韓流ドラマ経由のイメージを抱いているのだと思う。メディアもそういう定型をとくに訂正する気はなさそうである。だが、そういう時代はもう終わったのである。

韓国の変化にメディアが異常に鈍感なのは、国民に瀰漫している嫌韓感情に配慮して、「隣国で制度改革が成功している」というニュースを自制しているのかも知れないが、たぶん教育のような惰性の強い社会制度がこれほど急激に変わりうるということ自体をうまく想像できないせいだろう。

だが、6万人が虐殺された1948年の済州島四・三事件や、170人の死者を出した1980年の光州事件のことを、あるいは反共法の下で多くのリベラル派や自由主義者がまともな裁判も受けずに長期刑で投獄された時代を覚えていたら、2016年12月の朴槿恵大統領の退陣を求める100万人デモが整然と、一人の死者も出さずに実行されたということにもっと驚嘆してよいはずである。

韓国は変わった。もう80年代以前の強権的で抑圧的な社会ではない。もちろん、まだ古いシステムは生き残っているが、それを置き去りにして、社会そのものが急速に変化している。

私の著作は過去十年足らずのうちに十数冊韓国語訳された。もし韓国であれ中国であれ台湾であれ、隣国の思想家の書物が十年足らずのうちに十数冊日本語訳されていたら、私たちは「何か変わったことが起きている」と思うだろう。宗教的な組織活動かイデオロギー的なプロパガンダ以外に、そんなことは日本社会では起こり得ないからである。けれども、そういうことが韓国では起きているのである。私は別に例外的な書き手ではなく、多くの日本人の学者や思想家の書物が次々と韓国語訳されている。

 

韓国の人たちの隣国から学ぶ姿勢の激しさに私は驚かされる。「それは韓国が知的後進国だからだ」と言って鼻先で笑って済ませる人がいるだろう。あるいはその方が多数派かも知れない。現代日本社会で「隣国から学ぶ」ことの大切さを語る人に出会うことはまずない。だが、それこそがわが国に久しく取り憑いた停滞と没落の病態だということに人々はいつ気づくのだろうか。