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言葉の生成について(第1回) ☆ あさもりのりひこ No.522

読解力が下がっているというのは、要するに日本人が幼児化したのだ

 

 

2018年3月28日の内田樹さんの論考「言葉の生成について」(第1回)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

もう2年前になるけれど、大阪府の国語科教員たちの研修会に呼ばれて、国語教育について講演をしたことがあった。

そのことを伝え聞いた国語科の先生から「どこで読めますか」と訊かれたので、「お読みになりたいのでしたら、ブログに上げておきます」とお答えした。いずれ晶文社から出る講演録に採録されると思うけれども、お急ぎの方はこちらをどうぞ。

 

「言葉の生成について」

 

学期末のお忙しいところ、かくもご多数お集まりいただき、ありがとうございます。ご紹介いただいたように、僕の書いた文章は、入試問題や教科書に出たりしていますが、人間、一回見ると「こういうこと言いそうなやつだ」というのがだいたい分かります()

僕はエマニュエル・レヴィナスの本を何冊か訳していたのですが、1987年にご本人にはじめてお会いしました。レヴィナスの本、それまでに一生懸命訳してはきたんですけれども、どうも自分の訳文に確信が持てない。こんなことを言っているように思うのだけれども、「そんなことふつう言うかな?」という疑問がありまして、これは本人に会ってみないと分からないと思いました。それで実際にパリまで行って、お会いした。

その時、お会いした瞬間に、それまでの疑問が一瞬にして氷解しました。玄関の前で満面の笑顔で、「ようこそ」と両手を広げているその様子から、その人の体温、息づかい、思考のリズム感までがよくわかった。

ですから、会う前と後では、翻訳のペースが全く違いました。レヴィナス先生とお会いしたすぐ後に『タルムード講話』というのを訳しているのですが、これなんか、今読むと、ほとんど「憑依されている」。達意の訳文なんです()。難解な本なんですけれど、すらすらと訳している。「どうも、これを訳した時、オレ、わかってたらしい」という感じがする。本人に会った直後というのは、そういうことがある。

だから、皆さんは今日、生の内田樹を見たわけですから、これからは教科書で教える時も自信を持って「これはこうだ」と断言できると思います。「だって、ウチダってこんなことを言いそうなやつだったから」と(笑)。胸を張って言えると思います。

今日はこうした場で、文学、言語の話ができるということで、大変嬉しく思っています。

先日、西本願寺の日曜講演に呼ばれて「『徒然草』の現代語訳を終えて」というタイトルで、文学についての講演をすることができました。

これは池澤夏樹さんが個人編集している日本文学全集の中の一巻です。池澤さんとそれまでお会いしたことはなかったのですが、ご指名で「『徒然草』はウチダが」と言っていただきました。

この『徒然草』の現代語訳をしている時に、一つ発見がありました。今日はその経験を踏まえて、言葉はどうやって生まれるのか、言葉はどうやって受肉するのかという、言葉の生まれる生成的なプロセスについて、思うところをお話ししたいと思います。

つい最近、PISAの読解力テストの点数が劇的に下がったという報道がありました。記事によると、近頃の子どもたちはスマホなど簡便なコミュニケーションツールを愛用しているので、難解な文章を読む訓練がされていない、それが読解力低下の原因であろうと書かれていました。たしかに、それはその通りだろうと思います。しかし、だからと言って「どうやって読解力を育成するか?」というような実利的な問題の立て方をするのは、あまりよろしくないのではないかという気がします。

というのは、読解力というのは目の前にある文章に一意的な解釈を下すことを自制する、解釈を手控えて、一時的に「宙吊りにできる」能力のことではないかと僕には思えるからです。

難解な文章を前にしている時、それが「難解である」と感じるのは、要するに、それがこちらの知的スケールを越えているからです。それなら、それを理解するためには自分を閉じ込めている知的な枠組みを壊さないといけない。これまでの枠組みをいったん捨てて、もっと汎用性の高い、包容力のある枠組みを採用しなければならない。

読解力が高まるとはそういうことです。大人の叡智に満ちた言葉は、子どもには理解できません。経験も知恵も足りないから、理解できるはずがないんです。ということは、子どもが読解力を高めるには「成熟する」ということ以外にない。ショートカットはない。

僕はニュースを見ていて、読解力が下がっているというのは、要するに日本人が幼児化したのだと感じました。「読解力を上げるためにはこれがいい!」というようなこと言い出した瞬間に、他ならぬそのような発想そのものが日本人の知的成熟を深く損うことになる。なぜ、そのことに気がつかないのか。

 

以前、ある精神科医の先生から「治療家として一番必要なことは、軽々しく診断を下さないことだ」という話を伺ったことがあります。それを、その先生は「中腰を保つ」と表現していました。この「中腰」です。立たず、座らず、「中腰」のままでいる。急いでシンプルな解を求めない。これはもちろんきついです。でも、それにある程度の時間耐えないと、適切な診断は下せない。適切な診断力を持った医療人になれない。