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言葉の生成について(第3回) ☆ あさもりのりひこ No.524

地上に正義をもたらすのは人間の仕事であって、神の仕事ではない。

 

 

2018年3月28日の内田樹さんの論考「言葉の生成について」(第3回)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

レヴィナスの書くものの本質的なメッセージは、一言で言うと、「成熟せよ」ということです。

『困難な自由』に、「成人の宗教」という短いエッセイが収められています。ポスト・ホロコースト期のフランス・ユダヤ人社会の最大の問題は「なぜ神は我々を見捨てたのか」でした。なぜ同胞600万人が虐殺されたあの苦難の時代に神は我々を救うために顕現しなかったのか。そういう理由で父祖伝来の宗教を捨てていく人々たちが出てきました。その人たちに対して、レヴィナスはこう語りかけました。

「あなた方はどんな神を信じていたのか。あなた方が善行をなせば報奨を与え、悪事をなせば処罰する。そんな勧善懲悪の原理で動く単純な神を、あなた方は今まで信仰していたのか? だとしたら、それは『幼児の神』である。ホロコーストは、人間が人間に対して犯した罪である。そうである以上、それを裁き、傷ついた人たちを癒すのは人間の仕事である。地上に正義をもたらすのは人間の仕事であって、神の仕事ではない。人間がなすべき仕事に神の支援を求めるのは、自分が幼児であるということを告白しているに等しい。もし神にそれにふさわしい威徳があるとすれば、それは『神の支援なしに地上に正義と慈愛を実現できるような成熟した人間を創造したこと』以外にない。」

レヴィナスはそう言って、ほとんど無神論とすれすれのロジックによって崩れかけた信仰を再建しようとしたのです。これは確かに、子どもには理解しがたいものだと思います。深い絶望の時間を生き抜いて、それでもこの世を生きるに値するものにしようと決意をした人だけが語りうるような、重い言葉でした。この言葉に自分が感動しているとわかった時に、自分もようやく幼児期を脱したんだなという気がしました。

この経験からわかったのは、僕たちは意味が分からなくても読めるし、何を書きたいのかわからないままにでも書けるということでした。人間にはそういう生成的な言語能力が備わっている。読解力というのは、そのような潜在的能力を開発することによってもたらされるということです。

全く分からないけどどんどん読む。そうすると、何週間かたつうちに、意味は分からなくても、テキストと呼吸が合ってくる。呼吸が合ってくると、「このセンテンスはこの辺で終わる」ということがわかる。どの辺で「息継ぎ」するかがわかる。そのうちにある語が来ると、次にどういう語が来るか予測できるようになる。ある名詞がどういう動詞となじみがいいか、ある名詞がどういう形容詞を呼び寄せるか、だんだん分かるようになる。不思議なもので、そうなってくると、意味が分からなくても、文章を構成する素材については「なじみ」が出てくる。外国語の歌詞の意味がわからなくても、サウンドだけで繰り返し聴くうちに、それが「好きな曲」になるのと同じです。

そのうちにだんだん意味がわかってくる。でも、それは頭で理解しているわけじゃないんです。まず身体の中にしみ込んできて、その「体感」を言葉にする、そういうプロセスです。それは喩えて言えば、「忘れていた人の名前が喉元まで出かかっている」時の感じに似ています。「ああ、なんだっけ、なんだっけ。ここまで出かかっているのに、言葉にならない」というあれです。これはただ「わからない」というのとはもう質が違います。体はもうだいぶわかってきている。それを適切な言葉に置き換えられないだけなんです。

身体はもうかなりわかっているんだけれど、まだうまく言葉にならないで「じたばたしている」、これこそ言葉がまさに生成しようとしているダイナミックな局面です。たしかに思いはあるのだが、それに十全に照応する記号がまだ発見されない状態、それは子どもが母語を獲得してゆくプロセスそのものです。僕たちは誰もが母語を習得したわけですから、そのプロセスがどういうものであるかを経験的には知っているはずなんです。

 

まず「感じ」がある。未定型の、星雲のような、輪郭の曖昧な思念や感情の運動がある。それが表現されることを求めている。言葉として「受肉」されることを待望している。だから必死で言葉を探す。でも、簡単には見つからない。そういうものなんです。それが自然なんです。それでいいいんです。そういうプロセスを繰り返し、深く、豊かに経験すること、それが大切なんです。