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言葉の生成について(第6回) ☆ あさもりのりひこ No.528

想像力が世界を創り、想像力の欠如が世界を滅ぼす。

 

 

2018年3月28日の内田樹さんの論考「言葉の生成について(第6回)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

先日、初心者ばかりの講習会があって、そこで両手を差し出して、それを180度回転させるという動きをしてもらうということがありました。なかなかみんなうまくできなかった。そこで、こんな状況を想像してもらいました。「赤ちゃんが2階から落ちてきたので、それを両手で抱き止めて、後ろのベビーベッドにそっと寝かせる。」設定が変なんですけれど、そういう状況をありありと思い描けたら、すぐにできる動作なんです。そのままなんですから。女の人がこういうのは、うまいですね。男の人たちはけっこうぎごちない。赤ちゃんをあまり抱いたことないんでしょうね。

何かの「目標」が与えられたら、放っておいても、それを達成するために身体は最適運動をしてくれます。そして、武道の場合は対敵動作ですが、僕が「そこにないもの」をめざして何か行動した場合、相手からすると、その動きを予見したり、阻止したりすることは非常に難しくなる。だって、何をしようとしているかわからないんですから。仮に相手が僕の手を両手でがっちりつかんでいる場合、「そこにある手」を振りほどくという動作は非常に難しい。でも、例えば、その時に僕の鼻の頭に蚊がとまったと想定すると、僕は蚊を追い払おうとする。その時、手は、鼻の頭に至る最短距離を、最少時間、最少エネルギーで動こうとする。その動きには「起こり」もないし、力みもない。具体的にそこにあって僕の動きを制約している相手の両手を「振りほどこう」とする動きよりも、どこにもいない想像上の蚊を追い払おうとする手の動きの方が速く、強い。「そこにないもの」にありありとしたリアリティを感じることのできる想像力の方が、具体的な筋力や瞬発力よりも質的に上等な動きを実現できる。それは武道の稽古を通じて、僕が実感したことです。

稽古を通じて、文学的メタファーというのが実に有効だということがよくわかりました。文学の有効性とは何か、ということがよく問われます。文学をやると武道が上達するということを言った人はいないと思います。でも、そうなんです。それは文学の有効性は功利的、世俗的なものではなく、もっと根源的なものだからです。それは人間を今囚われている「檻」から解き放つための手立てなんです。

人間は自分が生まれついた環境、与えられた知識や価値観や美意識に束縛されています。そこからどうやって自己解放するか、どうやって自分の限界を超えて、ブレークスルーを果たすか、それが人間が成熟するための課題です。自分が「自分である」ことの自己同一性の呪縛からどうやって逃れるか。

そのための一つの方法として文学的想像力というものがある。「そこにないもの」をあたかも「存在するもの」であるかのようにふるまう。これは自分が囚われている呪縛から逃れる上できわめて有効な方法です。「想像力が権力を奪う」というのはパリ五月革命のスローガンでしたけれど、自由な想像力は時には地上的な権力よりも強いというのは、本当のことです。

想像力が世界を創り、想像力の欠如が世界を滅ぼす。僕はそう思います。現実しか見ない人間はしばしば自分のことを「リアリスト」だと言い張りますけれど、このような人間は人間の生成的なありようについては何も知ろうとしないし、何も考えない。現実のごく一部分、自分を閉じ込めている「檻」の内側の風景しか見たことがなく、それが全世界だと思い込んでいる。そんな人間を僕は「リアリスト」とは呼びません。

武道の用語で「居着き」というのは、文字通り足の裏が地面に張り付いて身動きならない状態を指します。与えられた枠組みを世界のすべてだと思い込んで、その「外」があることを考えもしないのも「居着き」です。

 

でも、実際に、僕たちは生物としてめまぐるしい環境の変化の中にいるわけです。生き延びるためには、臨機応変、自由闊達でなければならない。それ以外に生物種が生き残る道はありません。自分が自分に対して設定している限界や束縛から自己解放すること、これは生き延びるために必須の技術です。そのことを僕は、レヴィナスと合気道を通して習得しました。