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「街場の憂国論」文庫版のためのあとがき(前編) ☆ あさもりのりひこ No.542

まず国民が「いる」のではありません。「あるべき国のかたちについて同じ夢を見る人たち」が国民に「なる」のです。

 

 

2018年4月3日の内田樹さんの論考「「街場の憂国論」文庫版のためのあとがき(前編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

文庫版お買い上げ、ありがとうございます。お買い上げ前でこの頁を立ち読みしているかたにも「袖すり合ったご縁」ですので、ひとことご挨拶を申し上げます。できたら、この「あとがき」だけ読んでいってください。

この文章を書いているのは2018年の3月です。

少し前の頁にある「号外のためのまえがき」が時間的には収録されたものの中で一番新しいテクストですが、その日付は2013年12月10日です。ということは、それを書いてから今日まで4年半が経ったということです。

その間に何があったか。

巻末に僕が不安げに予測した通り、「現在の自民党政権は、彼らの支配体制を恒久化するシステムが合法的に、けっこう簡単に作り出せるということ」を特定秘密保護法案の採決を通じて学習しました。その結果、2014年夏には集団的自衛権行使容認の閣議決定があり、2015年夏には国会を取り巻く市民の抗議の声の中で、安全保障関連法案が採決され、2017年には共謀罪が制定されました。

そうやって着々とジョージ・オーウェルが『1984』で描いたディストピアに近い社会が現実化してきました。

その間ずっと安倍晋三がわが国の総理大臣でした。ほんの一週間ほど前までは、彼が自民党総裁に三選され、年内にも改憲のための国民投票が行われるということが高い確度で予測されていました。でも、3月に入って森友学園問題についての公文書改竄が暴露されて、今は再び政局が流動化しております。ですから、この本が出る頃に日本の政治状況がどうなっているか今の時点では予測がつきません。そういう政局を横目にしつつ、文庫版あとがきとしてはもう少し一般的な話として「国の力とは何か」ということについて一言私見を述べておきたいと思います。

率直に言って日本は急激に国力が衰えています。国力というのは、経済力とか軍事力とかいう外形的なものではありません。国の力をほんとうにかたちづくるのは「ヴィジョン」です。

「ヴィジョン」とは、自分たちの国はこれからどういうものであるべきかについての国民的な「夢」のことです。かたちあるもののではありません。「まだ存在しないもの」です。でも、それを実現させるために国民たちが力を合わせる。そして、そのような夢を共有することを通じて人々は「国民」になる。そういうものなんです。まず国民が「いる」のではありません。「あるべき国のかたちについて同じ夢を見る人たち」が国民に「なる」のです。その順逆を間違えてはいけません。

日常の動作と同じです。ある動作を達成しようとする(ドアノブを回すとか、包丁でネギを刻むとか)。そのごく限定的な「はたらき」のためにさえ全身が一つ残らず動員されます。ドアノブを回すだけのような単純な動作でさえ、ノブを視認し、手触りを確かめ、回転させ、解錠する「かちり」という音に聞き耳を立て・・・という動作を成り立たせるためには五感のみならず、重心の移動も、腰の回転も、呼吸の制御も、すべてが参加します。すべてが「ドアノブを回す」という目的があるおかげで整然と、みごとに調和した連携プレーを果たす。

目的がなければ身体は動きません。動かないから、そこに身体があるということさえ実感されない。それは「身体がない」というのと同じことです。

それと同じように、国には国で「果たすべき動作」がなければならない。それがなければ、国は動かない。国民の「はたらき」が始まらなければ、人口統計上は存在していても、国民として実感されることがない。

日本の国力が衰えているというのは、そのような国民を遂行的に形成してゆく「夢」がなくなったということです。

戦後日本にはそのつどの「夢」があり、それゆえすべての国民をひとまとまりに作動させるような「はたらき」がありました。

敗戦直後の日本人には瓦礫から祖国を復興するという喫緊の事業がありました。まず国民の衣食住を調えなければならない。その作業に国民全員が携わった。「共和的な貧しさ」というのはこの時代を指した関川夏央さんの名言ですが、たしかに僕が記憶している1950代の東京の町内は共和的な共同体でした。防犯、防災、公衆衛生の維持といった切羽詰まった課題を共同体全員で担いました。アウトソースすることができなかったからです。行政がまだ十分に機能していない段階では、住民たちが自分たちで自分たちの生活を守る他なかった。

焼け跡から立ち直った1960年代以降の日本人には次は「豊かになる」という目標がありました。さしあたりは「戦前の生活水準を超える」ことが目標でした。「もはや『戦後』ではない」というフレーズを当時の為政者はしばしば口にしましたが、それは国民にとっては「生活レベルが戦前に戻る」ことを意味していました。そして、たしかに60年代の中ごろにその悲願は達成されました。

 

その次に日本人が抱いたのは新しいかたちの「夢」でした。それは「アメリカの属国身分から脱して、国家主権を回復する」という「夢」です。ただし、それを公然と言挙げすることはできませんでした。というのは、日本は形式的にはサンフランシスコ講和条約で国家主権を回復したことになっていたからです。ただし、それにもかかわらず、米軍は日本国内のどこでも好きな場所に、好きな期間だけ駐留することができ、そのエリアは日本の統治が及ばない治外法権でした。日本は事実上はアメリカの軍事的属国だったのですが、アメリカからの国家主権の回復プログラムは(いわば一種の独立運動ですから)無言のうちに遂行されなければなりませんでした。