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家庭科について ☆ あさもりのりひこ No.557

家事というのは、本質的には、他人の身体を配慮する技術なのだと思う。清潔な部屋の、乾いた布団に寝かせ、着心地のよい服を着せて、栄養のある美味しい食事を食べさせる。どれも他者の身体が経験する生理的な快適さを想像的に先取りする能力を要求する。具体的な技術以上に、その想像力がたいせつなのかも知れない。

 

 

2018年7月7日の内田樹さんの論考「家庭科について」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

77日に日本家庭科教育学会というところで「家庭科のたいせつさ」についての講演とシンポジウムに出るはずだったけれど、大雨のせいで交通が乱れたので、学会にゆくのを諦めた。

こんな話をする予定だったので、抄録だけ。

 

僕が家庭科がだいじだと思ったわけ

子どもが6歳のときから18歳の時まで父子家庭だった。その間にはよく家事をした。

父子家庭という大義名分があったので、日々エプロンをして楽しく働いた。でも、そのうち、娘が家を出て、一人暮らしになったら、ぱたりと家事を止めてしまった。手の込んだ料理も作らないし、縫物をすることも間遠になった。

能を稽古しているので、紋付の半襟を縫い付けるくらいのことはたまにやるけれど、どうせ自分の着物だと思っているせいで仕事がぞんざいになる。とても娘の体操着に名札を縫い付けた時の集中力には及ばない。

私は家事仕事が好きだし、けっこう得意だけれど、いつでも時間を忘れて熱中できるというわけではない。「誰かに尽くす」とか「誰かを守る」というマインドセットにならないとこういう仕事にはうまく集中できないのかも知れない。自分のためだけだと今ひとつやる気にならない。

友人に父親の介護をしている時、料理が好きになった男がいる。それまで料理なんかほとんど作ったことがなかったのだけれど、父がなぜか彼の作る料理を「美味しい美味しい」といって食べてくれるのでうれしくなって、料理本を買い、毎日新しい料理に挑戦しているうちに、すっかり料理好きになってしまった。包丁や鍋釜も各種調えた。でも、父親が亡くなったとたんに料理を作る意欲がぱたりとなくなってしまったそうである。自分自身のためには凝った料理を作る気がしないのだと言っていた。その気持ちはよくわかる。

家事というのは、本質的には、他人の身体を配慮する技術なのだと思う。清潔な部屋の、乾いた布団に寝かせ、着心地のよい服を着せて、栄養のある美味しい食事を食べさせる。どれも他者の身体が経験する生理的な快適さを想像的に先取りする能力を要求する。具体的な技術以上に、その想像力がたいせつなのかも知れない。

私はいま武道を教えて生計を立てているが、武道の要諦も「他人の身体の内部で起きていること」へ感覚の触手を伸ばすことに存する。そういう能力は他者との共生のためには必須のものだと私は思うのだが、家庭科も武道も現在の学校教育では基礎科目とはみなされていない。

 

たぶん他者との共生には特別の技術など要らない、有限の資源を奪い合うラットレースの競争相手の心身の状態など配慮するに及ばない思っている人たちが教育制度を設計しているからだろう。