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大学の株式会社化について(後編) ☆ あさもりのりひこ No.560

日本の学校教育が「もうダメ」だということはすでに一昨年秋にForeign Affairs Magazineが伝えていた。日本の教育システムは「社会秩序の維持・産業戦士の育成・政治的な安定の確保」のために設計された「前期産業時代に最適化した時代遅れのもの」であり、それゆえ、教員も学生もそこにいるだけで「息苦しさ」「閉塞感」を感じている。文科省が主導してこれまで学の差別化と「選択と集中」のためにこれまでいくつかのプロジェクトが行われた(COERU11Global30など)、どれも単発の思い付き的な計画に過ぎず、見るべき成果を上げていないというのが同誌の診断であった。

 

 

2018年7月7日の内田樹さんの論考「大学の株式会社化について(後編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

断言させてもらうが、大学の学術的生産力の劇的低下は大学の株式会社化の必然の帰結である

文科省の指示によって、大学はトップ(学長・理事長)に全権を集約して、大学教授会は諮問機関に格下げれた(もう人事や予算の決定どころか入学・卒業の判定さえできなくなった)。教育内容は卒業生の「買い手」たる産業界から要望された「グローバル人材」なるもの(英語でタフな交渉ができて、辞令一本で翌日から海外に赴任できて、安い賃金で無限に働き続けられるサラリーマン)の育成に偏することとなった。換金性の高い研究・成果がすぐに出る研究ばかりが選好され、海のものとも山のものともつかぬ先行きの不透明な研究(ほとんどのイノヴェーティヴな研究はそうやって始まる)には資源が分配されない。若い研究者たちは不安定な任期制の身分に置かれているため、プロジェクトのボスのやり方に疑義を呈することはただちに失職のリスクを伴う。このような息苦しい研究環境で、いったいどうすれば創造的な研究が生まれると言うのか。

日本の学校教育が「もうダメ」だということはすでに一昨年秋にForeign Affairs Magazineが伝えていた。日本の教育システムは「社会秩序の維持・産業戦士の育成・政治的な安定の確保」のために設計された「前期産業時代に最適化した時代遅れのもの」であり、それゆえ、教員も学生もそこにいるだけで「息苦しさ」「閉塞感」を感じている。文科省が主導してこれまで学の差別化と「選択と集中」のためにこれまでいくつかのプロジェクトが行われた(COERU11Global30など)、どれも単発の思い付き的な計画に過ぎず、見るべき成果を上げていないというのが同誌の診断であった。

私がなによりも問題だと思うのは、このような海外メディアからの指摘に対して文科省が無言を貫いたことである。文科省の過去四半世紀におよぶ教育行政の適切性に疑義を呈したのである。それを不当だと思うなら、正面から反論すべきだった。同誌に抗議して、記事の撤回や訂正を求めても罰は当たるまい。けれども、文科省はこの記事を無視した。何もしなかった。文科省の教育政策をこれまで支持してきた大学人や教育学者もこの記事を無視した。日本の学校教育が失敗しているということを海外メディアから指摘されているという事実そのものを隠蔽したのである。

不誠実な対応だったと思う。

たしかに、英語の外交専門誌を手に取る日本人など数千人もいない。99・9%の国民は文科省とメディアが黙っていればそんな記事の存在を知らずに終わる。だから、黙っていたのである。反論したら教育政策の失敗による学術的発信力の低下が国内メディアで話題になる。それを忌避したのである。

自分たちの政策の正当性・適切性を適切なしかたで論証することを端から放棄した人々が日本の教育行政を司っているのである。学術的発信力が急坂を転げ落ちるように劣化するのも当然である。もうこの趨勢はもう止まらないだろう。

文科省の最新のスキャンダルは2020年度からの国立大学入試への英語の民間試験の導入である。これについては大学中学高校のほとんどすべての英語科教員が反対している。この決定は密室で、少人数の関係者による、ごく短期間の議論だけで、実証的根拠も示されず、英語教育専門家の意見を徴することなく下された。実施の困難さや問題漏洩リスクや公正性への疑念や高校教育への負の影響についても何の説得もなされなかった。

民間試験導入を強く推進した当時の文科相が私塾経営者出身で学習塾業界からの資金援助を受けていること、有識者会議で民間試験導入を強く主張した委員の経営する会社が民間試験導入決定後に英語教育事業を立ち上げたという「醜聞」が報道された。

「私利のために受験者数十万人の試験制度の改変を企てたのではないか」というような疑念はかつて日本の大学入試で呈されたことはない。でも、そういうことが起きても不思議はないほどに日本の教育行政は劣化しているということである。

では、どうしたらいいのかと言われても、私に妙案があるわけではない。手当てができるところから補正修復するしかない。まずは被害の全容を開示するほかはない。日本の学校教育がどれほど病んでいるのか、どれほど傷つけられたのかを点検してゆくところから始める他ない。とりあえずは全国の教職員たちが、現場に侵入してきた「株式会社化趨勢」に対してきっぱりと「ノー」を告げるところから始める他ない。

 

という記事を寄稿したすぐ後に、文部科学省の高級官僚が、「私立大学研究ブランディング事業」で大学側の便宜を図る見返りとして息子の受験の点数に下駄を履かせてもらっていた受託収賄容疑で逮捕されるという「醜聞」が報道された。

逮捕されたのは科学技術・学術政策局長である。

委ねられた国富の分配を私利のためにさじ加減するような汚吏貪吏が政府部内にいることに驚いてみせるほど私はナイーブではないが、それにしても「そんなことをしたら大学受験の公平性についての信頼のみならず教育行政への致命的な信頼を傷つけること」に手を染めたのが「科学技術・学術政策」起案のトップであったという事実は重い。

 

それは文科省が「例外的に不道徳な人物」が異数の出世を遂げることができる組織であるということを意味するだけでなく、「それが暴露されたら教育行政に対する国民の信頼に傷がつくリスク」と私利をてんびんにかけて、私利を優先させるほどに判断力の不調な人物が(平たく言えば「頭の悪い人物」が)日本の科学技術と学術政策を起案していたということを意味するからである。