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「天皇主義者」宣言について聞く-統治のための擬制と犠牲(第3回) ☆ あさもりのりひこ No.568

真率な惻隠の情に基づいて制度を考案し、人間の醜さ、愚かさ、邪悪さを勘定に入れてその制度を冷徹に運営する。その葛藤につねに引き裂かれているもの、それが政治的人間だ

 

 

2018年7月22日の内田樹さんの論考「「天皇主義者」宣言について聞く-統治のための擬制と犠牲」(第3回)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

3.対抗言説としての「天皇主義者」宣言?

 

――今も述べられたように、内田さんは安倍政権や日本会議への危機感を強く感じておられて、彼らがツールとして天皇制を用いることを危惧している。そして、同じ天皇制というツールを用いて彼らに対抗しようとしているように見えるのですが。

 

内田 厳しいご指摘ですね。でも、その通りです。もともと、僕は天皇制のことを主題的に考えたことなんかなかった。でも、安倍政権になって、これはまずいと思い出した。極右の人たちが天皇制を党派的に利用するのを手をつかねて見ているわけにはゆかない。天皇制を左翼・リベラルの側にとっても緊急な政治的論件として「とりもどす」必要があると思った。そういう現実的な文脈の中の発言ですから、「あなたも天皇制をツールとして利用しているのではないか」と言われたら、反論できません。

ただ、僕にはその「犯意」と「病識」がある。正義や真理を語っているわけではなく、「日本社会はどうすればもう少し暮らしやすいところになるか」という具体的で限定的な目標を実現するためにやっているという自覚がある。それでご勘弁頂きたいです。

例えば、今改憲の動きがありますけれど、最終的に改憲を防ぐのは国内における護憲運動ではなくて、ホワイトハウスと天皇ではないのかという気が僕にはするんです。まことに皮肉なことですけれど、日本の立憲デモクラシーはそれほどに脆弱な制度だということです。護憲の最後の砦が、憲法尊重擁護義務を粛々と果たしている天皇陛下であるという事実一つをとっても、天皇制の問題は左翼・リベラルにとって他人事では済まされないはずなんです。でも、日本の左翼は天皇制をどう「よきもの」として活用するかという問いについてはかつて一度も真剣に考えたことがなかった。旧弊な因習なんだから廃止すればいいという原則的なことを言ってきただけです。天皇制を功利的に活用する手立てについて経験知を積んでいるのはもっぱら政権サイドの方です。

僕自身は天皇制を「ツール」だとは思っていない。「リソース」だと考えています。国民を統合し、国力を賦活させるための効果的なリソースだと思っています。ですから、僕の「天皇主義者宣言」というのはあくまで政治的なふるまいであって、信仰告白ではないんです。

 

――では、内田さん自身は天皇に対する敬虔な気持ちや忠誠心のようなものは実際にはないということですか?

 

内田 個人的には崇敬の気持はありますよ。陛下の近くにいた人たちにうかがうと、みなさん「陛下はよい方で・・・」としみじみ言われますから。そういう人たちが口にする「へいか」という音はとても柔らかいんです。政治家たちが「陛下」という言葉を使う時はあきらかに天皇の権威を利用して人を威圧しようする意図が見透かせるんですけど。

前に皇居のお掃除に行った青年から聞いたんですけれど、清掃奉仕をしていると両陛下がいらして「ご苦労さまです」と深々と頭を下げるそうなんです。その若者はその時「首相のために死ぬ気にはなれないけれど、陛下のためなら死ねる」と思ったそうです。若い人でもそういう感慨を抱くことがある。でも、それは必ずしも政権主導のイデオロギー教育のせいじゃないと思います。もっと素朴で、自然な感情だろうと思います。そういう感情を「政治的リアリティー」として勘定に入れる必要があるということを僕は申し上げているのです。

「陛下のためなら死んでもいい」と感じた彼にとって、天皇陛下という存在は、具体的に目に見える、手に触れられるたぶん唯一の公共的なものなんです。国家にも政府にも、さしあたりリアルな公共性を感じられない。でも、彼にとって、天皇は生身の、目に見える公共性だったわけです。

公共的なものとつながりを持ちたい、自分の個人の努力と国運をリンクさせたいという願いを抱いている若者は今もたくさんいると思います。そういう人たちがネトウヨに走ったりする。でも、公共的なものは他にもあると僕は言いたいわけです。

 

――なるほど。ただ、たとえばネトウヨの悪質さのひとつはその強いレイシズムです。そして天皇制というシステムこそが民族主義的な発想を強めて、「純粋な日本民族」といった幻想を作り出している面もあるのではないでしょうか。

 

内田 そういう危険性はあるでしょう。現にかつて天皇制の名において人種差別的・排外主義的な政治が行われてきたという歴史的事実があるわけですから。でも、今のネトウヨの人たちは自分たちのレイシスト的言動の保証人に天皇を呼び出したりはしませんよ。彼らの政治的正しさの保証人は安倍首相ですから。

 

――ネット上では日本の皇族(天皇家)が世界の皇族の中で一番歴史が古くて純粋な血を守ってきた、だから高貴なのだという言説を見かけることもありますが。

 

内田 それは言ってる人間が自分の政治的立場を強化するために思いついた確信犯的な嘘です。そんなプロパガンダの製造責任を天皇におしつけては陛下がお気の毒ですよ。

 

――けれど世襲制度を取る限り、そういう「純血」の発想を支えてしまう危険はあると思うんですが。そもそも特定の血筋の人を「高貴」として民衆の上に置く天皇制は「人は生まれながらにして自由であり、尊厳と権利について平等である」という世界人権憲章の原則に反していませんか。

 

内田 平等を目指すのは正しいことだと思います。けれども、僕は「高貴さ」(ノブレス)というものもまたなくては済まされないと思っています。マルクスは、すべての人間が自由に自己利益を追求できる社会をめざす戦いを先導したのは「自己利益の追求を断念して、大義のために死ぬ」ことを決断した非利己的な人たちだったという逆説について書いています。人は誰も平等であるべきです。けれども、その理想を実現するためには「自分には他の人よりも多くの責務がある」という自覚を持つ人間が要る。貴賤の差のない世界を実現するためには「ノブレス・オブリージュ(高貴であることの責務)」を感じる人が要る。自分には他の人より多くの責務があると感じる人がいなければ、この社会を住みやすいものにすることはできません。

 

――最後にもうひとつ。今までお話を伺って、内田さんが完成された完璧な統治システムなど存在しないという前提のもと、より「ベター」な統治の方法を継続的に探していこうという姿勢を保っておられることがわかりましたが、「統治」や「統合」はやはりどうしても必要なのでしょうか? 本誌では次号でアナキズム特集をする予定なので、お聞きしたいと思います。

 

内田 僕の抱く「統合」のイメージは中枢的・同心円的なものではありません。サイズも機能も異なる無数の共同体がネットワークでつながっていて、相互扶助・相互支援する仕組みを僕はイメージしています。でも、地球に住む七〇億人をカバーする相互扶助ネットワークというのは、さすがには設計不能なんです。どこかで境界線を引いて、「こっちは身内。あっちは他人」という切ない区切りをしなければならない。それが相互扶助ネットワーク理論のはらむ根本的な背理なんです。どこかで「ここまで」という区切りをしないと、限りあるリソースを有効に分配してゆくことができない。でも、そのことについて一抹の「疚しさ」を覚える。そういうことしかできないんじゃないかと思います。

北欧の国々は、どこも社会福祉が行き届いて、相互支援の仕組みがしっかりしています。でも、それはどこも小国ですよね。日本の県ほどの人口数です。それくらいのサイズだと、自分たちがどれほどの可処分リソースを持っているのか、それがどう配分されて、どういう成果をもたらしたかを可視化できる。

「身内」の範囲が狭いほど相互支援はこまやかで密になる。それは当たり前のことなんです。住みやすい社会は「身内」の数を限定することで実現されている。でも、そのことについて、受益者はいくばくかの「疚しさ」を感じることが必要だ、と。そう申し上げているのです。

僕はアナキズムも大好きです。クロポトキンの『相互扶助論』なんか読んでると「いい人だな、身近にいたら友達になって、一緒に革命やりたいなあ」と思います。でも、アナキストたちは、人間は本質的に善であり合理的に思考するという「性善説」に立ちます。だから、ことごとく失敗した。国家サイズの統治システムの管理運営のためにはどこかで「非人情」に切り替える必要がある。クロポトキンやロバート・オーウェンが目指したような手触りの優しい相互扶助的な共同体を作りたいと思ったら、せいぜい数千人規模の共同体で満足するしかない。国家的規模で「よいこと」を達成しようとしたら、マキャヴェリのような「性悪説」に基づく、政治的狡猾さを駆使するしかない。

真率な惻隠の情に基づいて制度を考案し、人間の醜さ、愚かさ、邪悪さを勘定に入れてその制度を冷徹に運営する。その葛藤につねに引き裂かれているもの、それが政治的人間だと僕は思っています。

 

 

――その戦略のひとつとして今回の「天皇主義者」宣言があるわけですね。お聞きしたいことは尽きませんが、内田さんのひとつの提起を受けて私たちそれぞれが天皇制について、国家について、さらにそれを超える枠組みについて考え、応答していくことができればと思います。今日はありがとうございました。