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『若者よマルクスを読もう4』まえがき ☆ あさもりのりひこ No.575

資本主義社会のさまざまな矛盾は「富裕化する資本家」と「窮乏化する労働者」の絵に描いたような対立として尖鋭化しています。

 

 

2018年8月15日の内田樹さんの論考「『若者よマルクスを読もう4』まえがき」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

9月にかもがわ出版から石川康宏先生との共著『若マル4』が出る。中身は『フランスの内乱』についての往復書簡と、「マルクスとアメリカ」連続講義、それから新華社からのアンケートにふたりが回答したものなど。販促のために予告編とて「まえがき」を掲載しておく。

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

『若者よマルクスを読もう』も番外編の『マルクスの心を聴く旅』を含めて、巻を重ねること4巻目となりました。ここまで続くとはほんとうにびっくりです。ご愛読くださった読者のみなさんと編集の松竹伸幸さんに深く感謝いたします。

たしかこれは「『共産党宣言』から『資本論』まで、マルクスの全著作を俯瞰するようなかたちで、中学生、高校生にも読めるマルクス入門のための本を書こう」という壮図をもって始まった企画でした。口ではそういう壮大なプランを語りながらも、心の中ではなんとなく「途中で挫折するんじゃないかな・・・」と思っておりました(黙っていて、すみません)。だって、「若者よマルクスを読もう」ですからね。若者たちが「やだよ」と言ったら、それっきりです。

本書の企画が出たのは何よりも「若者たちが全然マルクスを読まなくなった」というきびしい現実があったからです。「市場のニーズ」というものがないことを前提に始まった企画ですから、「やっぱり全然ニーズがなくて、返本の山でした」ということになっても誰を恨むこともできません。

しかし、意外なことに、2010年に出た『若マル1』はロングセラーとなって、3年後には角川ソフィア文庫に収録されることになりました。それどころか、韓国語、中国語に訳されるという驚くべきことが起きました。

マルクスについての本を読んでくれる若者が日中韓にこれだけいたのです。これは「椿事」と呼んでよろしいかと思います。

韓国語訳が出るのはわかるんです。韓国にはマルクス研究の「蓄積」というものがありませんから。李氏朝鮮の後は日本に併合されて、植民地支配を受け、日本からの独立後は朝鮮戦争があって、マルクス主義は「敵性思想」に認定され、反共法が1980年まで存在して、マルクスを読むだけで懲役刑という国でした。そんな国でマルクスの研究が蓄積されるはずがない。ですから、僕たちの書いたような「マルクスのテクストを噛んで含めるように逐条的に解説し、かつその歴史的意義を俯瞰する」という本に対して「ああ、こういう本が読みたかったんだ」と思ってくれる読者がそれなりの数いたことは理解できます。

驚いたのは中国語訳です。マルクス主義は公認の政治思想です。中国はマルクス研究の「本場」のはずです。そこで僕たちが書いたマルクスの概説書がベストセラーになった(らしいです)。

こちらもたぶん、「こういう本」がなかったということが理由だと思います。今の中国社会でも、もちろん若者に向かって「マルクスくらい読んどけ」ということを言う人はいると思います。でも、それは党官僚とか知識人とか学校の先生とか、総じて「権力サイドの皆さん」であって、若い人はそういう「上から目線」の、説教じみた要請に対しては内心では「うっせえな」というリアクションをしてきたんじゃないでしょうか(想像ですけど)。

でも、僕らの本はぜんぜん「偉そう」ではありません。「偉そう」どころか、どちらかというと若い人たちに「お願い、読んで」ととりすがるような態度で貫かれています。著者二人ともがマルクスを心から敬愛して、叡智の書物を押し戴くように読んでいて、「マルクス読むときっといいことあるよ」と若い人たちをお誘いしている。こういう素朴な敬慕の念と教化的善意のみに駆動されて書かれたマルクス入門書というのは中国でも、それ以外の社会主義国でも、あまりお目にかかることがないのではないかと思います。

という思いがけない展開になったせいで、『若マル』は続いて出版されることになり、番外編で池田香代子さんとご一緒に回ったドイツ~イギリスの旅では(僕は8泊9日全日程風邪ひきで、高熱を発したまま移動し、講演をし、対談をするという悪夢のような日々でしたけれど)、思いがけず、「マルクスとアメリカ」という本書のアイディアのきっかけが得られました。

マルクスについて書かれた解説書は無数にありますけれど、「マルクスとアメリカ」だけに論点を絞った論考というのはたぶん日本語で書かれた文献としては存在しないんじゃないかと思います。

本書でも触れましたけれど、ヨーロッパからアメリカに移民した社会主義者たち、いわゆる「48年世代(フォーティ・エイターズ)」の活動について、『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』のホレス・グリーリーとマルクスのかかわりについて、アメリカに本部があった時代の第一インターナショナルの活動についてなどなど、調べてゆくうちにもっと知りたいと思うトピックはたくさんありました。きっとアメリカやドイツの歴史家の中には、こういった論件について論文を書いている人たちはいると思います。でも、僕の年齢を考えると、これからあれこれと資料を集めて、それをまとめるだけの時間はなさそうです。誰か志のある若い人がこの研究を続けてくれることを願っています。

あと一つだけ書き加えておきたいことがあります。それはもしかするとアメリカでマルクスの再評価が始まるかもしれない・・・というちょっとわくわくするニュースです。

僕は『フォーリン・アフェアーズ・レポート』というアメリカの外交専門誌の日本語版月刊誌を定期購読しています(日本のメディアがまず書くことのない「アメリカの本音」が赤裸々に吐露されているので、「宗主国」の人々が今何を考えているのかを知るにはまことに便利な道具です)。その今月号の巻頭論文が「マルクスの世界」と題されたもので、そこにはこんなことが書いてありました。

「ソビエトとその共産主義モデルを採り入れた諸国が次々と倒れたにも関わらず、マルクスの理論は依然としてもっとも鋭い資本主義批判の基盤を提供し続けている。特筆すべきは、マルクスが、この40年間のように、政府が対策をとらない場合に先鋭化する資本主義の欠陥と弊害のメカニズムを理解していたことだ。マルキシズムは時代遅れになるどころか、現状を理解する上で必要不可欠の理論とみなされている。」(ロビン・バーギーズ、「マルキスト・ワールド 資本主義を制御できる政治形態の模索」、『フォーリン・アフェアーズ・レポート』、No.8, 2018, p.7

アメリカではあと少しでAIの導入による巨大な規模の「雇用喪失」が見込まれています。控えめな予測で14%、不穏な予測で30%の雇用がオートメーション化で失われます。失業した人たちを「機械化で失職するような先のない業界に就職した本人の自己責任だ」といって路上に放り出したら、アメリカの路上を数百万を超えるホームレスがうろつくことになります。市場は縮減し、経済は破綻し、治安も公衆衛生も悪化し、行政サービスも途絶えた『マッド・マックス』的終末論的光景が広がることになる。なんとかして完全雇用の手立てを講じないと破局が到来することはもうわかっているのです。でも、新技術を導入して人件費コストを削減することを企業経営者に断念させることはできません。ここで政治と経済が対立することになる。

資本主義社会のさまざまな矛盾は「富裕化する資本家」と「窮乏化する労働者」の絵に描いたような対立として尖鋭化しています。資本主義が延命するためには、どこかで市場原理の支配を抑制し、資本財を広い社会層に分配し、完全雇用を実現するための政策的介入を行わなければならない。もちろん「そういうこと」を僕たちは学生時代から何万回も読んだり書いたりしてきましたけれど、同じ言葉をアメリカの政治学者やエコノミストが口にする時代になったということに、僕は少なからず驚いています。アメリカ人たちがマルクスを読みなおす時代が来るのでしょうか。これがアメリカとマルクスの「かつて一度失敗した出会い」の仕切り直しの機会になってくれるといいんですけれど。

 

最後になりましたけれど、今回も僕の投げつける「悪球・暴投」をそのつどちゃんとミットに収めてくれた石川康宏先生の技術の確かさとオープンマインドに心から敬意を表したいと思います。

 

石川先生がかちっと学術的に確かな読解をして、僕がふらふらと思いつきを語るというこの分業体制も始まってもう9年となりました。僕が思いついた変てこなアイディアをどこまでも追いかけてゆけるのも、石川先生の絶妙のアシストがあってこそです。自由に遊ばせてくれる先生の雅量に(内心では「うう、面倒くさいなあ。またわけのわかんないこと言い出して・・・」と思ったこともあるでしょうが)心から感謝申し上げます。ありがとうございました。