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元号について ☆ あさもりのりひこ No.604

「簡単にするにはあまりに複雑な話」も世の中にはある。それについては「複雑なものは複雑なまま取り扱う」という技術が必要である。

 

 

2018年12月7日の内田樹さんの論考「元号について」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

朝日新聞から元号について取材を受けた。

私は西暦と元号の併用という「不便」に耐えるくらいのことはしても罰は当たるまいという立場である。

世の中には「話を簡単にすること」を端的に「よいこと」だと考える人が多いが、私はそれには与さない。

「簡単にするにはあまりに複雑な話」も世の中にはある。それについては「複雑なものは複雑なまま取り扱う」という技術が必要である。

以下は少し前の『GQ』に掲載したものである。少し加筆してある。

 

2019430日に平成が終わって、5月1日から新元号が始まることになる。となると、この年は平成31年生まれと新元号元年生まれが半々混在することになって、ややこしい。お役所の書類も、昭和があって平成があって、新元号もあって、西暦もあると、ますますもってややこしい。いまの時代、元号なんて必要なのか?

というのがQで、以下が私の方からのA

元号を廃して、西暦に統一しようというような極端なことを言う人がいるが、私はそれには与さない。

時代の区分としての元号はやっぱりあった方がいい。そういう区切りがあると、制度文物やライフスタイルやものの考え方が変わるからである。

元号くらいで人間が変わるはずはないと思うかもしれないが、これが変わるから不思議である。

私の父親は明治45年(1912年)1月生まれで、その年の7月で明治は終わるので父は「半年だけの明治人」だったが、初雪が降る度に、「明治は遠くなりにけり」とつぶやく習慣を終生手離さなかった。それどころか、「明治男の定型」を演じるために無意識の努力を全生涯を通じて続けていたように思える(彼にとって新しいものは何でも「軽佻浮薄」で、面白い話は何でも「荒唐無稽」であった)。「大正人」と截然と差別化されたところの「明治人」なるものは父の脳内幻想に過ぎなかったけれど、実際には強い指南力を持っていたのである。

われわれが過去や出自について語る物語はおおかたが「模造記憶」である。

現実には経験していないことをあたかも経験していたかのように記憶し、その「実は経験していない経験」に基づいて人格や個性を形成することはしばしばある。

誤解しないで欲しいが、私はそれが「よくない」と言っているわけではない。人間というのは「そういうもの」だと言っているのである。模造記憶や幻想に基づいてわれわれの価値観や美意識は形成され、それに基づいて感じ、考え、行動する。それはそれでなかなか味のある文化的な仕掛けではないかと私は思う。

漱石の『虞美人草』に出てくる宗近老人は明治40年代の青年からは「天保老人」と呼ばれている。おそらくその呼称にふさわしい「武士的」なたたずまいを明治の聖代に遺していたのであろう。「大正デモクラシー」も「昭和維新」も元号が付いていたからこそ同時代人にはリアルに思えたに違いない。

元号というのは尺貫法みたいなものだと思えばよいのではないか。メートルとグラムが世界標準なんだから、それに合わせろというのも確かに合理的な考え方ではあるが、やはり酒を飲むときは「二合徳利」とか「一升瓶」という数え方でないと酒量が計れないし、道場で教えているときは「三間先を見る」とか「切っ先を三寸延ばす」とか言うし、切腹するのは「九寸五分」、能舞台は「三間四方」、白髪は「三千丈」、深山幽谷は「万丈の山、千尋の谷」である。国際共通性がないから廃用しろと言われても困る。こういう度量衡はそれぞれの集団の歴史的経験の中から出てきたもので、一朝一夕に捨てることはできない。

世界標準とは別にローカルな度量衡が並立していることを私はそれほど不合理な話だとは思わない。むしろ度量衡が複数存在しているという事態を多様性の発露として言祝ぐくらいの雅量があってもよろしいのではないか。

現に、元号のない国も元号に代わるものを持っている。

イギリス人は王が交代するごとに時代を区切りる。「ヴィクトリア朝的(Victorian)」といったら旧弊で、上品ぶって、偽善的で、抑圧的という時代の風儀を意味するし、エドワード七世はわずか10年の治世だったけれど、「エドワード朝的(Edwardian)」という形容詞を残した。そこには「物質的豊かさ、絢爛豪華、官能的」といったコノテーションがしっかり貼り付いている。

フランスも元号はないが、こちらは政権の交代と建築やインテリアの違いをセットにする習慣がある。「ルイ16世様式」「総裁政府様式」「帝政様式」「第二帝政様式」とやけに細かく区分する。むろん、政体の変遷と建築や家具の様式の流行の間には何の関係もないが、なぜかフランス人は政体が変わるごとに美的感受性をリセットすることを好んだのである。

アメリカという国には王朝もないし、政体の変遷もない。だからといって、「自前の時間の区切り方」がないわけではない。とりわけ20世紀のアメリカ人が愛用したのは「10年(ディケイド)」という時間区分である。「狂騒の20年代」とか「50年代ファッション」とか「60年代ポップス」とか。西暦の10年区切りで人間の生き方が変わるはずはないにもかかわらず、ディケイドが終わりに近づくと、なんだか生き方を心機一転して、新しいことを始めなければならないような気分になる。

年が替わると去年のことは水に流すのは日本人だけだとよく言うが、そうでもない。1950年代のポップスと60年代のポップス、60年代のロックと70年代のロックを聴き比べると、アメリカ人だって「ディケード」の区切りで音楽の作り方聴き方を変えていることがわかる。

だいたい西暦だって、イエス・キリストの生年を基準とする紀年法であり、イエスがこの世に生まれたことで時間も聖化された(anno domini)とするものであって、別に価値中立的なものではない。キリスト教でも、ギリシャ正教は紀元前5508年を天地創造元年とする紀年法を採用しているし、ユダヤ教は紀元前3761年を創造元年とするし、イスラム教徒はムハンマドがヒジュラに移った紀元622年を元年とする紀年法を採用している。西暦で統一すればいいという人たちは、ギリシャ正教徒やユダヤ教徒やイスラム教徒の「お立場」というものを少しは配慮しているのであろうか。

紀年法について、私から特段のご提案があるわけではない。

同じことを繰り返すが、「複雑なものは複雑なまま扱う」のが大人の風儀というものである。