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能楽と武道(前編) ☆ あさもりのりひこ No.628

その時以外にありえないような必然的な時に、その場以外にはありえない必然的な場において、果たすべきことを果す。

 

 

2019年2月24日の内田樹さんの論考「能楽と武道」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

標記のようなタイトルで、ある文化団体のパンフレットに短文を寄せた。

昨日、大槻能楽堂で話した「海民と騎馬武者のコスモロジー」の原型はこちらである。

昨日は口頭発表だったので、あまり文献的な根拠を示すことができなかったが、こちらはテクストなので、典拠が示されている。

武道と能楽の関係についての私の基本はここにある通りである。

 

武道と芸能

 

合気道という武道を40年、観世流の能楽20年稽古してきた。いずれも「日暮れて道遠し」だが、この二つの技芸の連関をそれぞれの実践者という立場から語る人があまりいない。この立ち位置を奇貨として、二つの領域の「あわい」から見えるものについて一言書きとめておきたい。

 

武道と能楽の間には深い繋がりがある。

今でも私たちが容易に手に取るこのできる最古の武道の伝書の一つ、柳生宗矩の『兵法家伝書』は能楽の比喩がたいへんに多い。代表的な箇所を引く。

 

「あふ拍子はあしゝ、あはぬ拍子をよしとす。拍子にあへば、敵の太刀つかひよく成る也。拍子ちがへば、敵の太刀つかはれぬ也。敵の太刀のつかひにき様に打つべし。つくるもこすも、無拍子にうつべし。惣別のる拍子は悪しき也。」(柳生宗矩、『兵法家伝書』、岩波文庫、43頁)

 

「たとへば、上手のうたひはのらずしてあひをゆく程に、下手鼓はうちかぬる也。上手のうたひに下手鼓、上手の鼓に下手うたひの様に、うたひにくゝ、打ちにくき様にしかくるを、大拍子小拍子、小拍子大拍子と云ふ也。」(同書、43-44頁)

 

いずれも能楽用語が剣の遣い方について用いられている。私のように能楽を稽古しているものにとっては、こういう喩はたいへんわかりやすいが、これは宗矩が能楽好きだったのでたまたま能楽の比喩を選好したということではないと思う。というのは、『兵法家伝書』そのものは家伝とはいいながら、柳生新陰流の「パブリックドメイン」として修業者たちに共用されることを意図して書かれたものだからである。個人的趣味の芸能の比喩を頻用することは家伝の継承という点からすれば有害無益なことである。しかし、宗矩はあえて、執拗なほどに、能楽の比喩を用いた。ということは、この時代の剣客たちが、能楽修業が求める技術や心得が剣術と深く通じるものであることを知っていたということである。逆から言えば、能楽が武士階級のもの以外には観ることも、演じることも禁止されていた時代において、能楽の喩えを用いて剣術の蘊奥を語ることは、暗号によって秘伝を語っていたということを意味している。能楽の比喩を用いて語る限り、武士階級以外のものにはそこで何が語られているのかわからなかったからである。

 

囃子と謡の拍子がずれると、能楽は物理的に成り立たない。これは能楽を稽古する者には熟知されていることである。

能楽を扱った珍しい小説に泉鏡花の『歌行燈』があるが、この中で天才能楽師恩地喜多八が宗山という伊勢の天狗連を訪れて、その謡を聞きながら、膝を打つ拍子だけで絶息させる印象的な場面がある。

 

「この膝を丁(ちょう)と叩いて、黙って二ツ三ツ拍子を取ると、この拍子が尋常(ただ)んじゃない。親なり師匠の叔父きの膝に、小児の時から、抱かれて習った相伝だ。対手(あいて)の節の隙間を切って、伸縮を緊()めつ、緩めつ、声の重味を刎(はね)()げて、咽喉の呼吸を突崩す。(...)いささか心得のある対手だと、トンと一つ打たれただけで、もう声が引掛って、節が不状(ぶざま)に蹴躓(けつまず)く。(...)あわれや宗山。見る内に、額にたらたらと衝()と汗を流し、死声(しにごえ)を振絞ると、頤(あご)から胸へ膏(あぶら)を絞った......ものの本をまだ一枚とうたわぬ前、ピシリとそこへ高拍子を打込んだのが、下腹へ響いて、ドン底から節が抜けたものらしい。はっと火のような呼吸を吐く、トタンに真俯向まうつむけに突伏す時、長々と舌を吐いて、犬のように畳を嘗()めた。」

 

「うたひにくゝ」鼓を打てば、素人は知らず、ある程度稽古を積んだものは息ができなくなる。それほどに拍子というのはきびしいものだ。その消息をこれほど鮮やかに伝えたものは珍しい。

 

能楽と武道の「出会い」について書かれた文献としては松浦静山の『甲子(かっし)夜話(やわ)』が知られている。

徳川家光が将軍家御指南版であった柳生宗矩に、シテ方観世大夫の所作について「若()し彼が心に透間(すきま)ありて、こゝを斬るべき所と思はゞ申すべし」と告げたことがあった。舞台を見終えたあとに、宗矩は家光にこう述べた。

 

「始(はじめ)より心をつけゐ候に、少しも斬るべき際(あひ)だなく候。しかし舞の中、大臣柱の方にて隅(すみ)をとり候とき少しく透間の候。あの所にて斬り候はゞ斬りおほすべく候半と言上す。」(松浦静山、『甲子夜話6』、平凡社、1978年、174頁)

 

観世大夫の方は楽屋に戻ってから、傍らの人にこう訊いた。「今日見物の中に一人、わが所作を見ゐたる男あり。何者か」。あれは柳生但馬守だと教えると、観世大夫はこう言った。

 

「されば社(こそ)我が所作を目も離さず観ゐられしが、舞の中に隅をとりし所にて少し気を抜きてあるとき、莞(かん)()と咲(わら)はれつつが心得ざることよと思ひゐしに、果たして剣術の達人にぞ坐()しけれと云ける。」(同書、174頁)

 

達人の境位がどういうものかを教えてくれる稀有の逸話である。

 

武道における「隙(すき)」というのは文字通り空間的・時間的な「隙」のことであり、また「心の隙」のことである。身体の隙も心の隙も、居着きによってもたらされる。身体の一部の過緊張は他のどこかの部位の過弛緩をもたらし、思念の一点への居着きも隙を作る。居着くというのは、点としての入力に点として「反応」することであり、これは自他を含む場全体を平らかに「観察」することを妨げる。観察とは時間の流れ、場の布置におけるおのれの位置を鳥瞰的に把持することである。これは武道において最も重要な能力である。どれほど凄まじい攻撃であっても、その一瞬前にその場を通り過ぎていれば、その一寸遠くに身をかわしていれば、人を害することができない。

それゆえ、武道では「機」と「座」を重く見る。

「機」とは「しかるべきとき」のことであり、「座」とは「しかるべき場所」のことである。その時以外にありえないような必然的な時に、その場以外にはありえない必然的な場において、果たすべきことを果す。それが兵法修業のめざすところである。宗矩は機と座についてこう書いている。

 

「一座の人の交(まじわ)りも、機を見る心、皆兵法也。機を見ざればあるまじき座に永く居て、故なきとがをかふゞり、人の機を見ずしてものを云ひ、口論をしいだして、身を果す事、皆機を見ると見ざるにかゝれり。座敷に諸道具をつらぬるも、其の所々のよろしきにつかふまつる事、是も其の座を見る事、兵法の心なきにあらず。」(柳生宗矩、前掲書、25頁) 

 

「機を見ず」して、「あるまじき座」にいることによって人はしばしば身を滅する。自分がいるべき場にいるのかを配慮するのが「機を見る」であり、必要なものを然るべきところに配置することを「座を見る」と言う。これもまた「兵法の心」なしにはありえない。

「機を見る」「座を見る」これはそのまま武道のみならず、能楽の心得に通じる。