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マーク・トウェインと世阿弥(つづき) ☆ あさもりのりひこ No.634

アメリカでは興行的大成功のことを「ブロックバスター」(block buster)と呼ぶ。1942年初出の新語である。もとはイギリスの軍用語で「一区画ごと破壊する爆弾」を指していた。

だが、その後、アメリカに来て、意味が変遷した。

「ものの行き来を妨げている障害物を吹き飛ばすもの」に変わった。

アメリカ人はblockを「区画」ではなく「障害物」とあえて「誤読」したのである。

それは彼らにとって、映画や小説や音楽や、ともかく彼らが切望している作物は「ものの行き来を妨げている障害物」を「吹き飛ばす」ものでなければならなかったからである。

 

 

2019年2月27日の内田樹さんの論考「マーク・トウェインと世阿弥(つづき)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

話が途中で終わっていたので、続きを書く。

マーク・トウェインは南北戦争で分断されたアメリカ国民を和解させるために『ハックルベリー・フィンの冒険』を書いたというのが私の仮説である。

マーク・トウェイン自身がそんな計画を以て書き出したのかどうかは知らない。

たぶん無計画だったのだろうと思う。しかし、結果的にそうなった。

 

西部劇映画の多くも、「無意識に作っているうちに結果的にはそうなってしまった」物語群だと思う。

あれもまた敗軍の兵たちに一掬の涙を注ぐ物語である。

男たちが遠く故郷を離れて流浪しているのは、もう帰るべきところがないからである。家が焼かれ、家族が死んだからである。

もともと騎乗の技術においては南部人の方に大きなアドバンテージがあった(伝説的な騎兵隊指揮官はほとんど南軍である)。

だから、「馬とライフル」を友として荒野をさまよう男たちの相当数は元南軍兵士だったはずである。

彼らの孤独とトラウマ的な経験(映画の中で語られることがめったにない)は西部劇の基本的な説話要素の一つである。

彼らが経験する荒野やフロンティアでの戦い、放浪する仲間たちとの友情と対立、新しい家庭の成立と終わりなき放浪への旅立ち、悲惨なあるいは英雄的な死・・・を繰り返し物語ることによって、おそらく20世紀のアメリカ人たちは南北戦争の敗者たちのための「供養の物語」を紡いだのである。

そうでなければ、南北戦争直後から、兵士たちが死に絶える1900年頃までを舞台にした西部劇映画があれほど大量に作られたことの説明がつかない。

その時代がとりわけアメリカ史の中で面白い時代だったわけではない。

それ以前の植民地時代・西部開拓時代に取材しても、胸をときめかせる物語の素材はいくらでもあったはずである。

けれども、クーパーが『開拓者たち』で描いた開拓民の冒険や武勲の物語にも、あるいは7年にわたり欧米列強がコミットした一大世界戦争である「フレンチ・インディアン戦争」にも、ハリウッドはほとんど興味を示なかった。

たぶん投じた予算を回収できるだけの興収が期待できなかったからである。

プロデューサーたちもアメリカ人観客が西部劇に求めていたのが、ただの「娯楽」や「アメリカ史再発見」ではないことを知っていたのである。

 

同じことは、アメリカで成功したすべての物語ジャンルについて妥当するのではないか思う。

アメリカでは興行的大成功のことを「ブロックバスター」(block buster)と呼ぶ。1942年初出の新語である。もとはイギリスの軍用語で「一区画ごと破壊する爆弾」を指していた。

だが、その後、アメリカに来て、意味が変遷した。

「ものの行き来を妨げている障害物を吹き飛ばすもの」に変わった。

アメリカ人はblockを「区画」ではなく「障害物」とあえて「誤読」したのである。

それは彼らにとって、映画や小説や音楽や、ともかく彼らが切望している作物は「ものの行き来を妨げている障害物」を「吹き飛ばす」ものでなければならなかったからである。

南北戦争に限らない。

それから後もアメリカはさまざまな仕方で国民的分断を経験した。

西部劇のもう一つの基調音的対立である、牧畜者たちとホームステッド法で公有地を無償で手に入れて入植してきた農夫たちの対立がそうだ。

遊牧民と定住民の対立である。『シェーン』はこれを描いている。

19世紀末からは、資本家とプロレタリアの対立、都市と田園の対立、知識人と無学者の対立・・・とさまざまな変奏に展開した。

そして、その対立の「ブロック」を「打ち砕いた」ものがブロックバスターになった。

20世紀におけるもっとも印象的な「ブロックバスター」はエルヴィス・プレスリーだと私は思う。

なぜなみいるミュージシャンたちの中で彼だけが「キング」と呼ばれるのか。

それはマーク・トウェインが「アメリカ文学の父」と呼ばれることとおそらくは同じ理由による。

エルヴィスは不思議なシンガーだった。系譜がわからないのである。だから、分類できない。

1950年代、アメリカのヒットチャートはポップス、カントリー、R&Bの三つに分かれていた。

とりわけ白人音楽であるカントリーと黒人音楽であるR&Bの間には乗り越えられない「壁」があった。

レイ・チャールスはカントリー曲『愛さずにはいられない』をカバーしてR&Bのトップになったが、カントリー・チャートでは100位にも入らなかった。ハンク・ウィリアムスはカントリー・チャートに無数のヒット曲を送り込んだが、一度もR&Bチャートに入ったことがない。

それほどまでに黒人と白人の音楽の間には高い壁があった。

エルヴィスがその壁を砕いた。

『ハート・ブレイク・ホテル』でエルヴィスはポップス、カントリー、R&Bの全チャート1位という偉業を成し遂げた。

それまで社会集団ごとに文化的に分断されていたアメリカ人たちの若者たちが、「ブロック」を超えて、エルヴィスだけは「自分たちのための音楽」だと認知したのである。

それは1885年のアメリカ人たちが南北の隔てを超えて、『ハックルベリー・フィンの冒険』を「自分たちのための文学」だと認知したのと構造的には同じことだと私は思う。

 

スコット・フィッツジェラルドもアーネスト・ヘミングウェイも、アメリカ国民を二分していた「高い壁」を破壊した功績によって、その文名を高めた。私はそう思う。

フィッツジェラルドは「金持ちと貧乏人」のあいだの壁を、ヘミングウェイは「知識人と野蛮人」のあいだの壁を、それぞれ鮮やかな手際で打ち砕いてみせた。

そのせいで、行き来のない集団に切り隔てられていたアメリカ人たちが、彼らの作品のうちに「これは自分たちのための文学だ」という同じ親しみを感じたのである。

 

という話をだらだら書いていたら、今日も世阿弥にたどりつけなかった。

 

続きはまた明日。