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「株式会社化する日本」のためのまえがき ☆ あさもりのりひこ No.637

何の現実的根拠もない妄想や気分で、あるいは嘘によってでも、政治的現実は変わる。現にそれで傷つく人がおり、それで破壊される制度がある。ですから、「妄想を侮ってはならない」と僕は思っています。

 

 

2019年2月28日の内田樹さんの論考「「株式会社化する日本」のためのまえがき」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

まえがき

 

みなさん、こんにちは。内田樹です。

この本は鳩山友紀夫元総理と木村朗鹿児島大学教授と僕の三人での鼎談を収録したものです。

鳩山さんはいまさらご紹介するまでもなく、民主党政権のときの総理大臣です。政界引退後は東アジア共同体研究所理事長、AIIBの諮問委員などを務めて、日本と隣国との間の連携のために東奔西走していることはご案内の通りです(若い人だと、「ご案内の通り」でもないかも知れないですね。いまの日本のメディアは鳩山さんについての報道をずいぶん手控えているようですから)。

総理辞任のときにはメディアからは批判の十字砲火を浴びました。そのときにはメディアまわりでは鳩山さんを擁護する人を探すことの方が困難でしたが、いまもその逆風はそれほどには変わらないと思います。でも、僕は鳩山さんのことは最初に知り合ったときからずっと信頼してきました。どういうところが信頼できるのかと問われると説明が難しいのですが、こういうのは直感的なものです。

政界を引退されたあと、僕の主宰する凱風館(武道の道場で学塾でもあります)にお招きして、講演をして頂いたことがありました。その時に新神戸の駅までお迎えにゆきました。改札口で待っていたら、向こうの方から鳩山さんが小さな鞄をひとつだけ手にしてゆらゆらと歩いてきました。驚いて「おひとりなんですか?」と訊いたら、当たり前のように「はい」と答えられた。秘書もお供もなしで、新幹線で東京から来たのです。

あの容貌ですから、誰が見ても鳩山さんだってわかります。その少し前に乗っていた自動車が右翼の街宣車に囲まれて嫌がらせをされたことがあったと聞いていましたので、鳩山さんがまさか一人で新幹線に乗ってくるとは思いませんでした。

胆力のある人だなと僕は思いました。

そういうことができるのは、たとえ列車の中で、誰かに議論を吹きかけられても、あるいは罵倒されても、情理を尽くして説けば、相手を納得させ、翻意させることができるという自信が鳩山さんにはあるからでしょう。同じ立場になったときに自分にそれができるだろうか考えましたが、僕にはとてもできそうもありません(僕の受忍限度はわりと低めなんです)。

鳩山さんは人が話をしているときに絶対に話を遮って、割り込むということをされません。これは総理大臣の頃からそうでした。こういうのはたぶん子どもの頃から身になじんだマナーなのでしょう。相手の話が終わるまで、ずっと耳を傾けている。僕は根ががさつな人間で、歯に衣着せずものを言うたちなので、これまでお会いするたびにずいぶん失礼なことも申し上げましたが、いつも黙って聞いておられる。そして、僕が話し終わると「よろしいですか」と一言断り、まず僕の発言に対して謝意を表し、それから自分の意見を述べ始める。このマナーはこの鼎談の間もついに一度も破られることがありませんでした。

鳩山さんは政治家としてはずいぶんきつい経験をされた方だと思います。圧倒的な期待を担った政権交代を果たしたあと、それこそ石もて追われるように総理の座から引きずり下ろされた。聞くに堪えないような誹謗をされたこともありますし、政治的業績について適切な評価を得ているとは言い難い。にもかかわらず、自説に反対する人間であっても、自分の前にいる人間の知性と倫理性に対する信頼を手離さない。それはタフな時間を過ごした後も変わっていない。

僕はこういう人のことをその語の本来の意味において「紳士」と呼ぶべきだろうと思います。紳士であることが政治家の適性として必須のものであるかどうか、僕には確信がありません。でも、もしこの鼎談本がこのあと何年か経ってもまだリーダブルなものでありうるとしたら、(ふつうはこんな時事的な問題を扱った書物は数か月で「消費」され尽くして、書店の書架から消えてしまうのですけれど)、そこには鳩山さんの紳士的なマナーのおかげで醸成された対話的な場の空気が深く与っていると僕は思います。

 

もうお一人の話し相手である木村先生のおかげで、僕は自分の政治についてのアプローチの「特殊性」に改めて気づかされました。木村さんは政治学者ですから、データやエビデンス、論理性と厳密性を重んじる。僕は学問的な人間ではありません。僕は政治については幻想や臆断の方を重く見るからです。何の現実的根拠もない妄想や気分で、あるいは嘘によってでも、政治的現実は変わる。現にそれで傷つく人がおり、それで破壊される制度がある。ですから、「妄想を侮ってはならない」と僕は思っています。

木村先生と僕の違いは本書ではとりわけ天皇制をめぐる議論で際立ったように思います。どういうふうに違ったのかは本書を徴してお確かめください。学問的なアプローチと非学問的なアプローチという二つの視座から見たことで、天皇制の問題はずいぶん立体的に見えて来たのではないかと思います。

いささか意外だったのは、天皇制についての評価において、鳩山さんと僕がかなり近い立場にあったことです。鳩山さんは実際に天皇陛下皇后陛下と親しくお話をする機会に恵まれた方です(僕は文献的にしか存じ上げません)。ですから、鳩山さんの証言は僕にとってはとても貴重なものでした。

天皇制についてここでなされた意見のやりとりは、沖縄の基地問題と東アジア共同体と並んで本書の核心的な論件ですので、そこはみなさんにはぜひじっくり読んで頂きたいと思います。

 

本書は平成という時代が終わるときに、いわばその総括としてなされた鼎談です。おそらく同じ趣旨で同時に多くの書籍が世に問われると思います。その中にあって、別に一時的に話題になることがなくても、長く読み継がれる本であって欲しいと願っています。

最後になりましたが、編集の労をとってくださった詩想社の金田一一美さんのご尽力に感謝申し上げます。小さな出版社でたいへんだと思いますけれど、一人でも多くの読者の手に届くようにいっしょにがんばりましょう。

 

(2019年1月)