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街場の平成論のまえがき(後編) ☆ あさもりのりひこ No.643

うまく説明できなことは「うまく説明できないこと」として、そのままパブリックドメインに公開しておいて、誰か説明できる人の出現を待つというのが知性のほんらいのマナーではないかと僕は思っています。

 

 

2019年3月16日の内田樹さんの論考「街場の平成論のまえがき(後編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

本書の寄稿者の中では仲野徹先生が「予測不能性」を主題にして書かれていました。その中で1960年に当時の科学技術庁が21世紀の科学的達成を予測した書物に言及されています。予測のうち当たったのはわずか2~3割だったそうです。

医学分野では、感染症は根絶され、人工臓器が開発され、臓器移植は実現されず、ストレスフルなライフスタイルのせいで胃潰瘍(!)が代表的な消化器疾患になっていると予測されていましたが、現実には、根絶された感染症は天然痘だけでしたし、人工臓器開発は進まず、逆に臓器移植は長足の進歩を遂げ、胃潰瘍は特効薬が開発されて、重篤な病気ではなくなりました。

自然科学はそれまでの達成の上に新しいものが付け加わるという直線的な開明と高度化のプロセスをたどります。世界の仕組みは科学の進歩によって間違いなくより明らかになってゆきます。「科学技術が次第に退化する」とか「重要な科学的発見がどんどん忘れられてゆく」というようなことは自然科学の分野では起こりません。それでも予測は困難なのです。ましてや、政治や経済においておや。

というのは、政治経済領域では、政治家やビジネスマンの資質が劣化するとか、歴史的教訓が忘れられるとか、深遠な知見が打ち捨てられるとかいうことはまさに日常茶飯事だからです。開明化・高度化した場合に何が起きるかを予測しなければいけないだけではなく、迷蒙化・暗黒化したり、あらぬ彼方へ逸脱したりした場合も勘定に入れて僕たちは未来を予測しなければならない。当たるはずがありません。

でも、外れる予測をそれでも繰り返し立てることはたいせつな仕事だと僕は思います。それは「どうして起きてもよい『あのこと』は起きなかったのか?」という問いと「どうして起きなくてもよかった『このこと』は起きてしまったのか?」という問いを組み合わせることで、僕たちの生きるこの世界はより一層複雑なものに見えてくるからです。

ただでさえ複雑な世の中をよけい複雑にしてどうするんだと苛つく方もおられるかも知れません。でも、複雑なものを複雑なまま扱うというのも重要な知性の働きです。その作業を遂行するためにはタフな知力が要ります。

「タフ」というのは、質はともかく丈夫であるということです。いろいろなものを詰め込める。いろいろなものを詰め込んでも壊れない頭のことです。複雑なものを複雑なまま扱うためには「よい頭」というよりはむしろ「丈夫な頭」が要るのです。

 

頭のいい人は複雑なものを複雑なまま扱うことをしません。複雑な話を単純化する手際にこそ「頭のよさ」が鮮やかに示されると彼らは信じているからです。実際、頭がいいとそういうことができるのです。ややこしい話を切れ味よくすぱっと切り分けて、われわれを「なんだ、こんなに簡単な話だったのか」と得心させてくれる。読者としては知的負荷が一気に軽減するので、こんなにありがたいことはありません。ですからつい、そういう切れ味のよい仮説に飛びついてしまう。

でも、申し訳ないけれど、「切れ味のよい仮説」の賞味期限は人々が期待するほど長くはありません。すぐにその仮説ではうまく説明できない事象が出来する。そのときに「あ、自分の仮説は間違っていた」とさくっと自説を撤回してくださるといいんですけれど、なかなかそうはなりません。というのは、「頭のいい人」の頭の良さは「複雑な話を単純化する」ことと同じく「自分の間違いを間違っていなかったかのように取り繕う」手際において際立つからです。これは長く生きて来た僕が確信を込めて断言することができることの一つです。ほんとうにたいしたものです。思わず拍手したくなることさえあります。

でも、そうやってご自身の知的体面は保ったとしても、それは集団的な知性の働きには資するところがありません。資するところがないどころか、むしろ有害です。

うまく説明できなことは「うまく説明できないこと」として、そのままパブリックドメインに公開しておいて、誰か説明できる人の出現を待つというのが知性のほんらいのマナーではないかと僕は思っています。自分には説明できないことでも、誰か別の人や、未来の人なら説明してくれるかも知れない。ですから、その人たちが仕事をしやすいようにしておく。「この問題は解決できませんでした」、「この事象は説明できませんでした」、「こんな出来事が起きるとは予測もできませんでした」というわれわれの知性の不調についてのタグをわかりやすく、見やすいところに付けておく。

世の中には「これ一冊読めば目から鱗が落ちて、世界のすべてのことが理解できる」という触れ込みで書かれる本もありますし、本書のように、知性の不調についての点検報告書のような本もある。

でも、そういう作業は絶対に必要だと僕は思います。みなさんだって、自分の車を仕業点検するときには、「ブレーキの効きが悪い」とか「エンジンから異音がする」ということの方を「オーディオの音質がすばらしい」とか「シートの革の艶がみごと」ということよりも優先的に配慮しますでしょ。不調を放置しておくと命にかかわるから。こういう問題だって同じです。

というわけで、僕がこの本の寄稿者に選んだのは「頭のいい人たち」というよりは「頭の丈夫な人」たちでした(こんなことを書くと怒られそうですけれど)。寄稿者リストを作ったときにはそんなことを考えて選考したわけではないのですけれど、集まった原稿を読んだら、そういう印象を受けました。みなさんも最後まで読んで頂ければわかりますけれど、読み終えて「なるほど、そういうことだったのか。なんだ世の中というのは思いのほか簡単なものだったのだな」と膝を打つということは絶対にありません。それは保証します。寄稿者のみなさんは、書きながらどんどん話を複雑にして、収拾のつかない難問のうちにどんどん踏み込んでいって、途中で「紙数が尽きた」で読者を放り出して終わり・・・という感じです(わりと)。

読者サービスという点ではいささか問題がありそうですけれども、でも、「読んですっきりする」ということと「読んでどきどきする」というのはレベルの違う経験なんです。

複雑な世界をその複雑さ込みで高い解像度で記述するというのは、なかなかたいした仕事なんです。ほんとうに。そういうものを読むことはある種の高揚感をもたらします。それは、複雑に見える世界が実はとても単純なものだったという「心安らぐお話」を聴かされてほっとするときの安堵感とは異質のものなのです。

本書がそういう種類の高揚感をもたらすものであることを編者としてはつよく願っています。

 

最後になりましたが、お忙しい中、面倒な仕事をお引き受けくださった寄稿者の皆さんのご協力と、編集の労をとってくださった晶文社の安藤聡さんの忍耐と雅量に深く感謝申し上げます。