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参院選にあたって ☆ あさもりのりひこ No.690

もし選挙を「自分の政治的意見を100%代表してくれる人」を国会に送り込むことだと思っているなら、その人は棄権を選ぶしかないだろう。そして、棄権することはニュートラルな解ではない。それは民主制の崩壊に同意の一票を投じることである。「国会なんか要らない」という人々の群れに加わることである。

 

 

2019年7月5日の内田樹さんの論考「参院選にあたって」をご紹介する。

 どおぞ。

 

 

毎日新聞から参院選について取材された。1時間話したことを200字くらいにまとめたコメントが今朝掲載された。少し加筆したロングヴァージョン。

 

 日本の議会政治の質の低下は目に余るものがある。

 市民的に未成熟な議員たちは失言愚行を繰り返し、国論を二分するような重要法案は審議を通じて深められることなく強行採決に付されてしまう。立法府は機能不全に陥っている。

 けれども、これを「国会の空洞化」と切って捨てて、そこから「投票など無駄だ」という虚無的な結論に至ることは、進んで民主主義の衰退に手を貸すことになる。

 民主制は、政策決定に集団の全員が関与し、その成否について全員が「わがこととして」責任を引き受けるという覚悟なしには成立しない。

 自分がその決定に関与していない法律や制度については、それがどれほどみじめな破綻をきたしても、私たちは「ほらみたことか」とせせら笑う権利がある。その破綻がもたらす被害がわれわれ自身に実害をもたらす場合でさえ、人間は自分がその決定にかかわっていない政策の失敗については「ひとごと」のような顔をすることができる。

 

 政治的無関心のもたらす最大の害悪は、「第三者づらができること」である。

 決定に関与していないというのは、その失敗について責任がないということである。そして、その失敗について責任がないということは、失敗から立ち直るための努力についても責任がないということである。

 他人が勝手に始めた事業で、勝手に失敗して、勝手に国益を損なったことについて、どうしてオレが汗を流してその欠損を補填しなければならないのか? 「あいつら」のせいで、この国がどんなことになろうと「オレの知ったことじゃない」。もし日本が独裁制になったり、保険や年金制度が破綻したり、戦争に巻き込まれそうになったら、「オレは日本を出てゆくよ」。そういうふうに考え、そう広言する人間の比率がある閾値を超えたところで、民主制は終わり、国も終わる。

 

 民主制というのは、「自分の運命と国の運命のあいだには相関がある」という幻想抜きには成立しない。国が「まっとうな国」でないと、自分も「まっとうな市民生活」を送ることができないという(あまり論理的ではない)思い込みが民主制を支えている。「国は国、オレはオレ」という考えをする人間が一定数を超えたら、民主制は持たない。

 私が日本の民主制は危機的だと考えるのは、そのことである。

 

 私たちが自分たちの代表を送る先である「国権の最高機関」が空洞化している。

 それは意図的に行われていることである。私たちはニュースを通じて、「国会が機能していない」ということを繰り返しアナウンスされている。委員会では怒号と冷笑が飛び交い、「熟議」というのは審議時間稼ぎのことであり、どれほど野党が反対し、国民の支持がない法案でも、最後は強行採決される。だとすれば国会の審議というのは、「民主制のアリバイ作り」に過ぎないのではないか。

 国会の不調について報道されればされるほど市民の立法府への敬意は傷つけられる。

 でも、それはまさに政権が目指していることなのである。

 国会が何日も開かれず、総理大臣が海外に出て委員会を欠席し、立法府が機能していなくても「日々の生活はとりわけ問題なく機能している」というふうに人々が考えるようになれば、そこから導かれる結論は「だったら、国会なんか要らないじゃないか」というものである。

 

 そして、いまの政権が目指しているのは、まさに「国会なんか要らないじゃないか」という印象を有権者たちに刷り込むことなのである。

 そうすれば投票率は下がる。国民が国会に対する関心を失えば失うほど、集票組織をもつ与党が低投票率では「常勝」することになる。だから、政府与党の関心は「どうやって投票率を下げるか」に焦点化することになる。

 今回自民党は「改憲」を選挙の争点にしたが、それは別に憲法条項のどこをどう変えるかについて明示的な主張を掲げて、国民に信を問うということではない。そうではなくて、「日本がこんな状態になったのは、全部憲法のせいだ。憲法さえ変えればすべてはうまくゆく」という「ストーリー」を国民に刷り込み、それによって自らの政治責任を免れようとしているということである。

 だが、こんな「ストーリー」は一般の有権者には何の緊急性もないし、特段のリアリティーもない。現在日本が直面している外交内政の主要問題とも改憲はほとんど関係がない。だから、「すべては憲法のせいだ/そんなはずないじゃないか論争」というものが仮に主要な争点になれば、与党支持層以外の有権者の投票意欲は有意に下がるだろう。たぶんそういう算盤を弾いて自民党は「争点選び」をしたことだろう。

 

 もし選挙を「自分の政治的意見を100%代表してくれる人」を国会に送り込むことだと思っているなら、その人は棄権を選ぶしかないだろう。そして、棄権することはニュートラルな解ではない。それは民主制の崩壊に同意の一票を投じることである。「国会なんか要らない」という人々の群れに加わることである。

 

 投票するということは、ある候補者やある政党に対する支持を明らかにするという以上に、国権の最高機関の威信に対して一票を投じるということでもある。 選挙に際しては何よりもそのことを思い出して欲しい。民主主義に一票を。