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英語教育について(その1) ☆ あさもりのりひこ No.711

教育の目標は、子どもたちの市民的成熟を支援することに尽くされる

 

 

2019年5月31日の内田樹さんの論考「英語教育について」(その1)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

昨年の6月12日に東京の私学の文系教科研究会(外国語)で行った講演録が出版された。「東京私学教育研究所所報」84号に掲載されているが、ふつうのひとはあまり手に取る機会がない媒体なので、ここに採録する。

 

○司会者  今回は、ここ最近の外国語の文系教科研究会では例をみないほど多くの先生方にお集まりいただきました。6月の今ごろは、夏休みがそろそろ見えてきて、でもまだまだ遠くて、体力的にも精神的にもだいぶ苦しいころ合いだと思います。にも関わらず、これだけ多くの先生方が今回は集まってくださり、おかげさまで満員札どめとなりました。理由はたった1つです。今回、当研究会では、内田樹先生をお招きして講演会を開催できる運びとなりました。忙しくても体力的にきつくても、この方の話ならば何としても聞きたい、それが内田樹先生ではないでしょうか。

 内田先生は、現在は神戸女学院大学名誉教授であるとともに、神戸市で武道と哲学研究のための学塾「凱風館」を主宰していらっしゃいます。もともとのご専門はフランス現代思想ですが、武道論、教育論、映画論、文学論、漫画論などなど、実に多くの専門領域をおもちで、あらゆる領域について、あらゆる人に、万人に届く言葉を発信していらっしゃいます。

 内田先生の言葉の特徴は「届く」ということだと思っております。一見複雑で込み入った情況であっても、それについて内田先生が書かれた文章を読むと、目の前の混沌にさっとマップがかかり、そこにおいて自分がどのように歩みを進めていけばいいのかがすっと理解される。内田先生のご著書を読んで、そのような経験された先生方も多いのではないでしょうか。

 内田先生の文章を読むと、そこに書かれた内田先生の言葉が、もともと自分のいいたかったことを言ってくれた、と思える経験がよくあります。実際はそんなことは考えたこともなかったことなのに。そんな風に、言葉が、読んでいる自分の内側にまで届いて、響くのです。また、言葉というもの、読書というものは、本来そのようなメカニズムやダイナミズムをもっているのだ、ということも、実は、内田先生から私は学ばせていただきました。

 フランス現代思想がご専門ということもあり、言語というものに実に造詣の深い内田先生に、本日は「英語教育の危機」という演題のもと、激動期、大変革期といってもいい現在の英語教育界について、それから、英語に限らず、言葉を学ぶ、教えるとはどういうことかについて、存分に語っていただこうと思います。

 それでは、内田先生、よろしくお願いいたします。

 

○内田  過分のご紹介にあずかりました。内田でございます。

 一日の仕事が終わった後の、お疲れのところお集まり頂きまして、まことにありがとうございます。今、私が登壇する前に(公益財団法人東京都私学財団より外部検定試験料に関する)助成金の話がありましたけれども、実は今日もこちらに来る新幹線の車内で、「検証 迷走する英語入試」という、これは岩波のブックレットですが、これを読んでおりました。帯には、「緊急出版、混乱は必至」と書いてありますけれども、多分今の日本の教員の中で本当に最も困惑しているのは中高の英語の先生だろうと思います。本当にお気の毒だと思います。

 本当にどうしてこんなことになってしまったのか、僕にはよくわからないのです。みなさんにもよくわからないのではないかと思います。これから民間試験が入試に導入され、センター試験の英語がいずれなくなるという流れになっていますけれども、どうしてこんなことが現場の英語教員たちの意向を無視して行われていくのか。誰に訊いても、よくわからないと言う。いったい、誰にとって、どんな利益があって、こんな制度改革を行うのか。

 教育の目標は、子どもたちの市民的成熟を支援することに尽くされるわけですけれど、こんな制度改革で、子どもたちがどういう利益を得ることになるのか。子どもたちの知性的な成熟にこの改革がどう資するという見通しがあって、こんな改革を進めているのか、全くわからない。

 今回のことに限らず、日本の外国語教育は迷走し続けています。そもそも何のために外国語を学ぶのかという根本のところについての熟慮が不足しているからです。もちろんここにいる先生たちこそ、まずそれについて考えなければいけない立場ですけれども、日々の業務から、このような猫の眼のようにくるくる変わる制度改革にキャッチアップすることに手いっぱいで、「子どもたちはどうして外国語を学ばなければいけないのか」という最も根源的な問いを深めていく余裕がない、そんな状況ではないかと思います。

 

 英語の先生たちは、余りそういう話は聞きたくないかも知れませんけれど、自動機械翻訳が今すごい勢いで進化しています。文科省は、オーラル・コミュニケーションが必要だ、とにかく英語で話せなければダメだとさかんに言い立てていますけれど、そんな教育政策とは無関係に翻訳テクノロジーの方はどんどん進化している。

 去年の「中央公論」で自動機械翻訳の専門家と英語の専門家の対談がありました。今の機械翻訳はこれまでとシステムが違って、ただ用例を溜め込むだけでなく、「ディープ・ラーニング」ができるようになって、これまでとはまったく別物になったらしい。

 英語だと、今の自動機械翻訳が大体TOEIC600点ぐらいまでだけれども、数年のうちに800点になるそうです。対談の中で、自動機械翻訳の専門家が、だから、もう学校で英語を教える必要はなくなると言っていました。外交官とか通訳、翻訳とか、英語のニュアンスを精密に吟味する必要のある仕事では英語についての深い理解が必要だけれど、日常的なコミュニケーションについてはそんなものはもう要らない。だって、人間より機械の方が速く、正確になるから。英語の専門家は1%くらいいれば済む。後は機械に任せておけばいい、と。エンジニアらしい、いささか乱暴な議論でしたけれど、英語の先生たちはこの挑発的な発言に異論を立てる義務があると思います。小学生から英語を教える必要なんかないし、中学でも高校でも、特殊な職業をめざすもの以外には英語を教える必要がないと言い切ってるんですから。