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英語教育について(その6) ☆ あさもりのりひこ No.718

教育に市場原理を持ち込んだら、学生たちは「最少の学習努力」をめざし、学校経営者たちは「最少の教育コスト」をめざすようになる。それが当然なのです。でも、そんなものは教育ではない。

 

 

2019年5月31日の内田樹さんの論考「英語教育について」(その6)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 車を買うときだって、ふつうの人は何軒もディーラーを回って、だいたい車格が同じくらいの車を値踏みして、「おたくはいくら引くの?」と訊いて回りますよね。そして、一番値引き率の高いディーラーで買う。子どもたちだって、そういう親たちのふるまいを見て育っています。だから、一番安いところで買うためには、一日かけて何軒もディーラーを回るくらいの苦労はしても当然だということを学ぶ。だから、学校でも「最少の学習努力で教育商品を手に入れるために最大限の努力を惜しまない」という非合理な行動をするようになる。

 僕が教務部長をしている時に、単位をよこせとどなり込んできた学生がいました。事情を聴くと、レポートの期限に遅れたので、担当の教師が受理してくれなかった、それで単位を落としたというのです。期限に遅れたのは、提出期限が一日前倒しになったのを知らなかったからです。先生はうっかりして、入試があって学生入構禁止の日をレポートの提出期限として指定したしまったのです。大学の事務からそれを指摘されて、締め切り日を一日繰り上げて、学生たちには教室でそのことを告知したのですが、その学生はその日授業に出ていなかったのでそれを知らなかった。そして、大学構内に入れない日にレポートを持ってきて、ガードマンに追い返されてしまった。その学生と親たちが教務課の窓口に来て抗議しているわけです。「レポート提出期限の変更は授業を休んだ学生全員に周知徹底するのは大学の義務だ」と言う。「ちゃんと掲示板に告知してありました」と言ったのですが「中には掲示板を見ない学生だっている。教師は欠席した学生全員にひとりひとり電話をかけて知らせるべきだった」とごねる。ついに「弁護士を立てて大学を訴える」と言い出した。

 この一家のご努力にはほんとうに感動しました。どうして教務課で騒ぎ立てることについてはこれほど努力を惜しまないのに、授業に出ることや掲示板を見ることにはこれほど努力を惜しむか。担任の先生に出席簿を出してもらって調べたら、その学生は15週のうち6回しか出席しておりませんでした。それを知らせたら、さすがに親も引き下がりました。その学生は親には「ほとんど全部出席していた」と嘘をついていたのでした。

 この親子は消費者マインドで学校に来る人間の典型だと思います。「最低価格で商品を手に入れる」ためにはいかなる努力も惜しまない。それが倒錯的なふるまいだということが本人にはわからないのです。教務課相手に何日もかけてタフな交渉をするより、ふつうに授業に出ていた方がずいぶん楽だし、知識も身に着くので「一挙両得」ではないかと思うのですけれど、そういう計算が立たない。

 

 親や学生だけではありません。学校にもいます。市場原理で教育を語る人間が。「学校は店舗だ。われわれが売っているのは教育サービスだ。保護者と子どもたちはクライアントだ。消費者に選好される教育商品を売るのが教育活動なのだ。だから、市場のニーズを見きわめ、ターゲットを絞って、マネジメントをしなければいけない」というようなことを言う人間が。本人はビジネスマインドで教育を語って、わかった気になっているようですけれど、本当に頭が悪い。そんなことをしたら、学力はどんどん下がるに決まっているではないですか。

 だって、彼の言う「クライアント」が求めるのは「最低の学習努力で手に入る、価値のある教育商品」なわけですから、最終的には「勉強しなくても、学校に来なくても、試験を受けなくても、レポートを書かなくても、学習努力ゼロでも学位を差し上げます」というところを選ぶようになるに決まっている。

 最近よく「在学中に1年留学」ということを謳っている大学がありますね。大学は学生から授業料を徴収して、留学先の大学に研修費を払って、差額を手に入れる。教育活動ゼロでそれなりの授業料が入るわけですから笑いが止まらない。学生の25%が大学に来ないんですから教育コストは大幅に軽減できる。人件費も光熱費も25%節約できるし、トイレットペーパーも減らないし、校舎の床も階段も損耗しない。そのうち「だったら留学期間2年にしたらどうか」と言い出すやつがきっと出てきます。それなら教員を50%減らすことができる。「それならいっそ留学3年必須にしたらどうか」と誰かが言い出し、ついには「いやそれより4年間留学必須にしたどうか」と言い出すやつが出て来る。そうすれば大学は何も授業せず、集めた授業料を留学先の研修費に払った差額はまるごとポケットに入る。もう教職員を雇う必要もないし、キャンパスさえ要らない。教育活動を一切しないでも金が入ってくる。

 そうなんです。市場原理に従うなら、大学はできるだけ教育活動にコストをかけない方が儲かる。ですから、論理的には「大学がない」ときに利益率は最大化する。

 実際に21世紀はじめに林立した株式会社大学の中には、貸しビルに部屋を借りただけでキャンパスを持たず、専任教員を雇わずに職員に講義させ、ビデオを見せて授業に代えたりして、最少の教育コストで「大儲け」を狙ったところがありました。もちろん、すぐに潰れました。でも、経営者は「どうして市場原理に従って経営したのに失敗したのか」最後まで理解できなかったのではないかと思います。

 

 教育に市場原理を持ち込んだら、学生たちは「最少の学習努力」をめざし、学校経営者たちは「最少の教育コスト」をめざすようになる。それが当然なのです。でも、そんなものは教育ではない。そんな簡単なことさえわからない人間たちが、教育がどうあるべきかについて論じ、政策を決定して、現場にあれこれとお門違いな命令を下して、ひどい場合は大学を経営している。それが今の日本です。学校教育が劣化するのも当たり前です。