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天神祭 船渡御の夜 ☆ あさもりのりひこ No.739

霊的なものの臨在を感じると人々は、できるだけ俗なものをそれに対置させる。そうすることで、「人間が棲息できる程度には汚れているが、人間が敬虔な気分になる程度には浄化された、どっちつかずの空間」を創り出す。

 

 

2019年8月12日の内田樹さんの論考「天神祭 船渡御の夜」をご紹介する。

 どおぞ。

 

 

毎年夏になると、高島幸次先生が主催する天神祭の夜の船渡御にでかける。高島先生は大阪大学と大阪天満宮の文化研究所に籍を置く研究者で、ご専門は天神信仰である。仕立てる船は「天満宮文化研究所」の看板を掲げているので、ただ宴会をして花火を見ている船とはいささか趣が違って、微妙に学術的な船である。例年、乗船メンバーには学者と作家が多い(今年も60人の乗客のうち、芥川賞作家一人、直木賞作家三人、大学教員十数人というずいぶん偏った構成だった)。

 私がこの船に乗ることになったきっかけは天満宮の敷地にある繁昌亭の高座に上がったことである。繁昌亭ではときどき学者や研究者を「色物」として高座に上げて、高島先生と桂春團治師匠が「いじる」という不思議なイベントをしている。私も何年か前に、高座に上げられ、要領を得ない話を30分ほどした。それがなぜかお客に受けて、以後毎年出演することになった。そうやって天神さまとご縁ができた。

 お祭りというのは宗教行事であるから、土地の神さまにかかわりのある者が参加すべきであって、よそものが観光気分で懐手して出かけるのは「筋が違う」と思っていた。だから、これまでは自分が氏子である神社のお祭り以外にはほとんど行ったことがない。ところが、天神さまとご縁ができた。ご縁ができたら祭礼にはきちんとでかけないと信仰の「筋が通らない」。そういう点では割と頑固な男なのである。

 船に乗るようになって今年で6年目になる。この船の最大の魅力は、伝説のフレンチ「ミチ ノ・ル・トゥールビヨン」の道野正シェフがお弁当担当で乗り込んでいるということである。贅沢な話である。お酒も持ち込み自由で、飲み放題。

 今年は潮位のせいで出航が1時間近く遅れた。その間ずっとフレンチをアテにシャンペンやワインなどをぐいぐい飲んでいたので、船着き場を離れる頃には相当数がすでに「へべれけ」状態になっていた。そういう状態で行き合う船や岸の方たちと「大阪締め」をしたり、頭上から降り注ぐ花火に歓声を上げたり、文楽船や能船に見入るのである。酔客たちはMCのお伽衆をおしのけて、マイクを握り、それぞれ好き勝手な話をしている。ほとんどカオスである。

でも、これでいいのだと思う。「聖地はスラム化する」というのは大瀧詠一さんの洞察であるが、同じく「宗教儀礼は必ず宴会になる」という命題も成立するのではないかと私は思っている。

 霊的なものの臨在を感じると人々は、できるだけ俗なものをそれに対置させる。そうすることで、「人間が棲息できる程度には汚れているが、人間が敬虔な気分になる程度には浄化された、どっちつかずの空間」を創り出す。世界中の聖地はどこもそうである。それは釈徹宗先生との長きにわたる「聖地巡礼」の旅を経て、私たちが会得した経験知である。

 多くの宗教では、厳しい行の後に必ず「直会(なおらい)」というものを行う。それまで禁じられていた飲酒や肉食や放談がそこではむしろ推奨される。過剰に浄化された心身のままで日常生活に帰還すると思いがけないトラブルを引き起こすことが経験的に知られているからである。

 

 天神祭船渡御ではご神霊を載せた奉安船とまぢかに行き違う。そのときは人々もおしゃべりを止めて、きちんと拝礼をして柏手を打つ。これほどご神霊を近くに感じられる機会はふだんはない。だが、御霊の切迫によって一時的に霊的に緊張した場は再び宴会と哄笑によって緩められる。その緩急の揺らぎを味わいながら、改めて、船渡御もまた実によくできた宗教的な装置だなと思った。