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内田樹さんの「低移民率を誇る「トランピアンの極楽」日本の瀕死」 ☆ あさもりのりひこ No.750

最近、日本ではついに高齢者向けのおむつの販売数が幼児用おむつの販売数を超えた。これは人口崩壊の指標である。

 

 

2019年9月2日の内田樹さんの論考「低移民率を誇る「トランピアンの極楽」日本の瀕死」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

「ワシントンポスト」が 829 日に日本特派員からの衝撃的な記事を掲げた。原文はこちら。

https://www.washingtonpost.com/opinions/2019/08/29/japan-is-trumpian-paradise-low-immigration-rates-its-also-dying-country/

 移民流入を劇的に抑制するという極右の願望が実現した場合にアメリカがどんな国になるのか、その一端を知りたければ、日本に来て、私の義父に向いの家のことを尋ねたらよい。 

 この家の持ち主は、日本の南部の島にある北九州のこのさびれた労働者階級の住宅地で何年か前に死んだ。家は荒れ果て、朽ちるに任されている。相続した人たちの誰もこの家に関心を持っていない。税金は高いし、このような家についての市場の需要は事実上ゼロだからである。

 珍しい話ではない。日本の人口は減少しつつあり、その長期的な影響はこの国の生活の全域に広がっている。「Akiya」というのは義父の家の近くにあるような見捨てられた家のことであるが、それはこの人口減少がもたらす生活の変化の一つである。日本は高齢化しつつあり、老人たちが死んでもその住まいを受け継ぐものはいない。だから、隣人たちによって形成される地域社会はいま日本全土でゆっくりと消滅しつつある。

 日本ではいま800万戸が空き家になり、それは今も増え続けている。里山の集落は消滅しつつある。日本では都市でも郊外でもどこも子どもの姿をほとんど見ることがない。これは「死につつある共同体」である。大量の高齢者たちの介護のために必要な介護労働者を見出すための手立てさえ行政当局はほとんど持っていない。

 もちろん、日本はネイティヴの出生率よりもその死亡率が高い唯一の高齢化国ではない。しかし、他の先進国では、高齢者が手離した家屋は、家族のためにより豊かな未来を求めて開発途上国からやってきた若い労働者たちによってすぐに埋められる。日本ではそうではない。

 日本の総理大臣安倍晋三はよく知られている通りにトランプ的世界観の熱心な生徒である。それは韓国との政治的闘争において貿易を恫喝の道具に用いたことからも知られる。

 大量の移民受け入れを拒絶することについても、われわれが記憶している限り、トランプと安倍は緊密な合意を形成していた。その結果、日本は地上で最も均質的な国の一つとなった。だから、日本を「ほとんど外国人を含まない、民族的境界の明確な国民共同体」というトランピアンの極楽とみなすことは間違っていない。ただし、このような国民共同体には未来がない。

 最近、日本ではついに高齢者向けのおむつの販売数が幼児用おむつの販売数を超えた。これは人口崩壊の指標である。一時代前にはアメリカ人を恐怖させたあの経済大国に凋落の翳りが見えているのである。新たな労働者が長期にわたって不足しているせいで、日本の経済成長は一世代にわたって停滞を続けている。いま「日本化」という言葉は「人手不足のせいで経済的衰退に向かうこと」という意味に変わった。

 こういったことすべてに、1950年代からまったく進歩のないジェンダーロールの固定化が加わって、日本は女性たちが子供を産む上で最も魅力のない場所になった。低出生率は人口学的な死のスパイラルをひたすら加速する。

 問題がさすがにここまで深刻になると、安倍晋三首相の保守政権といえども移民についてのスタンスを変えざるを得なくなった。ひさしく人手不足に苦しんできた財界からの強い圧力の下に、政府は外国人労働者の受け入れのために新しい道筋を開いた。しかし、移民をめぐる政治的思考の分裂はこの部分的な開放によってむしろますます明らかになった。

 政府は外国人労働者にこれまでより多くの就労許可を出すことにしたが、彼らを社会統合するためにはほとんど何の努力もしていない。ヴィザについての諸規則は外国人労働者たちに頻繁な更新を強いながら、家族を呼び寄せることを禁じている。報告されている限りでは、外国人に入居を断る家屋は多いが、これは違法とはされていない。「来い、働け、だが、この国で歓待されているとは思うなよ」というのが日本政府の発信しているメッセージである。このメッセージの意味を読み違える人はいないだろう。

 経済的な要求と文化的な合意形成のどちらを優先するかが日本における移民政策論争の対立点である。移民受け入れなしでやっていけると主張することはもはや不可能である。しかし、彼らを受け入れることも政治的にはひとしく不可能なのだ。その結果、製造業や農業のみならず、この高齢化国が絶望的に求めている高齢者介護職に至るまで、仕事はあるけれども、働く人がいないという状況が進行している。

 その間も、義父の家の向いにある空き家の土地には竹が傍若無人に根を張り出した。空き家の増加と、需要のなさのせいで、このタイプの家屋の市場価格はしだいに各地でゼロに近づきつつある。そのせいで「日本は空き家を無料で提供している」というような噂がネット・メディアで世界に広まるに至っている。

 この話には半分の真実しか含まれていない。というのは、そういう放棄家屋でも修復し、居住可能な状態に維持するためにはしばしば数千ドルの出費を必要とするし、固定資産税はきちんと課されるからだ。しかし、だったら空き家にも多少の価値はあるのかと思ったら、それは誤解である。これは「奇妙な国」日本にまつわる笑い話ではない。これは人口学的なメルトダウンに赤信号が点灯したということであり、進歩よりも均質性を選んだ社会に下された刑の宣告なのである。

 最後に付け加えるが、トランプ大統領も選択があるという点については間違っていない。アメリカの前にはたしかに選択肢が示されている。日本は均質性を選ぶか多様性を選ぶかという選択があり得るということの生きた証拠である。そして、日本が示したのは、均質性は滅びへの道であるということであった。多様性について言えば、それが現在のアメリカが享受している活力と繁栄の機会を提供してきたことだけはわかっている。

 

 果たしてアメリカ人はどちらを選ぶことになるのだろうか?