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内田樹さんの「合従論再考」 ☆ あさもりのりひこ No.762

とりわけ市民の政治的成熟度においては日韓にはすでに乗り越えがたい差がある。一方では市民たちが民主化闘争を経て軍事独裁を廃し、民主制を確立した。他方ではアメリカに与えられた天賦の民主主義が独裁制に移行するプロセスを市民たちはぼんやり口を開けて見つめている。

 

 

2019年10月10日の内田樹さんの論考「合従論再考」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

AERAに先々週「合従」論を書いた。字数が制限されていたので、少し加筆したものをここに掲げる。 

 

前から「東アジア共同体」を提唱している。日韓連携を中核として、台湾、香港を結ぶ「合従」を以て、米中二大国の「連衡」戦略に対応するというアイディアである。

 荒唐無稽な話だが、最大の利点はこのエリアに居住している人々のほぼ全員が「合従連衡」という言葉を知っているということである。

 戦国時代に燕・趙・韓・魏・斉・楚の六国同盟によって大国秦に対抗することを説いた蘇秦の説が「合従」。六国を分断して、個別に秦との軍事同盟を結ばせようとしたのが張儀の説いた「連衡」である。

 歴史が教えてくれる結末は、より「現実的」と思えた連衡策を取った国々はすべて秦に滅ぼされたという事実である。

 東アジアでは、中学生でもこの話を知っている。

 だから、「米中二大国のいずれかと同盟する」という選択肢の他に「同じ難問に直面している中小国同士で同盟する」という選択肢が存在することを東アジアの人々は誰でも知っている。

「ほら、あれですよ、『合従』」と言えば話が通じる。

 国際関係論上の新説を頭から説明しなくて済む。そして、「いや、『連衡』の方が現実的だ」と言い立てる人には、「連衡」を採用した国々の末路を思い出してもらう。その舌鋒をいささか緩和するくらいの効果はあるだろう。

 

 日韓に台湾・香港を足すと、人口2億1000万人、GDP7兆2500億ドルの巨大な経済圏が出来上がる。これはEUの人口5億1000万人、GDP12兆8000億ドルには及ばないが、

人口14億、GDP12兆2000億ドルの中国に隣接する共同体としては十分なサイズだと言えるだろう。

 何よりこの四政体は民主主義という同一の統治理念を共有している。

 それはこの四政体の社会がいずれも直系家族制だからである。

 直系家族制というのは、子のうち1人だけが親の家にとどまり,家産や職業を継承する仕組みのことである。しばしば祖父母から孫夫婦にいたる3世代が生活共同体を形成する。直系家族はフランス、ドイツ、アイルランド、南イタリア、スペイン、日本、韓国、タイ、フィリピンなどに見られる。

 エマニュエル・トッドは世界を七つの家族形態によって分類した上で、そうやって描かれる世界地図において、境界線は人種にも、言語にも、宗教にもかかわりがないことを明らかにしている。

「明白で検証可能な唯一の一致は家族とイデオロギーのそれであるが、家族とイデオロギーというのはひとつの価値システムの二つの異なる表現レベルにそれぞれ相当するのである。」(『世界の多様性 家族構造と近代性』、荻野文隆訳、藤原書店、2008年、75頁)

 家族形態が同型的であれば、めざす社会のあり方についてのイメージも同型的なものになる。

「このメカニズムは自動的にはたらき、論理以前のところで機能する」(同書、50頁)

 もう一度言うが、日本、韓国、台湾、香港はいずれも直系家族制の社会である。

 中国は違う。中国は外婚制共同体家族制である。家産は兄弟に平等に分配され、結婚した後も親と子どもたちは同居する。兄弟の子ども同士は結婚できない。この家族制を持つ国は、中国、ロシア、ユーゴスラヴィア、ブルガリア、ハンガリー、アルバニア、ベトナム、キューバなどである。20世紀に生まれたすべての共産主義国家はこの家族制の国である

 それゆえ、トッドは「共産主義とは何か?」という問いにこう答えたのである。

「共産主義、それは外婚制共同体家族の道徳的性格と調整メカニズムの国家への移譲である」(同書、78頁) 

 中国が共同体家族制に移行したのは、秦の時代からである。

 秦は共同体家族制であり、東方六国は直系家族制であった。つまり、「合従連衡」は単なる政治単位のマキャベリズム的な数合わせゲームではなかったのである。無意識のうちに、それぞれの国民は自分たちの家族制に固有の「道徳的性格と調整メカニズム」を国家像に投影していたのである。

 

 という話を聴くと、21世紀の「合従」論があながち荒誕な夢物語ではないことがわかってくるはずである。

 ではなぜ嫌韓言説がこれほどまでにヒステリックに語られるのか?

 それは日韓の間には「同族間の競争」マインドが伏流しているからである。私はそう考える。

 直系家族では、誰かひとりが「家督」を継がなければならない。だから、「集団の『盟主』は誰か?」という問いがつねに兄弟たちの間の関心事になる。

 台湾と香港は、いずれも中国によっては「中国の一部」と見なされている。となると、新しい共同体の中心の座を占めるのは日本か韓国より他にない。

 果たして、誰が東アジア共同体の盟主となって、新しい「合従」を率いるのか?

 この問いに日本人は「私たちだ」と言い切れるだけの自信をもう持っていない。

 経済的成功の指標である一人当たりGDPで日本はいま世界26位、韓国は31位である。日本はランキングを転落中で、韓国は上昇中であるから、順位の交替は時間の問題である。経済だけでなく、学術的発信力や教育レベルでも韓国の後塵を拝することをそれぞれのセクターの人々はもう気づいている。とりわけ市民の政治的成熟度においては日韓にはすでに乗り越えがたい差がある。一方では市民たちが民主化闘争を経て軍事独裁を廃し、民主制を確立した。他方ではアメリカに与えられた天賦の民主主義が独裁制に移行するプロセスを市民たちはぼんやり口を開けて見つめている。

 東アジア共同体構想が頓挫して進まない最大の理由はおそらくそこにある。

 

 日本人は「日韓連携を基軸とした四政治単位の合従」という選択肢が十分検討に値する解であることを知りつつ、それを選ぶことを忌避している。それは韓国をリーダーとして頂くような同盟を組むくらいなら、中国であれ米国であれ、強国と「連携」して滅ぼされる方が「まだまし」だと思っているからなのである。