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内田樹さんの「沈黙する知性(後編)」 ☆ あさもりのりひこ No.785

知性とはかたちあるものではない。かたちをあらしめるもののことだ。形成された「もの」ではなく、形成する「力」である。

 

 

2019年11月1日の内田樹さんの論考「沈黙する知性(後編)」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 ニーチェの「貴族」は「おのれをおのれの力で根拠づけることのできる人間」という仮説である。「貴族」は「外界を必要とせず」、「行動を起こすために外的刺激を必要としない」。「貴族」は無思慮に、直截に、自然発生的に、彼自身の「真の内部」からこみあげる衝動に身を任せて行動する。

「騎士的・貴族的な価値判断の前提をなすものは、力強い肉体、若々しい、豊かな、泡立ち溢れるばかりの健康、並びにそれを保持するために必要な種々の条件、すなわち戦争・冒険・狩猟・舞踏・闘技、そのほか一般に強い自由な快活な活動をふくむすべてのものである。(・・・)すべての貴族道徳は勝ち誇った自己肯定から生ずる。」(ニーチェ、『道徳の系譜』、ニーチェ全集、第10巻、信夫正三訳、31頁)

 ニーチェが具体的にその実例として名を挙げたのは、「ローマの、アラビアの、ゲルマンの、日本の貴族、ホメーロスの英雄、スカンジナビアの海賊」たちである。彼らの共通性は「通ってきたすべての足跡に『蛮人』の概念を遺した」(同書、42頁)ことであった。この「蛮人」たちは「危険に向かって」「敵に向かって」「無分別に突進」し、「憤怒・愛・畏敬・感謝・復讐の熱狂的な激発」によって、おのれの同類を認知したのである。

 ニーチェ的「貴族」は間違いなくすぐれて「反知性主義」的な生き物である。

 だが、ニーチェがその修辞的力量を駆使して描いた「貴族」礼賛の言葉がその数十年後にナチスの「ゲルマン民族」礼賛プロパガンダにほとんどそのまま引用されたことを私たちは知っている。たしかに彼らは主観的には愉快な「蛮人」たちであったかも知れないが、彼らに「猿」とか「畜群」とラベルを貼られて、排除され、監禁され、殺されたものたちにとっては非道な屠殺者以外のものではなかった。

 三島はニーチェの轍を踏む気はなかった。だから、「高貴な蛮人」の「高貴」性を担保するものとして、単なる「血統についての自己申告」以上のものを求めた。そして、「天皇」という概念に出会った。

 三島の反知性主義の独創性は「天皇」を理性と非理性の交点に置いた工夫に存する。このようなアイディアは「知性の極致」を経由したのちにあえて反知性を引き受ける覚悟なしには語り得ないものである。

 三島がめざしたのは「天皇」という政治的概念の恣意的な改鋳ではないし、むろんその一意的定義などではなかった。そうではなくて、三島はこの文字列を目にし、耳にすると、人々が「それまで一度も口にしなかった言葉」を発するようになるという遂行的なはたらきに着目したのである。だから、三島はこの討論のときに、その後ひろく人口に膾炙することになった、驚愕すべき発言をなした。

「これはまじめに言うんだけれども、たとえば安田講堂で全学連の諸君がたてこもった時に、天皇という言葉を一言彼等が言えば、私は喜んで一緒にとじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う。」(同書、64頁)

 東大全共闘の政治的語彙の中に「天皇」という語は含まれていなかった。それはこの討論のあった1年後に同じキャンパスの空気を吸ったものとして知っている。だが、この日の三島と全共闘の討論はひたすら天皇をめぐって展開した。だから、討論を終えて最後の一言を求められて三島は満足げにこう言ったのである。

「今、天皇ということを口にしただけで共闘すると言った。これは言霊(ことだま)というものの働きだと思うのですね。それでなければ、天皇ということを口にすることも穢(けが)らわしかったような人が、この二時間半のシンポジウムの間に、あれだけ大勢の人間がたとえ悪口にしろ、天皇なんて口から言ったはずがない。言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋を飛び廻ったんです。この言葉がどっかにどんなふうに残るか知りませんが、私がその言葉を、言霊をとにかくここに残して私は去っていきます。」(同書、119頁)

 三島は過激派学生たちに「天皇」について合意形成することを求めたのではない。「一言言えば」よいと言ったのである。これは言葉に対する構えとして、非常に大切なことだと私は思う。「一言」言えば、「言葉は言葉を呼んで、翼をもって飛び廻る」からである。

 三島は東大の学生たちに向かって、「天皇」の定義を共有することを求めたわけではないし、それに基いて政治綱領を取りまとめたり、政治組織を立ち上げることを目指したわけではさらにない。「天皇」という言葉のもたらす運動性、開放性、豊穣性に点火することを三島は何よりも重く見たのである。その言葉がトリガーになって、人々の口から「これまで一度も口にしたことのない言葉」が次々と噴き出てくるのであれば、自分はその場を共にしたいと言ったのである。新しい思念、新しい感情が生成する場を共にしたいと言ったのである

 もし知識や思想そのものよりも、それを生気づける「力」を重く見る態度のことを三島が「反知性主義」と呼んでいるのだとしたら、私はそのような反知性主義に同意の一票を投じたいと思う。私自身「反知性主義者」を名乗ってもよい。

 名称はどうでもよい。

 知性とはかたちあるものではない。かたちをあらしめるもののことだ。形成された「もの」ではなく、形成する「力」である。

 もし現代日本が多くの人にとって「知性が沈黙している時代」であるかのように感じられるのだとしたら、それは知識や情報が足りないからではない。言葉そのものはうんざりするほど大量に行き交っている。しかし、それを生気づける「力」がない。立場を異にする人々、思いを異にする人々が、にもかかわらず「一緒にいる」ことのできる場を立ち上げることが「言葉の力」だという三島の洞察が理解されていない。

 

 この序文を書いている時、「表現の自由」ということが繰り返しメディアの論点に取り上げられた。さまざまな意見が述べられたけれど、「表現の自由とはさらなる表現の豊かさ、多様性、開放性を目指す遂行的な働きのことである」という知見を語った人は私の知る限りいなかった。

 けれども、「表現の自由」というのは、静止的、固定的な原則ではあるまい。表現の自由はつねにさらなる表現の自由を志向するものでなければならない。表現の可能性を押し広げ、多種多様な作品を生み出す生成力によって生気づけられているからこそ「表現の自由」は尊重されなければならないのである。それは死文化したルールではなく、今ここで生き生きと活動しているプロセスの名なのである。

 ヘイトスピーチをする人たちもまた「表現の自由」を口にする。

 彼らが自分の思いを語ること止める権利は私にはない。だが、彼らが「表現の自由」の名において語る権利は認めない。その看板だけは外して欲しい。「人間には邪悪になる権利、愚鈍になる権利がある」という看板を掲げてそうするのなら構わない。だが、他の人に向かって「ここから出て行け」とか「お前は黙れ」という言葉を「表現の自由」の名の下で口にすることは許されない。それは「さらなる表現の自由」を志向していないからである。一人でも多くの人に「一緒にいる」場を立ち上げることを目指していないからである。

 

 長く書き過ぎたので、もう終わりにする。

 この対談を読む方、特に若い方に気づいて欲しいのは、平川君と私がほぼシステマティックに相手の言明に「まず同意する」というところから自説を語り始めている点である(時々「う〜ん、そうかな・・・」という懐疑を口にすることもあるが、それはかなり例外的なケースである)。

 そうするのは「まず異議を唱える」よりも「まず同意する」ところから話を始めた方が、たいていの場合、話が面白くなるからである。

 まず同意する。自分ではそんなこと考えたことがなかった話でも、まず同意する。そうすると「同意してしまった以上、その根拠を示さないと」ということになる。そうして自分の記憶のアーカイブの中をスキャンすると、そこに「ひっかかるもの」がみつかる。それが果たして「同意したことの根拠」になるかどうかはわからないけれど、私が「同意した」せいで記憶の奥底から浮かび上がってきたものであることは間違いない。だから、とりあえずそれを平川君相手にぼそぼそと話し始める。

 すると、たしかに自分の中に淵源を持つのだが、「おお、俺はこんなことを考えていたのか・・・」と自分でもはじめて知る「自分の考え」が口を衝いて出てくるのである。

 私はそのようにして、平川君との対話を通じて「自分の中から湧き出してきたのだが、自分でもはじめて聴く言葉」と繰り返し出会ってきた。そうやって私のアイディアの「レパートリー」を豊かなものにしてくれたことについて、平川君に心から感謝したい。

 若い人たち、これから「対話の作法」を身につけることになる人たちには、とりあえずそれだけ言っておきたいと思う。

 まず同意する

 よろしいだろうか。私のこの忠告の当否について思量するときも、「まず同意する」ところから始めて欲しいと思う。そして、「そういえばこんな話を思い出した」と続けて頂きたい。

 That reminds me of a story

 知性はこの言葉とともに起動する。

 グレゴリー・ベイトソンが『精神と自然』にそう書いている。半世紀ほど前、この言葉を読んだ時の心の震えを今も覚えている。というのは、そのフレーズを読んだとたんに「そういえば・・・」という話が堰を切ったように私の中に湧き上がってきたからである。

 だから、できるだけ多くの読者が本書を読んで「こんな話」を思い出すことを祈念したいと思う。

 最後になったけれど、つねにかわらぬ忍耐を以て編集の労をとってくださった夜間飛行の井之上達矢君の忍耐と寛容に心から感謝したい。

 相方の平川君には「なんでもいいから長生きしてね」以外の言葉はない。

 

2019年9

 

内田樹