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内田樹さんの「えらてんさんとの対談本の「まえがき」」 ☆ あさもりのりひこ No.786

ほんとうに新しいものは「新しいけど、懐かしい」という印象をもたらします。

 

 

2019年12月1日の内田樹さんの論考「えらてんさんとの対談本の「まえがき」」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

もうすぐ晶文社からえらてんさんとの対談本(司会は中田考先生という濃い布陣)が出ます。その「まえがき」を書きました。予告編としてお読みください。

 

 みなさん、こんにちは、内田樹です。

 今回は矢内東紀(akaえらてん)さんとの対談本です。司会は中田考先生にお願いいたしました。これがどういう趣旨の本であるかについて、最初にご説明したいと思います。ちょっと遠回りしますけれど、ご容赦ください。

 

 だいぶ前のことですが、大瀧詠一さんがラジオの『新春放談』で山下達郎さんを相手に、「ほんとうに新しいものはいつも『思いがけないところ』から出て来る」と語ったことがありました。ポップミュージックについての話でしたけれども、僕はあらゆる領域にこの言明は当てはまると思いました。「ほんとうに新しいもの」はつねに「そんなところから新しいものが出て来るとは誰も予想していなかったところ」から登場してくる。

 音楽だけではなく、美術でも、文学でも、映画でも、学術でも、事情は同じです。いつだって「え、こんなところから!」と驚くようなところから新しいものは生まれて来る。

 もう一つ、これも僕の念頭を去らない言葉ですが、村上春樹さんがインタビューに答えて言った言葉です。「時代によって知性の総量は変わらない」。これもその通りだと思いました。賢者が多い時代とか、愚者ばかりの時代というようなものはありません。どんな時代だって、賢愚の比率は変わらない。変わるのは賢愚の分布だけです。

 ある時期、才能のある人たちが「ダマ」になって集まっていた領域に、なにかを境にして、才能のある人がぱたりと来なくなるということはよくあります。これまでにそういう場面を何度も目撃しました。テレビや広告業界や週刊誌は、ある時期きらめくような才能が集まっていましたが、ある時からそうではなくなった。でも、それをもって「才能のある人間が日本からいなくなった」と推論するのは間違っています。才能のある人はどこかよその、もっとスリリングな領域に立去ってしまったのです。

 そういう現象がいま日本社会のさまざまな分野で同時的に観察されています。

 少し前まで、才能のある人、創造的な人、破天荒な人がひしめいていた業界が、定型的な文句を繰り返し、前例主義にしがみつき、イノベーティヴな企画を怖がる人たちばかりで埋め尽くされるようになった。そういうケースを皆さんもいくつもご存じだと思います。

 でも、別にそれをそんなに悲観することはないんじゃないかと僕は思っています。

 才能のある人も、知的に卓越した人も、想像力に溢れる人も、人口当たりの頭数にはそれほど経年変化はありません。だから、もし、「これまでそういう人がいた場所」にそういう人が見当たらないのなら、それは「それ以外のどこか」にいるということです。

「それ以外のどこか」がどこなのか?

 それは僕にもまだよくわかりません。それでも、なんとなく「あの辺かな?」という予測はありますけれど。

 例えば、「美味しい食べものを作る仕事」、「長く師について伝統的な技芸を習得しないとできない仕事」、「身体と心の傷を癒す仕事」、「書物を商品ではなく、『人間にとってなくてはならぬもの』として扱う仕事」、「品位、親切、礼儀正しさといったことが死活的に重要な仕事」といった領域には、才能あふれる若い人たち(あまり若くない人たちも)が集まっています。

 いま僕がおこなったこの列挙の仕方のカテゴリー・ミステイク的無秩序ぶりからも、「あの辺」とは「どの辺」なのか、一意的に条件を定めるのがむずかしいということはお分かり頂けると思います。

 それでも、とにかく才能ある若い人たちが、「ある種の領域」に惹きつけられて、かたまりを作りつつある・・・という直感を僕と共有してくれる読者は決して少なくないと思います。

 そのいくつかの「かたまり」が出会って化学変化を起こしたときに、「ほんとうに新しいこと」が始まる。僕はそう思っています。そして、それを見たとき、僕たちは「なんだ、そうだったのか。ああ、思いつかなかったけれど、そうか、その手があったのか」と笑いながら膝を打つ。そういうもんなんです。

 ほんとうに新しいものは「新しいけど、懐かしい」という印象をもたらします。

 ただ「新しい」だけでは時代を刷新するような力を持ちません。「新しく」てかつ「懐かしい」という二つの条件を同時にクリアーしないと時代を変えることはできない。

 1956年にエルヴィス・プレスリーはカントリー、R&B、ポップスの3チャートで1位になるという驚くべき記録を作りました。人種や性別を超えて、宗教や生活文化の差を超えて、多くのアメリカ人がこれは「自分のための音楽」だと感じた。自分の身体の深層にエルヴィスの歌声にはげしく共鳴するものを感じた。それが「新しくて、懐かしい」という経験の一例です。

 それと同じようなことがいずれ日本でも起こると僕は感じています。何か「新しいけれど、懐かしいもの」が思いがけないところから登場してくる。それを見て、僕たちは、日本人がまったく創造性を失ったわけではないし、才能が枯渇したわけでもないと知って、ほっとする。

 きっとそういうことがこれから起きる。もうすぐ起きる。それが「どこ」から始まるのかは予想できないけれど、もうすぐ起きる。そういう予感が僕にはします。

 

 えらてんさんとの出会いは僕にとってそのような徴候の一つでした。

 えらてんさんがどういう人なのか、僕はこの対談でお会いするまでよく知りませんでした。中田考先生経由でお名前を知って、ツイッターをフォローしたり、YouTubeの動画見たりはしていましたが、どういう経歴で、どういう仕事をしていて、どういう考え方をしている人なのか、詳しいことは知りませんでした。

 ですから、この対談は、彼がどういう家庭で生まれて、育ったのかという『デヴィッド・コパフィールド』的な語りから始まっています。そして、元東大全共闘だった両親の下で、共産制のコミューンで育ったという驚嘆すべきライフ・ヒストリーをうかがい、朝起きられないので定職に就かず、「しょぼい起業」をしたり、ユーチューバーとして収入を得ているという話を聴いて、「ほんとうに新しい世代」の人なのだと思い知りました。

 一番驚いたのは、彼は僕たちの世代が口角泡を飛ばしてその理非を論じ、身銭を切って学習したり、あるいは批判してきた知見を(マルクス主義やポストモダニズムやフェミニズムや新自由主義を)、「生まれたときからそこにあったもの」としてやすやすと、手になじんだ道具のように扱うことができる、そういう世代の人だということでした。

 ピエール・ブルデューは『ディスタンクシオン』で、「後天的に努力して文化資本を学習しなければならない階層」と「生まれつき文化資本を身につけた階層」の乗り越えがたい差異のうちに階層再生産の力学が働いていることを明らかにしました。

「飲んだことのあるワイン」について、セパージュがどうたら、テロワールがどうたら、マリアージュがどうたらとあれこれ蘊蓄を傾けられるのが「後天的文化貴族」。一方で、ワインの銘柄も産地も価格も知らないけれど、それを口にしたとき鼻腔に広がった香りや、グラスの舌触りや、かかっていた音楽や、窓から見えた風景をありありと思い出して、その愉悦について語ることができるのが「先天的文化貴族」です。文化資本をどこかから集めて来た「情報」として所有しているのか、固有名での「経験」として所有しているのか、その違いと言ってもいい。

 えらてんさんは僕たちの時代の歴史的経験を、一般的な情報としてではなく、「固有名での経験」として生きている。そういう印象を受けました。説明のしかたが下手ですみません。でも、そういう印象を受けたんです。

 例えば、60年代末の「全共闘運動」がどのような思想や心情にドライブされていたものかということを、彼は史料を経由してではなく、親子関係を通じて身にしみて知っていた。そういう人と出会ったのは、僕ははじめてでした。

 僕らの世代にとって、全共闘運動は非日常的な高揚感やあるいは救いのない失意を含んだ一個の「物語」でした。だから、僕たちはそれを語るときについ「遠い目」をしてしまう。でも、えらてんさんにとって、それは「物語」でもなんでもなく、ほとんど凡庸な「日常的現実」だった。

 そういう人に僕ははじめて会いました。そして、そういう経験をした人の目から、世の中はどう見えるのだろうかということにつよく興味を惹かれました。

 ですから、この対談でも、彼の話を聴いているとき、僕はだいたい口を半開きにして「はあ~」と呆然としておりました。

 でも、読むと分かりますけれど、この対談の中では、僕の方が彼よりたくさんしゃべっています。ただし、それは僕の方に彼に「教えたいこと」があったからということではありません。そうではなくて、僕の方に「生きているうちに伝えておきたいこと」があったからです。先生が生徒に向かって教壇から教えているというのではなく、息も絶え絶えになった古老が、若者の手を取って、「これは先祖から伝えられた教えじゃ。わしはもうあといくばくもない。だから、ここでお前に伝えておくよ」というような感じです。えらてんさんは僕のそういう「感じ」をきちんと受け止めてくれたと思います。

 彼が僕の「口伝」をこれからどういうふうに生かすのか、しまい込むのか、捨てちゃうのか、それは彼が決めることです。僕としては彼もいずれまた一族の古老として死期を迎えて、若者の手をとって「これは先祖から・・・」をやるときが来た時に、そこに僕からの「口伝」の断片がいくつか含まれていたら、それだけで十分に満足です。

 

 最後になりましたが、大きな世代の隔絶をはさんだこの対談を企画し、対話をたくみに導いてくださった中田考先生と、つねに変わらぬ忍耐と雅量で仕事を進めてくださった晶文社の安藤聡さんに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。とても面白い本ができました。

 

2019年12月 内田樹