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内田樹さんの「国語教育について」(その3) ☆ あさもりのりひこ No.797 

いきなりアイディアが浮かぶ。どうしてその結論に自分は立ち至ったのか、何を見て、私はそう思ったのか、・・・というふうに時間を遡って、自分が着目した断片的事実を列挙してゆく。

 

 

2020年1月6日の内田樹さんの論考「国語教育について」(その3)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

 カール・マルクスもそうです。マルクスは『共産党宣言』で歴史上の四つの社会的対立の事例を取り上げて、歴史の動力は階級闘争であるという結論に一気に持ってゆく。四つの個別的な事例から「すべての・・・は・・・である」という全称言明を導くのは帰納的推理の仕方としてもいささか乱暴に過ぎるんですけれど、手順としては「これらすべてを説明できる一般的な法則はこれしかない」というかたちで「跳ぶ」わけです。

 マックス・ウェーバーもそうです。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の冒頭で、ウェーバーは「これから資本主義の精神とプロテスタンティズムの倫理の関連について話そうと思うが、『資本主義の精神』というのは単なる仮説にすぎない」と断定します。「資本主義の精神」というのは自分の脳内に浮かんだ一つのアイディアに過ぎない。これまで誰もそんなものがあると言ったことがない。でも、自分はそれを思いついてしまった。何だか知らないけれども、「資本主義の精神」というものがあるのではないかという気がしてきた。もし、そのようなものがあるのだとしたら、それがどのようなかたちを取って現れてくるのか、その具体的な事例をいくつか例示してゆこうと思う、と。そういうふうに話を始めるわけですね。

 これは名探偵の推理の仕方の本質を、いわば裏側から明らかにしているんだと思います。結論がいま頭の中にぽっと浮かんだ。どういう根拠でそういうアイディアが浮かんだのか、まだ自分にはわからない、というところから話を始める。推理が逆転しているのです。どうして自分はこんな結論を思いついたのか、何を見てそう直感したのか、それを逆方向に遡行してゆく。それが『資本主義の精神』におけるウェーバーの手法なのですけれど、これはたしかに名探偵の推理の本質なんです。

 さきほど名探偵は「散乱している断片をすべて説明できるストーリーを見つける」というふうに言いましたけれど、ほんとうは違うんです。名探偵はなぜか最初に「犯人はあいつだ」ということがわかってしまうんです。わかった後に「どうして私はあいつが犯人だとわかったのか」という問いを遡行していって、自分が直感した根拠となった「断片」を列挙してゆくのです。

 これは卓越した知性についてはだいたいそうなんです。たしかに論文を書くときには、いくつかの実証された事実を前にして、それらをすべて説明できる仮説を立てる、という順序で進むんですけれど、実際に脳内に起きているのは「結論が先」なんです。いきなりアイディアが浮かぶ。どうしてその結論に自分は立ち至ったのか、何を見て、私はそう思ったのか、・・・というふうに時間を遡って、自分が着目した断片的事実を列挙してゆく。

「資本主義の精神」というアイディアがふとウェーバーの頭に浮かぶ。きっとそういうものがあるに違いないという気がする。でも、どうして「そんなこと」を思いついたのだろう。おそらく、何かを見て、そう思ったのだ。さて、私は何を見たのか。これがウェーバーの推理の順序です。

 

 シャーロック・ホームズにはモデルがいるということをご存じでしたか。コナン・ドイルがエジンバラ大学の医学部の学生だった頃の先生でジョセフ・ベルという人がいました。その人がホームズのモデルです。

 ベル先生は初診の患者が診察室に入ってきて、椅子に座るまでの数秒間の観察だけで、その人がどこの出身で、職業が何で、家族構成がどうで、どういう既往症を患っていて、今回どういう病気で診察に来たのかをずばりと言い当てたそうです。コナン・ドイルたち医学生は後ろでベル先生の超人的な診断を聴いて肝をつぶしたそうです。

 ホームズがワトソン博士とはじめて会ったときに、アフガニスタンから負傷して戻ってきた軍医だということをずばりと言い当てる『緋色の研究』の冒頭シーンはベル先生の診断を下敷きにした逸話です。

 ベル先生の場合は「どういうわけか」わかってしまう。医学生たちが「どうしてわかるんですか?」と質問したらあるいは何を観察してそう判断したのか、二三の断片を示して教えてくれたかも知れませんけれど、実際には数秒間のうちに患者が発信している膨大な量の断片的情報をスキャンして、そういう結論に達していた。結論はわかった。でも、自分がどうしてそういう結論に達したのか、自分は何を「見た」のか、それは時間をかけないと言えない。