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内田樹さんの「『人口減社会の未来学』から」(その1) ☆ あさもりのりひこ No.845

地球環境が持続可能な状態にまで人口が減少するのは自然なことですし、合理的なことです。人口減それ自体があたかも「忌まわしいもの」でもあるかのように語るのはまったく当を失しています。

 

 

2020年3月18日の内田樹さんの論考「『人口減社会の未来学』から」(その1)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ちょうど2年前に『人口減社会の未来学』という編著書を出した(文藝春秋、2018年)。寄稿者は常連の平川克美、小田嶋隆のほかに、池田清彦、平田オリザ、ブレイディみかこ、姜尚中、藻谷浩介ら錚々たる論客。私が序論を書いた。

 この文中の「人口減」を「コロナウィルス禍」と書き換えても、ほとんどそのまま使えるということに気がついた。そのつもりで読んで頂きたい。

 

 人口減社会の未来を予測する書物は、本書を含めて、これからいくつも出版されると思います。このような国民的な問題については、できるだけ多くの書き手によって、できるだけ多くの知見が示されるべきだと思います。未来はつねに霧の中です。霧の先にどういう風景が広がっているかについては、確定的なことを言える人は一人もいません。ですから、論者の数だけ未来像が語られることになる。この場合、予測される未来像が違えば違うほど、僕たちが書き出さねばならない「心の準備」のリストは長大なものになります。

 ところが、僕たち日本人はこの起こるかも知れないことについて「心の準備をする」ということがどうも大変に苦手らしいのです。上の依頼文の中で、人口減社会の未来予測は「世界各地で同時多発的に、いくつもの領域で始まりつつある」と僕は書きました。たしかに海外では数年前から「脱成長論」や「定常経済論」が重要な論件になってきています。でも、日本社会にはそれが喫緊の論件だという切迫感がまだありません。それが不思議です。なぜなら、日本は世界で最初に超少子化・超高齢化のフェーズに突入する国だからです。かつて世界のどんな国も経験したことのない、歴史上前例のない局面に踏み込む。にもかかわらず、「その時何が起きるのか?」についての予測がなされていない。僕のような経済学とも人口学とも制度論ともまったく無縁の人間が「こんな本」の企画の編者に呼ばれるのは、率直に言えば、専門家がこの議論を忌避しているからです。「人口減社会の予測や対策は専門家にお任せください。素人さんが出しゃばることないです」と専門家が言ってくれるなら、僕だって心配しません。そもそも僕のような素人のところにこんな企画が回ってくるはずがない。でも、現に僕は「こんな文」を書いている。この事実そのものが、日本人が人口減社会に対する備えができていないことを証拠立てています。

 もう一度言いますけれど、僕たち日本人は最悪の場合に備えて準備しておくということが嫌いなのです。「嫌い」のなのか、「できない」のか知りませんが、これはある種の国民的な「病」だと思います。

 戦争や恐慌や自然災害はどんな国にも起こります。その意味では「よくあること」です。でも、「危機が高い確率で予測されても何の手立ても講じない国民性格」というのは「よくあること」ではありません。それは一つ次数の高い危機です。「リスク」はこちらの意思にかかわりなく外部から到来しますが、「リスクの到来が予測されているのに何も手立てを講じない」という集合的な無能は日本人が自分で選んだものだからです。「選んだもの」が言い過ぎなら、「自分に許しているもの」です。

 人口減そのものは天変地異ではありません。自然過程です。キャリング・キャパシティを超えた人口膨張に対して、人類が生き延びるために無意識的に選択しつつある集団的な行動です。

 70億という人類の総人口はどう考えても地球環境への負荷としては過大です。それでも、22世紀までは人口はさらに増え続けます。2050年には97億人、2100年には112億に達すると予測されています。それだけの人口に対して、エネルギーや食糧や水や医療や教育資源を安定的に供給できると思っている人はたぶんいないでしょう。現在でさえ、世界では8億人が栄養不良状態にあります。9人に1人が飢えている。それにもかかわらず、世界人口はこれから30年でさらに30億人、1年一億のペースで増え続けます。人口が際立って増えるのは、インド(4億人)、ナイジェリア(2.1億人)、パキスタン(1.2億人)、コンゴ(1.2億人)、エチオピア(9千万人)、タンザニア(8千万人)、アメリカ(7千万人)、インドネシア(6千万人)、ウガンダ(6千万人)などです。これらの国々において、30年後は今より政情が安定し、経済が好調で、民心が穏やかになっていると予測するためにはよほどの楽観が必要でしょう。これ以上の人口増を受け入れるだけの体力は(アメリカを除いて)これらの国々のどこにもありません。ですから、地球環境が持続可能な状態にまで人口が減少するのは自然なことですし、合理的なことです。人口減それ自体があたかも「忌まわしいもの」でもあるかのように語るのはまったく当を失しています。先進国はどこでも(アメリカを除いて)これから人口減局面に入ります。22世紀にはアジア、アフリカを含む全世界が少子・高齢化、そして人口減局面を迎えます。これは「誰の身にも起きること」なのです。まずそのことを認めるところから始めないと話になりません。

 

 誰の身にも起きることであるわけですから、早晩どこの国もそれに対する備えを始めなければならない。でも、最も早くその危機に遭遇する日本では、なぜかそれに対する備えが始められていない。人々はそのことについては考えないようにしている。駝鳥が砂に頭を突っ込むように、危機の接近に気づかないふりをしている。人口減社会の実相についての具体的な考察に入る前に、僕は序文においてこの日本人の集団的無能についての予備的な考察をしたいと思います。少し長い話になりますけれど、ご容赦ください。