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内田樹さんの「維新についてのアンケート」(前編) ☆ あさもりのりひこ No.863

でも、「生産性が上がる」というのは、例えば、それまで10人でやっていた仕事を1人でやるようになるということです。たしかに人件費コストは削減できる。でも、それまで働いていた9人は失業するわけです。その9人の中に自分が含まれていたら・・・ということを「生産性向上主義者」たちは想像しない。

 

 

2020年4月18日の内田樹さんの論考「維新についてのアンケート」(前編)をご紹介する。

どおぞ。

 

 

ある全国紙から大阪の維新の人気についてアンケートを受けた。説明が要るので長い回答を書いたが、紙面に載るのはこの10分の1くらいなので、オリジナルを掲載しておく。

 

Q1:大阪維新の会は立ち上げから10年を迎えました。当初は橋下徹氏の人気頼みの面が否めませんでしたが、15年に橋下氏が去った後も、高い支持を誇っています。平松市長時代に大阪市の特別顧問も務めた内田様からご覧になって、橋下氏が不在でも維新がこれだけの支持を得続けているのはなぜだと思われますか。

 

 大阪の人に訊くと、とにかく維新の議員たちは「どぶ板選挙」に徹して、地域住民の声を汲み上げる点で他党に優れているそうです。でも、「どぶ板」は自民党はじめ他党もやってきていることですから、そこに決定的な差があるとは思いません。やはり維新のイデオロギーが大阪の人たちに広く好感されているのだと思います。

 僕はそれは一種の「リバタリアニズム」ではないかと思います。

 大阪人は他の地域に比べると、「リバタリアン」気質が濃厚のように見えます。「親方日の丸」的な発想をしない。「お上に何かしてもらう」という考え方が希薄です。

 大阪は発生的にも、武士の街ではなく、町人の街でしたし、船場の経済力で大都市になった。懐徳堂も適塾も町人たちが自力で立ち上げたし、文楽も上方舞も民衆芸能です。「自分のことは自分で始末するから、お上は口を出さないで欲しい。自分の欲しいものは自分で手に入れるから、公共の支援など要らない」という考え方が伝統的に根づいている。

 だから当然「小さい政府」主義になります。「公務員削減」には無条件に賛成します。大学や病院や図書館や美術館のような、市民自身が受益者である公共的なサービスについてさえ「税金の無駄遣いだ」と言われると、すぐに賛成する。

 維新が熱心にやってきたのは、この大阪人のリバタリアン的気質に乗じた「公共財の取り崩し」「公共財の民間への付け替え」だったと思います。

 共同体が存続するために必要な公共財を「社会的共通資本」と呼びます。上下水道、交通網、通信網、ライフライン、教育、医療、司法などがそれにあたりますが、これは本来公共的なもので、専門家が、専門的知見に基づいて、政治イデオロギーとも市場ともかかわりなく、管理すべきものです。でも、維新はこの社会的共通資本を民間に移管することにきわめて熱心でした。

 もちろん、資本主義がそれを要請するからです。

 公共財というのは人々を共同的に益するものですから、営利には役立ちません。人間が生きるために必要なもの(例えば水とか医療とか教育とか)はできるだけ質の良いものを、できるだけ安価で(できれば無償で)提供するというのが社会的共通資本の考え方です。専門家が管理するわけですからコスト意識なんかほとんどない。ですから、公共的なセクターを見ると、その機構や提供されるサービスにはあきらかな無駄やオーバースペックやコスト意識の欠如があちこちでみられる。「収益の最大化」とか「コストの削減」とかいうことを優先的に配慮する人たちはそれにすごく腹が立つ。だから、「そういう公共的な事業は民間に移管した方が無駄がなく、効率的に運用されて、コストも下がる」と思う。

 そして、この推論自体は間違っていないのです。

 別に今に始まった話ではなく、16~19世紀のイングランドの「囲い込み(enclosure)」から「公共財の私財化」は資本主義の基本です。

 それまで住民たちが共同的に利用して、のんびり牛や羊に草を食わせたり、食材を栽培したりしていた「入会地(common)」を資本家が買い上げて、私有化したのです。買った方は土地に投資したわけですから、その土地からどう利益を上げるか考えます。当然、生産技術も向上するし、生産性も上がる。そうして農業革命が起きた(そのせいで自営農たちは没落して、都市の低賃金労働者になり、産業革命の労働力を提供したわけですから、資本主義的には「狙い通り」です)。つまり、資本主義のロジックに従えば、「公共財は公共的に管理しないで、私有化する方が生産性が上がり、利益が出る」というのは永遠の真理なのです。

 維新がやっているのは、そう言ってよければ、「現代の"囲い込み"」です。

 これまで住民たちが共同的に所有し、管理していた公共財を私有化することで「利益を出す」仕組にした。ただし、そこで言う「利益」というのは、公共財を手に入れた資本家の利益であって、「入会地」のもともとの共同所有者たちの利益ではありません。彼らは自分たちの財を奪われたのですから。

 けれども、多くの人はそれに抗わなかった。世の中、そういうものだろうとおとなしく受け入れた。「誰の所有であれ財が利益を生み出すのは端的によいことである」という資本主義のイデオロギーをすでに人々は内面化していたのでした。自分が貧乏になっても、収奪されても、資本主義が繁栄するなら、それは歴史的必然であろうと思うようになった。

「囲い込み」を指をくわえて眺めているうちにプロレタリアに没落したイングランドの自営農のマインドと、大阪の人たちのマインドには共通するものがあるように見えます。

 大阪の有権者たちも資本主義イデオロギーを深く内面化している。だから、公共的なものが私有化されることに反対するロジックを持たない。それが自分自身にとってどういう利益や被害があるかどうかはとりあえず脇に措いて、生産性の低い使われ方をしていた財が生産性の高い使われ方をすることは「端的によいこと」だと信じている。

 でも、「生産性が上がる」というのは、例えば、それまで10人でやっていた仕事を1人でやるようになるということです。たしかに人件費コストは削減できる。でも、それまで働いていた9人は失業するわけです。その9人の中に自分が含まれていたら・・・ということを「生産性向上主義者」たちは想像しない。

 もともとの「お上が嫌い」という大阪のリバタリアン的エートスは「公共財は私物化すべきだ」という新自由主義イデオロギーと妙に相性がよかった。そのせいで維新的なものが好感されている・・・そういうことじゃないかと思います。長い説明になってすみません。