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見知らぬ老女に不意に「百年前にあんたに最初に会ったのも、こんな風の日だったね」と告げられて、そうだったのか、俺はこの人と血縁だったのに、何か「ひどいこと」をして、それきりになったんだ。
2020年5月11日の内田樹さんの論考「ホ・ヨンソン『海女たち』書評」をご紹介する。
どおぞ。
ホ・ヨンソンの詩集『海女たち』についての書評を西日本新聞に寄稿した。済州島の海女たちを主題にした詩集である。伊地知さんに頼まれて書くことになったのだが、ほんとうに詩について書くのは苦手なのである。歌道に暗いのである。
私は韓国文学についてほとんど何も知らない。まして詩は私のもっとも苦手とする分野である。だから、日本の詩歌についてさえ一度も書評を書いたことがない。どうしてそんな人間に書評を依頼してきたのか、よく理由がわからない。おそらく訳者の姜信子さんとのご縁だろうと思う。姜さんは「かもめ組」という三人組(浪曲の玉川奈々福さん、パンソリの安聖民さんとのトリオ)で、私の主宰する凱風館で浪曲とパンソリのジョイントコンサートをしたことがある。
韓国文学には無縁の人間だが、さいわい済州島には二度だけ行ったことがある。一度は講演のために、二度目は済州島の生活文化にもその地の痛ましい歴史にも詳しい大阪市大の伊地知紀子さん引率の「修学旅行」として。でも、変な話だけれど、済州島というと一番印象に残っているのは、最初の訪問のときにたまたま立ち寄った漁港の大衆食堂で食べた「さばの味噌煮」ある。この島の人たちが私たちと同じ仕方で調理されたものを、同じように美味しく食べているのだと消化器が証言したときに、日韓の思いがけない近さと、そして遠さを私は同時に感じた。
遠く感じたのは、ほとんど同じ生活文化で身を養ってきたにもかかわらず、その隣人が、この島やあるいは対馬や大阪でどんなことを経験してきたのか私はほとんど何も知らないという事実の前にひるんだからである。
私は済州島の潮風に研がれた生活者の顔を前にすると「ひるむ」。それはこの詩集のすべての頁に対した時の私の正直な感懐である。それは恐怖とも嫌悪とも違和感とも違う。見知らぬ老女に不意に「百年前にあんたに最初に会ったのも、こんな風の日だったね」と告げられて、そうだったのか、俺はこの人と血縁だったのに、何か「ひどいこと」をして、それきりになったんだ。そんな漱石の『夢十夜』のような、存在しない記憶が甦ってくるのである。