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内田樹さんの「「愛の不時着」コメント」 ☆ あさもりのりひこ No.901

こういう「何を考えているかよくわからない男」を「何を考えているかよく分かる女」の目線から恋するというのが一番面白いんです。

 

 

2020年7月31日の内田樹さんの論考「「愛の不時着」コメント」をご紹介する。

どおぞ。

 

 

朝日新聞の「耕論」という欄に『愛の不時着』についての電話インタビューの記事が載った。

記事は記者がインタビューにもとづいて書いたもので、私はめんどくさかったので、手を入れなかったのだけれど、私が言いたかったことはだいたい以下の通り。

 

 韓国の人と北朝鮮の人の間に愛情や連帯の感情が芽生えるという話はこれまでにもありました。しかし、北朝鮮での「生活」にここまでスポットが当てられたのは初めてだと思います。

 これまでの映画との違いは、北の人たちの描き方です。否定的な描写は抑制されて、コミカルな場面やじんわり心が温まる場面が多かった。コミカルと言っても、風刺的ではなく、北の人たちを「ラブリー」に描いていた。これははじめてのことじゃないでしょうか。

 主人公のヒョンビン演じるリ・ジョンヒョクも彼の部下たちも、北朝鮮の兵士らは最初は権威主義的で教条主義的な人物としてステレオタイプ的に描かれています。村の女たちも権威主義的で、抑圧的な、あるいは卑屈な人物として登場してきますけれど、全16話の回を重ねるにつれて、しだいに一人一人がそれぞれに愛すべき個性を具えていることがわかってくる。

 これはNetflixの連続ドラマの強みだと思います。2時間程度の映画であったら、最初は権威主義的で威圧的だった人物がしだいにその傷つきやすく優しい本性を見せてくるというようなことを群集劇で行うことはできません。それだけの時間がないから。

 特にラブリーなのが、主人公の部下4人組です。最初は「北朝鮮兵士」のいくつかのステレオタイプを誇張的に演じているのだけれど、時間をかけて細かなエピソードを積み重ねていくにつれて、各キャラクターたちの複雑で奥行きのある個性が見えてくる。初めは嫌悪感や違和感しか感じなかったキャラクターに「なんだ、意外にいいやつじゃない」という親近感がわいてくる。

 

 ストーリーの中心は2組の恋愛ですけれど、むしろ恋愛とは直接関係のないサイドストーリーの方が僕は記憶に残っています。「『愛の不時着』ってどんな話なの?」と聞かれた時に、主役2人の恋愛の顛末だけを語って済ませるわけにはゆきません(細かいところは忘れてるし)。それより、「南北の人々がそれぞれのアプロ―チで相互理解を深めてゆく話」というふうにまとめると思います。

 ストーリーそのものが南北分断をなんとかして乗り越えたいと願っている韓国の人たちの切実な心情をかなり正直に映し出しているのだと思います。実際には南北には簡単には越えがたい距離があるのですから、初めから「北の人たちは、いい人たちなんですよ」というように押しつけがましく描かれたら、おそらく多くの韓国人視聴者は反発したでしょう。だから、あえて「北の人」たちの定型的描写から入って、時間をかけてそこからじわじわとはみ出してゆくという手法をとった。それが成功したのだと思います。

 それでも日頃から北を観察している在日コリアンには共感できない部分もあったらしく、この話題が出た時には「『北』を美化しすぎだ」というかなり批判的なコメントを聞きました。

 

 でも、このドラマは南北統一が全くのファンタジーではなくなっているという韓国社会の気分の変化を表していると思います。ドラマの中でも「統一したらね」という台詞が何度か出てきます。英語のThat'll be the day には「そんな日が来たらたいへんだよ」「そんなことは永遠に起こらない」というニュアンスの表現ですけれど、「南北が統一したらね」はそれに近い感じがしました。「いつかほんとうに起きるかもしれない(起きたらそれは特別な日になる)」という期待と「そんなこと絶対にあり得ない」という否定のニュアンスと両方を含んでいる。韓国映画がそのような両義的なニュアンスで「南北統一」を描くようになったというのはやはり注目すべきことだと思います。

 

 主人公二人の恋愛の構図は『冬のソナタ』と似ています。視聴者の性別にかかわらず、視聴者は(ヒロインで財閥令嬢の)ユン・セリの目線で、リ・ジョンヒョクを見るということです。

 ユン・セリは感情移入しやすい人物です。財閥令嬢で成功した起業家で、家庭的不幸を抱えているという設定はちょっと複雑ですけれど、人間的には「ふつう」の人です。一方で、リ・ジョンヒョクは何を考えているか分からない。時代錯誤的なまでに礼儀正しく、紳士的だけれど、頭の中はもしかしたらスカスカかも知れないし、あるいは言葉にならないトラウマを抱えているのかも知れない。よくわからない。でも、それでいいんです。こういう「何を考えているかよくわからない男」を「何を考えているかよく分かる女」の目線から恋するというのが一番面白いんです。

 これは、日本の少女マンガによくあるキャラ設定です。

 少年マンガの登場人物たちは「吹き出し」に書かれているセリフ以上のことは考えていません。だから、吹き出しだけ読んでいればストーリーがわかる。でも、少女マンガはそうはゆきません。吹き出しの中の「実際に口にした台詞」の他に、主人公の「語られざる内面の思い」も書き込まれるし、さらに、「本人さえ自分がそんなことを思っているとは知らない気持ち」まで書き込まれていたりする。

 リ・ジョンヒョクは少年マンガの登場人物ですから「実際に口に出した言葉」以上の「内面」というものがない。まあ、ほんとうはあるんですけれど、本人はそれに気づいていなかったり、最後まで抑圧したりしているから、「ないもの」として扱っていいんです。でも、ユン・セリはそうじゃない。実際に外に出た言動はとっちらかっているんですけれども、全部可視化されていて、何を考えているか、どうしてそんなことをするのかがわかる。視聴者としては彼女を焦点的人物に据えると安心していられる。

 

『冬のソナタ』はチェ・ジウ目線でペ・ヨンジュンに恋をするのが「楽しい見方」でした。『愛の不時着』も同じです。でも、男性の視聴者は「感情豊かな女性目線で無意識過剰な男性に恋をする」ということがあまり得意じゃないみたいですね。これは子どもの頃から少女小説や少女マンガを耽読していないと身につかない技術かも知れないです。できると楽しいんですけれどね。