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自分の感受性ぐらい ☆ あさもりのりひこ No.904

詩人の茨木のり子さん (1926年~2006年)が1977年に詩集「自分の感受性ぐらい」を刊行した。

ちなみに「茨木」は「いばらぎ」と読む。

この詩集に、表題となった「自分の感受性ぐらい」という詩が収録されている。

その全文はつぎのとおり。

 

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性ぐらい

自分で守れ

ばかものよ

 

 

「ぱさぱさに乾いてゆく心」「気難しくなってきた」「苛立つ」「初心消えかかる」ということについて、我が身を振り返ると、ドキッとする。

 

「みずから水やりを怠って」「しなやかさを失った」「なにもかも下手だった」「ひよわな志」という言葉が胸に突き刺さる。

 

「ひとのせいにはするな」「友人のせいにはするな」「近親のせいにするな」「暮らしのせいにはするな」と手厳しい。

 

茨木さんは、「駄目なことの一切」を「時代のせいにはするな」という。

「駄目なことの一切」を「時代のせい」にすることは「わずかに光る尊厳の放棄」だというのだ。

「駄目なことの一切」を「時代のせい」にすることは「自分の感受性」を棄てることだと。

「駄目なことの一切」を「時代のせい」にして、責任転嫁することは易しい。

しかし、「駄目なことの一切」を「時代のせい」にしないで、「自分の感受性」を信じて、ギリギリのところで踏ん張れ、というのだ。

 

「自分の感受性ぐらい」「自分で守れ」「ばかものよ」

 

 

後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受ける言葉である。